13 宇宙人でも痛いものは痛いと感じるし、おいしいものはおいしいと感じるし、悲しいものは悲しいと感じる――なんて考えていたのは数ヶ月前の俺だが、今となってはそれも懐かしい話だ。 けれど、そうであればいいな、とは、今も思う。感情が生まれてきたように見える宇宙人に、例えばそういった人間味がさらに増えれば、と。 だから俺は正直、少しだけ喜んでいるのだ。今の状況に。もしこれをハルヒに見られたら俺はその場で顔から火を噴くなりなんなりしてブッ倒れるだろうが、誰にも見られないならばオールオッケーだ。 「……………」 「……………」 俺の膝の上にまるで人形のように乗っかっている宇宙人こと長門は、いつものように座っているのが椅子ではなく俺だという事実を除けば、全くいつも通りだった。 いつものようにハードカバーをその折れそうな膝の上にのせ、風が靡くような静けさでパラリパラリとページを捲る。頭の中で吸収した文章を処理するのが早いのか、速読と言われる人間をはるかに超えたスピードでさらにページは捲られていく。 勿論この体勢では俺からも本の内容が丸見えなわけで、俺は試しにそっとそのハードカバーの内容を盗み見てみたのだが、さっぱりわからん。古代文字か?とでも思うような(いや実際は日本語で、且つ漢字とひらがなの集合体なのだが)意味のわからない言葉の羅列に俺は困惑することしきりだ。 「……………」 「……………」 しかも長門は長門で喋らないものだから、会話を進めようにもどう進めていいのかわからず、かと言ってどけろということもなんだか可哀想でできない。折角長門も意味あって俺の上に乗っかっているのだろうし、ならばきちんとした理由を聞くべきだろう。 かと言って読書の邪魔をするのも忍びない。 「……………」 「……………」 この際誰でもいい――いや、ハルヒを除いてなら誰でもいい。となると必然的に古泉か朝比奈さんということになるのだか、そのどちらかでもいいからこの部室を訪れてくれ。何らかのアクションが起きなければ俺はどうしようもない。 あまり近くで見ることもない、長門の小さな旋毛が見える。開け放した窓から風が吹き込んで、さらさらと髪の毛を揺らしていった。では、何もすることがないのでこうなるまでの出来事でも振り返ってみようか。 簡単だ。俺が部室で眠っていたら、いつの間にやら膝の上にかすかな重量を感じて目覚めた。そうすると長門がいた。これだけ。 しまった、もう終わってしまった。 「……………」 「……………」 普段、特別長門と一緒に居て沈黙が重いと感じることはない。しかし、今だけは沈黙が痛かった。出来ることなら何か喋って欲しい、長門よ。そしてあわよくば俺の膝の上に乗っかってる理由でも聞かせてくれないか。 すると、長門がふいに読んでいた本をパタリと閉じた。ハードカバーのタイトルは英語で、やはり俺には理解できない内容だな、と今更改めて思い知る。長門の日本語吸収能力は半端ではない、などと本当に今更なことをさらに考えて、やっとアクションが起きたことに安堵するという複雑な事を俺はやってのけた。 「な、長門」 「なに」 なにってお前。 寧ろなに、と聞きたいのは俺のほうなのだが、聞かれてしまった以上何か言わざるをえない。仕方なく、「どうしてこんなことになっているんだ?」と問いかけてみることにした。 長門は沈黙を守り続け、やがて本を少し手を伸ばしてテーブルの上に置くと、やや体をずらして俺を見上げる。小さな子供を膝の上に乗せているようで、一瞬俺は将来こんな感じで家庭を築いていくのだろうかと考えてみた。 「部屋に来るとあなたがいた」 「…そうだな」 「眠っていたので、起こすことは得策ではないと判断した」 「うん、そうだな」 実にありがたいよ。お前が気遣いという言葉を覚えてくれただけで俺は万歳状態だ。 「……………」 「………それだけか?」 液体ヘリウムの瞳がかすかに揺らめく。どうやらそれだけではなさそうだ。まあ勿論それだけの理由で俺の膝の上に乗る必要は全く無いからな。さて続く言葉を待っていると、長門はひょこんと俺の膝の上から腰を上げる。ああ、やっぱりどけてしまった。なんて少し寂しくなった気持ちを必死でごまかす。 「……………」 「……………」 長門は何も言わなかった。と、言うよりは、口にする言葉が無いというような感じだった。長門は頭が良くても、難しい言い回しはできても、あまりにも簡単な言葉がたまに出てこない。出てこない、というよりは、使用用途がわからないのだろう。 まるでその瞳は、犬が主人に構ってもらえなくて尻尾をパタリパタリと心もとなく揺らしているような感じだった。まあありえないことでもなかろうと、俺は小さく呟く。 「…構って欲しかったのか?」 「……………」 あ、やっぱり違ったか? しかしそんな発言をしてしまった手前、これ以上余計なことは言えず、俺は不自然な笑顔を浮かべたまま固まってしまった。長門よ、なんでもいいから言ってくれ、違うという否定の言葉でも全く構わないから。「そう」うん、そうなのか。そうなのか、って、あれ? 「……………」 「今のわたしの現状を明確な言葉で表すことは難しい。あなたの言う、『構って欲しい』という言葉は非常に今のわたしの状態を表す言葉に近しく、それが該当すると思われる」 「……………」 それきり黙りこみ、俺を真正面から見つめるだけになってしまった長門を、俺は黙って見つめることにする。そういえばこいつは地球に生まれる…という表現が正しいか、作られたのが3年前だったんだな。ということは、3歳児か。なるほど、甘えたい年頃かもしれない。 「長門」 「…なに」 「こっち、来い」 「…」 無言で長門は近寄ってくる。 その、不思議な髪の色をした長門の額あたりに、とりあえず手を伸ばしてぐりぐりとかき回してみた。普段ピーマンを食べれない妹が、頑張って食べたときには必ずこうしてやる。長門は目を細めて俺の手を受け入れていた。やめろと言うわけでもなく、不快そうな顔をするわけでもなく。それが当たり前だとでも言うように。 手を離すと名残惜しそうに見えたのは俺の気のせいか?くしゃくしゃの髪の毛を手櫛で整えてやる。 ……あ、いま、ちょっと嬉しそうだった。 不在証明/ワールド・プリズム |