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ディモルフォセカ(仮)
02

詰襟二人を伸してから少年を見やったが、彼は俺を凝視したまま動く素振りを見せなかった。瞬きもしない。目が痛くないのだろうか。ぴくりともしないそれに、俺も諦めて踵を返す。別に礼が欲しくてやったわけじゃないし、さっさと宛がわれた部屋に行こう。
路地裏を出ると、後ろから少年が付いてくるような足音がした。いや、まあ、同じ学校の生徒なんだから、宿泊先が一緒なのはわかるけどね。ちらりと肩越しに視線をやると、少年は大袈裟なほど肩を揺らして固まってしまう。既視感。何だ、だるまさんがころんだ?
「あ、あの!」
ひっくり返ったような声で少年が声を上げる。周りには誰も居ないから、俺に話しかけているのだろう。何だ、と首を傾げて続きを促すと、びっくりするくらい深く頭を下げてきた。
「ありがとうございました!!」
「あー、や、ああいうのが嫌いなだけだ」
「それでも、俺、嬉しかった…!」
声が震えていたので、もしかしてこいつ泣いてんのかなと思ったけれど、姿勢を戻した時にはその顔に涙は無かった。代わりに爛々と輝く瞳は俺を見つめ、興奮してるのか上気した頬は赤みを差したまま戻りそうも無い。
「…そんなに怖かったのか?」
さっきの二人組みを思い出す。確かにこいつより背は高かったが、それほど強そうには感じなかった。こんな痩躯でも反撃を恐れずに暴れれば、面倒がって消えていったかもしれない。
「いえ、あの…俺、三嶋幸治って言います」
「ふうん」
「………」
「………」
「…あ、あの…それだけ、ですか?」
ミシマコウジくんは肩透かしを食らったような顔で妙な事を聞いてくる。それだけかって?他にどんなリアクションをとればいいんだ。
「…良い名前だな?」
「あ、ありがとうございます…じゃなくて!二年A組の三嶋です!転入生を使って生徒会に取り入ろうと画策してるって有名なあの三嶋幸治です!」
「画策してるのか」
「や、や!してないですけど!一から十まで誤解ですけども!!」
ミシマコウジは真っ赤な顔で弁護してきたけれど、ぶっちゃけそんな話はどうでもいい。というか、自分で有名とか言っちゃってこいつちょっと痛い子なのだろうか。また変な奴に関わっちまったのかな…。
俺が若干白い目で見ているのにも気付かないまま、ミシマコウジは笑顔に失敗したような顔で少しだけ俯いた。
「ずっと学園の人に避けられてたから…学校の誰かが助けてくれるなんて、思っても無くて」
だから嬉しかったと。目の端に少しだけ涙を溜めて、彼は笑った。
「イジメにあってんのか」
「…知らないんですか…?」
「知るかよ。他のクラスの事情なんて」
学校の生徒からハブられてる、有名な生徒なんて居ただろうか。もう学校に転校してきて二週間だ。以前考えを改めてから一応噂話には耳を傾けるようにはしているつもりだが、そんな話は聞いたことが無い。俺の活動範囲が狭すぎるのか、それともこいつの被害妄想が激しいのか。
「よく分からないが、嫌ならやめろと言えば良い」
「……できない、ですよ。そんなこと…」
「どうして」
「どうしてって」
信じられないような顔で俺を見てくるが、きっと俺も同じような顔をしていただろう。嫌なら止めろと言って、何事もそれからだろう。耐えて泣き寝入りして、それで収集されるような問題ならいいけれど、イジメに限っては先手必勝だ。舐められたらそこで終わり。
俺は成長期が来るのが遅かったから、小学校時代はそれで随分からかわれたものだが、止めろと言っても止めなかったクラスメイトを焼却炉に捨ててやった事がある。それ以来からかうどころか近付かなくなって、有意義な日々を過ごしたものだ。
「さっきもそうだ。金を渡したくないなら逃げればいいじゃないか。それができないなら金なんかさっさと渡しちまえば良かったのに」
「…そんなの」
ぼそりと、ミシマコウジ少年が何事かを囁く。俺はそれに、目を細めた。
彼はそれからきっと俺を睨み上げて、噛み締めた唇を開いた。
「なんか、じゃない。これは、親が働いて渡してくれた大事なお金なんだ。おいそれと他人にやれるもんじゃない。あんたみたいな金持ちにはわからないだろうけど」
金持ち。俺は今、こいつの言うとおり、金持ちの家の子供だ。けれど、少なくとも俺はこいつより、金というものを知っているつもりだ。
「確かに、その金は両親が稼いでくれた大事な金だろうけどな」
不機嫌を隠さずに言葉を吐けば、目の前の同級生は怯えたように口をつぐんだ。
「その金を守るために、自分の子供がリンチにあったなんて知って、お前の親はよくやったって褒めんのかよ。よくその金を守ったって、笑って言うような奴等だと思ってんのかよ。ふざけんなよお前」
他人の家族の問題だ。俺には関係ない。何時だったか誰かにもそう言った。けれど苛立たしいと思う。こんなのは、黙っていられない。
「親が何のために金を稼いでると思ってんだ。テメエを育てるためだろう。目的と手段を混ぜるなよ。金は大事だ、けどそれよりもお前の方が何十倍も大事に決まってる。…それとも、そんな事ねえって、お前は言うのか」
固まって、何も言わないで、黙って俺の言う事を聞いている。反論できないのか、反論する気が無いのか、それとも俺の話を馬鹿らしいと一蹴してるのか。どうでもいい。そんな事は。
「その鞄の中の小金のほうが、価値があるってお前は言うのか」
それはこいつを大事にしている人間を侮辱する考えだ。
俺は言い捨てて旅館に向かった。足が早足になるのは致し方ない。胸クソ悪い。世の中には人の数だけ考え方がある。俺と全く同じ思考の人間なんて居やしないし、俺もそれが普通だと思う。それでも親を貶める発言は許せない。大事に思っているなら尚更、自分を大事にしなければならないのに。

――皆あなたみたいに、強いわけじゃない。

ついさっきミシマコウジが呟いた言葉が耳から離れなかった。俺に聞かせるつもりはなかったのだろう、極々小さな音だった。昔似た様な事を友人からも言われた事がある。お前にはきっと、ずっとこれからも分からないんだろうと。理解できないのだろう、と。その通りだと思った。俺にミシマコウジの事なんか分からない。強さと弱さの定義もきっと違う。俺は弱い人間だ、けれどもそんな俺を強いと思うなら、弱いから何の抵抗もできないのだと思っているのなら、それこそが彼の弱さなのだ。
弱くても、その力で守れるものもあるのだと、俺は知っているから。


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