(クリーチャー語り)レギュのはなし
残 照
あの日のことは、何十年たった今でも忘れることができません。
これからもきっとそうなのだろうと思います。
レギュラスさまは、仕えることがあんなにも幸せだと初めて感じることのできたご主人さまでした。
目の前でうしなってしまった日を、忘れることなどできません。
あのお言葉はクリーチャーだけのものです。
レギュラスさまの、ほんとうの最期のお言葉でした。
「やめてください!レギュラスさま!またわたくしが飲みますから…!」
クリーチャーは必死で叫びましたが、レギュラスさまは笑って首を振りました。
「僕が生きていたら、あの家に、母様に…兄さんに、迷惑がかかるから」
「クリーチャーめにはレギュラスさまが必要でございます!」
レギュラスさまはお月様のように綺麗に笑います。
そしてクリーチャーの頭をなでて、目を伏せました。
「…うん、ありがとう。でも、だめなんだ。これは僕の意志だから…。そばにいてやれなくて、ごめんね」
切なげに一言一言呟いていきます。
クリーチャーは泣きそうでした。
それでも、レギュラスさまの、ご主人さまの意志を止めることなどできません。
本当は引き止めたかったのに。
逝ってほしくなど、なかったのに。
「レギュラスさま…」
レギュラスさまは、苦しみの水を一口飲みました。
「うっ…ぐっ…!がっ…は…!」
見る見るうちに顔色が青ざめていきます。
苦しそうに悶える声が洞窟に響き渡りました。
「レギュラスさま!!」
クリーチャーは絶叫しました。
レギュラスさまは一番苦しい記憶に、責め苛まれているのでございました。
「兄…さん…!いやだ…いやだいかないで!いやだ…」
大粒の汗が零れ落ちていきます。
「レギュラスさま…っ!」
「兄さん…兄、さん…っ!」
クリーチャーはもう泣かずにはいられませんでした。
涙声でレギュラスさまの名前を呼び続けました。
「はあ、はあ…クリー、チャー…次を…」
レギュラスさまは真っ青な顔で言いました。
クリーチャーはもう見ていられませんでした。
「もうおやめになってください!残りは全部私が代わりに飲みますから…!」
今までのどんなことより必死に懇願いたしました。
手を握りしめ、泣いて縋りました。
「だめだ!はやくもってくるんだ!はやく…!」
普段声を荒げることのないレギュラスさまが泣きそうに声を荒げました。
レギュラスさまはお優しい、ほんとうにお優しい方です。
そのレギュラスさまが声を荒げはやく、と叫んでいるのでございます。
クリーチャーは泣きながら次の水を運びました。
最後の、一杯まで、何度も何度も運びました。
「ゲホッ…ゲホッ…」
最後の水を一気に飲み干したレギュラスさまは、本当に本当に苦しそうでした。
「レギュラスさま!レギュラスさま!」
クリーチャーはできる限りのことをしました。
そしてすぐにでも”姿あらわし”をしようと言いましたが、レギュラスさまは断固として頷きませんでした。
「…クリーチャー、僕が言ったことを、頼んだよ。ロケットを、壊すんだよ」
切れ切れながらもしっかりとお話になり、意識があることに少なからずほっとしました。
クリーチャーは何も言えずにただただ頷きました。
「あと…ね。兄さんはだめな人だから…一人が大嫌いな人だから…。本当は、優しい人だから。だから、兄さんがいつかあの家に戻ってくることがあったら、そばに…」
ほんとうに、遺言のようでした。
クリーチャーは聞きたくありませんでした。
こんな時にでもほかの人を心配するレギュラスさまが愛おしくもあり、恨めしくもありました。
クリーチャーはレギュラスさまにもっと自分を大切にしていただきたかったのです。
「レギュラスさま…」
「クリーチャー、お前のこと、大好きだったよ…。今、まで…ありがとう。母様を、あの家を、ロケットを…兄さんを、よろしくね…。君は、僕の、最期の…たより…」
ゆっくり、本当に時が止まるほどゆっくりと、青ざめた瞼が閉じられていきます。
今、どんなに嬉しいことを言われたかわかっていました。
けれどそれ以上にクリーチャーは絶望しました。
「いやですレギュラスさま!おきて…、おきてください…っ!」
泣きながら激しく揺さぶりたてると、またゆっくりと瞼を開きましたが、力をなくしていく腕が湖につかりました。
途端に屍たちがレギュラスさまの腕を、体を引っ張り込もうとします。
クリーチャーはそれはもう必死で引っ張りました。
けれどなんと、レギュラスさま自身がクリーチャーの手を外されたのです。
「…さあ、いきなさい…」
「いやです!レギュラスさまを残していくなんて!レギュラスさま!レギュ…っ!」
にっこりと、お月様の笑みを残して、レギュラスさまは、冷たい湖に沈んでゆきました。
「あ、ああ、あああああ!いやです!この方を連れて行かないで!やめて!やめて!」
屍どもに言葉など通じるはずもありません。
細く短い腕が、ただただむなしく空を切りました。
絶望の嘆きだけが暗い洞窟に木霊ました。
もう優しく名を呼んでくれたあのお方は冷たい湖の底に沈んでしまった。
シリウスさまでも、ブラック家でも、ヴァルヴルガさまでもない。
そばにいたかったのは、仕えたかったのは、レギュラスさまだったのに。
クリーチャーに残されたのは最期の意志だけでした。
泣きすぎてぼうっとする頭でロケットをつかみ、クリーチャーは必死にお屋敷に帰りました。
こうして今思い出しても、あの日は辛く悲しい記憶です。
それでも、レギュラスさまとの思い出の中には幸せな時間のほうがとても多いのでございます。
レギュラスさまと過ごした時間や、好きだと言ってくれた優しい言葉はなにひとつ偽りなく、本当に幸せな時間でした。
思い返すたびに切なく愛おしい思いがこみ上げてくるのです。
大好きだと、体中からあふれ出してくるのです。
レギュラスさまを見届けられたこと。
最期の言葉を聞けたこと。
これはクリーチャーのたったひとつの誇りなのでございます。
これは、しもべ妖精に古くから伝わる伝説の主人と妖精の物語。 教訓と幸福の物語。
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