月へ唄う運命の唄
この世界で。6
長い廊下を抜け自室の扉を乱暴に開ける。余計な装飾を好まない、いつも通りの自分の部屋だ。…その筈なのだが、一点、おかしなものが目の前に鎮座していた。
否、居座っていた。
「――おかえり、エミリオ」
『あれ…クノン?』
乱暴に開かれた扉、その向こうに居た彼はまた何かに苛々していたらしく、今日もすこぶる機嫌が悪かった。シャルのとぼけた返事しか聞けなかったのがいい証拠だ。
それなりに良い品らしく座り心地の良い椅子に腰を降ろし紅茶を啜る私を見て、彼は扉を開けた格好のまま絶句して固まっている。まぁ、部屋の主が居ないにも関わらず勝手に入って、挙げ句我が物顔でお茶してたら固まりもするよね。
初めて晶術の講義をしてもらった時に新しく購入したらしい、この木製のワークデスクは今や私の指定席になっている。さすがに部屋の真ん中に置いたままでは邪魔になるので壁際に移動してあるけど。
「まぁ立ち話もなんだし、入って入って」
「…ここは僕の部屋だ」
せっかくボケたのに不機嫌は継続。逆効果だったかな?
「…何の用だ?生憎お前の相手をする気分じゃない」
・・・・
「ヒューゴに呼び出されてたみたいだけど、何か言われたの?」
「――、お前こそ何かあったのか」
「ちょっと、ね」
紅茶をまた一口啜り、立ち上がって彼の分を淹れて出してやる。こちらをちらりと見た彼の目は、どことなく警戒の色が見てとれた。でも、あの話をしに来たわけじゃない。やるべき事を見つけた私は、もう少しだけ彼の中に踏み込みたかったのだ。
「それより、ね。お願い、あるんだけど」
「言ってみろ」
あぁ、いざ言うとなるとやっぱりちょっと難しいというかなんというか。大丈夫、かな?大丈夫、だよね?
もじもじと視線を上げたり下げたり、行き場を見失ったように定まらない。手持ちぶさたな手がどうしていいかわからず、頬を掻いたりティーカップをゆらゆら揺らしてみたり。そんな落ち着きのない様子に怪訝な表情を浮かべた彼は「早くしろ」とせかしてくる。……よし、言うよ。
「エミリオを、その、家族……みたいなものって、思ってても、いい……かな?」
ちらりと彼の顔を見る。あれ、……あぁ、それはそうか。突然過ぎて意味わからないよね。
「私はね、両親を亡くしてる。故郷にも、帰れなくて。でもね。運良く此処に拾われてきて、マリアンに出逢って、エミリオにも出逢えて、凄く寂しくて悲しかったけれど、なんだか新しい家族が出来たみたいって思えたんだ。だから、私がそう思う事だけでも、もし迷惑じゃなかったら許して欲しくて」
そんな私の言葉に、彼は静かに耳を傾けてくれていた。そしてきっと、許してくれたと思う。明確な言葉は口にしないまま、ただ僅かに口元を緩めて笑ったように見えただけだけど。少しだけ、嬉しそうに……そんな気がした。
――守りたい奴が、一人増えたか――
「何か言った?」
「いや。また馬鹿な事を言い出したか、と言っただけだ」
『また坊っちゃんはそんな事言って』
『シャルティエ、それを言うのは野暮よ』
何が野暮なのかはよくわからないけど、例え嬉しくても素直に喜んだ顔を見せてくれないのが彼だから、それでいいと思う。私がこう宣言する事で、僅かでも喜んで貰えたのなら嬉しかったから。
「お兄ちゃんって呼んでもいい?」
「却下だ馬鹿者が」
「酷いよお兄ちゃん」
「お前な……!!」
嬉しくて、つい少しだけ調子に乗ってふざけてみる。こういうやりとりの一つ一つが、凄く楽しくて幸せで。
『坊っちゃんも負けずになんだ妹よ〜、って言ってあげればいいのに』
『はぁ……どこの喜劇よ、それは』
見守ってくれている二人がとても暖かく笑ってくれるから、きっと辛くても頑張れる。
そこにどんな運命が待ち受けていようとも――。
第一章・幼年期・完
to be continued...
2012/12/28
2013/01/06加筆修正(P.4)
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