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オペラ


 梅雨も殆ど明け、夏に差しかかる前の空色は、セルリアンブルーに薄くジェッソをかけたような、濁った色をしている。これが真夏の快晴のウルトラマリンディープを懐かしむ理由の一つかも知れない。
 しかしいざその真夏の空の下に置かれると、現金なもので、早く冬が来ないかと強く思うのだ。そこで思い出す冬は、晴れ空ではなく、アイボリブラックに胡粉を沢山混ぜて、そこにホリゾンブルーを少しだけ足したような、ざらざらとした雪の厚い雲である。
 雲雀は、電気を付けない昼間の薄暗いアトリエでパレットを開きながら、そんな事を考えていた。


 モチーフ台にはヘルメスの胸像が一つ載っている。
 ヘルメスは石膏の中でも比較的好きなものだった。マルスのようにシャープではなく、ブルータスのようにがっしりしていない。頬や筋肉の作る曲線が、柔らかい印象を与える。
 雲雀がパレットをしまい、小イスを持って場所をとっている時だった。本来日本画は休講のはずの土曜日である今日、特別に開けてもらった雲雀しか使わないはずの日本画のアトリエのドアが、開いたのだ。

「……あ」

 何事か、と雲雀がドアを振り返ると、そこには金髪の外国人がぽかんと立っていた。肩からカメラを下げ、手には小さなクロッキー帳と道具箱を持っている。





「お前も使ってたのに、悪いな。ありがとう」

 金髪を揺らしながらアトリエの端に荷物を置いた彼は、ディーノと名乗った。両親と共に日本に越して来て長く、こちらで大学に進学するつもりなのだそうだ。ちなみに、先端芸術を専攻している。
 雲雀はエスキースの手を止め、自らも名乗った。二人でアトリエを使う事にしたのだ。

「いいよ。僕の方こそ、土曜は使わないはずなんだし」
「ちょっとうるさいけど勘弁な」

 雲雀は改めてヘルメスに向き合い作業に戻る。背後からディーノが金属質な物を組み合わせる音が聞こえる。
 普段使っているアトリエでも、そこで違う科が作業をしていると空気が変わる。描くか見るか写すか造るか、たてる音の違いが、そうさせているのだろう。
 通常聞こえない音が聞こえていても、さして気にならなかった。むしろ、違う空気の中で絵の表情が少し変わってきている気がした。

 日本画の静かなアトリエに、鮮やかなオペラの飛沫を吹いたようだった。



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