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ディモルフォセカ(仮)
03

父親と言う存在を、実は良く覚えていない。ただぼんやりと「いた」ことだけは覚えていて、中学に上がる随分前には消えていた。正直顔も朧げで、声に至ってはまるきり記憶の彼方だ。
それでも。段々と悪くなる生活の中で、境はそこであったと俺は理解している。元々病弱だった母さんが更に身を粉にして働き詰めになり、俺と弟達を養うのにやっきになった。父親が居ない、そのせいであなたたちに不自由な思いはさせたくない、母はそう言っていつでも気丈に振舞った。その結果が過労死だった。葬式に、父親の姿は無かった。

父という存在を、実は良く覚えていない。
覚えていようと努力した事も無い。







「…便宜上、父とは言いましたが」
ニコニコと笑っている男は、己が俺の父だという。
「俺に父親は居ません。唯一の親は、一昨年亡くしました」
「……そう」
そっと閉じる瞼を、じっと見つめる。数瞬後には瞳がまた露になる。はたから見れば瞬きのような短い行為だったろうが、それの前と後では全然違っていた。
瞳の強さ。影の濃さ。笑みは消え、穏やかな雰囲気も消える。知らずに生唾を飲み込んだ。
「それでも、俺とお前には血の繋がりがある」
「…何が言いたいんです」
「単刀直入に言おう。蔵峰の家に入りなさい」
「………は…?」
一瞬何を言われたか分からなかった。蔵峰の家に、入る。それは蔵峰薫、目の前の男と家族になるということだろうか。ぼけっと間抜け面を晒して、それから数秒後にその意味を理解した。男は、自分の庇護を受けろと言っているのだ。
「お前、今後をどう考えている?」
何時の間に移ったらしい隣の部屋から、きゃいきゃいと子供のはしゃぐ声がもれてくる。襖一枚隔てたこちらはそれ以外に聞こえるものといえば、木の葉の擦れる音だとか、庭の池の鯉の跳ねる音だとか、時計のコチコチ鳴る音だとか、俺の心臓の音だとか。
男の言いたい事は分かっている。チビ共の将来の事を言っているのだ。中学中退で、親もなく、どうやって奴らを育てていくつもりなのか、金もなければ人生経験も浅い子供が、どうやって生きていくのか。
「今の稼ぎで養っていけると思うほど、愚かではないだろう」
「…例えそうだったとしても、アンタには関係ない」
金は貯めている。が、義務教育の中学までとは違い、高校からは莫大な金が掛かる。しかも三つ子のあいつらは当然同い年なので、掛かる費用も三倍だし、その上金の掛かる時期も重なる。
正直、言うとおり足りないとは思う。今のバイトの給料を全部ひっくるめても、月二十万はいかない。そこから家賃、食費、光熱費、その他もろもろ生活用品、それだけでほとんどが消えていく。貯めてはいるが、雀の涙だ。
だが最悪どんな手を使っても金は搾り出すつもりでいる。
こんな奴の援助を受けるまでもなく。
「何を考えているか、大体分かるよ」
男は大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
「今更父親面するなと言いたいのだろう。お前の言い分も最もだ。けれどどれだけお前が否定しようとも、お前が俺の血が通った子供である事は事実だ。それ以外では有り得ない」
それ以外には、なり得ない。
「俺の会社を継ぎなさい。和成。そうすれば、お前たちの面倒は私が見よう」
「会社…?」
「俺は会社を一つ持っていてね。跡継ぎ問題がちょっとややこしくて。お前は正真正銘俺が作った子供だし、何の問題も無い」
「馬鹿言わないでください。問題なら山積みです」
ノープロブレムと言うには、話が大きすぎる。跡継ぎ問題など壮大な事を言っているが、要は他人にその会社とやらを譲りたくないのだろう。
「俺たちの面倒を見ると言いましたが、それはここに住めという事でもあるでしょう」
「そうだね」
「車で連れてこられたから曖昧ですけど、ここ県違いますよね。手続きが面倒というのもありますが、俺は、あいつらが今通う学校を辞めさせたくはない」
毎日泥だらけで帰ってくるあいつ等が、多少不自由ながらも満足している事を知っている。夕飯の時に今日はこんな事があった、あいつがこう言った、先生に褒められた、その一つ一つを、目を輝かせて報告してくれるあの時間を、俺は無くしたくない。あいつ等から奪いたくない。
「あの良い子達なら新しい学校でも直ぐに慣れるさ。それに、今後を考えるなら、悪い提案ではないだろう?」
…確かに。いや!何を納得している。こんな奴の世話になりたくないのだ。こいつは母親と俺をほっぽり出した男だ。どうせ途中でまたほっぽり出すに決まっている。信用できない相手に、大事な弟達を預けるわけにはいかない。
「そ、それに…中学中退の俺に、会社が継げるとは思えません。潰れちまうのが落ちだ」
「何を何を。君は立派に卒業してるだろう。高校一年の過程だって、無事に終わりそうじゃないか」
な、何故ばれてるんだ!?
目元が無意識にぴくりと痙攣して、それを見咎めたらしい男がにこやかな顔で「電話で父親だと言ったら、全部教えてくれたよ」と言葉を繋ぐ。おいちょっと先生!これって個人情報じゃないんですか!?
二の句を繋げないでいる俺に、男は輝かしいばかりの笑顔で「それに」と接続語を使う。
「もうあの子等の転入の手続き、終わっちゃったし」
「…は?」
「もちろん君の高校の手続きもね!」
「はあ!?」



既に逃げられない場所に、立たされてしまっているらしかった。


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