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月へ唄う運命の唄
月へ歌うアイの唄8

――翌朝。

太陽がうっすらと顔を出し始める頃になって漸く座っていた食堂の椅子から立ち上がった私は、ふらふらとしながら自分の部屋へと戻り一度シャワーを浴びることにした。
待ち合わせの時間は夕方。幸いにもまだ時間があるので今からでも一眠り出来る。ぼうっとした意識のままに脱衣場で服を脱ぎ、浴室へと入って湯を流す。
不意に力が抜けてごつん、と壁に頭をぶつけてしまったが、動かない感情につられたように痛覚までも麻痺しているらしく大して痛みを感じなかった。
試しに二度三度と軽く額を壁に打ちつけてみるが、伝わってくるのはぶつけた時の軽い衝撃だけで痛みはやはり無い。

「…はは…」

ばしゃばしゃと降り注ぐお湯に頭から打たれつつ、勝手に口から妙な笑い声が漏れてしまう。
そんなつもりもなく、あの時点では出来うる最良の選択だったとは思えるものの。私は愛している人を振ってしまった。想いを告げる事すら拒否してしまった。
そのダメージは、まるで予想していなかった展開とはいえ計り知れない程に大きかった。
拒否された彼の方が遥かに辛い筈なのに、拒否した側の自分がこんなに辛いだなんて思わなかった。
それはやはり嬉しかった分の反動なのだろうか。
振った筈なのに、しかし同時に振られたかのような衝撃が心を容赦なく打ちのめしているのだ。

「なんて自分勝手なんだろうね、私って」

散々彼を卑怯だなどと非難しておきながら、余程自分の方が卑怯に思う。
何故なら、ある意味彼の好意を利用しているからだ。自分に好意を向けてくれている事を知りながら、自分の勝手な都合でそれを保留にし、また別の人からの好意を受けて。さらにそれを断ろうとしているのだ。挙げ句保留にした想いをまた勝手な都合で受け取ろうとしている。
そんな自分の醜さにほとほと嫌になる。浅ましいことこの上ない。

「馬鹿じゃないの、本当…」

こんな筈じゃなかった。
こんな人間じゃないと思っていた。
自分に、失望した。

全てはタイミング。なんとなくそう思いはしたものの、この事態を招いたのはひとえに自分の愚かさ故だ。
迷って、悩んで、グズグズしている間に事態は最悪の方向へと転がっていってしまった。こうなってしまった以上、もうどうしようもない。

きゅ、とシャワーを止めて浴室から出る。
濡れた身体を適当に拭き、新しいタオルを身体に巻いただけの格好で寝台にダイブ。
普段ならこんな事はせずにちゃんと着替えて髪も綺麗に乾かすのだが、今はそんな気力もなかった。はっきり言ってどうでもいい。
姫が『風邪を引くわよ』とか言っていた気がするけど無視した。今はこのまま何も考えずに眠りたい。
…そうしてそのまま、私の意識は泥の中に沈んでいくようにして落ちていった。


「――んぅ…?」

こんこん、と部屋の扉を叩く音で目が覚める。
どれくらいの時間眠っていたのだろうか、霞む視界をなんとかして調整しながら窓の外を見れば、太陽は頂点に近い位置で輝いていた。
時間にしてだいたい5時間前後だろうか。思ったよりも深く寝入ってしまったようだ。目を擦りながら、身体から落ちかけたタオルを引き寄せて巻き直す。
まぁこんな貧相な身体を見て得する人間もいないだろうが、羞恥心を捨てたわけじゃない。

「どちらさま?」

「クノン様、私です。お客様がお見えになっておりますが、お通ししても宜しいでしょうか?」

外から聞こえてきたのはマリアンの声だった。お客様とやらが近くに居るのか、その口調はお仕事モード。

「…わかりました、では応接間にお通しして下さい、すぐに私も準備して参ります」

落ち込んでいるとはいえさすがにこんな素っ裸で人と会うわけにはいかないので、即行で着替えて身なりを整える。十分程で支度をして応接間へと入る。…と、そこに居たのは意外な人物だった。

「お客様って…ゼド!?」

そこに居たのは、今日のデートの相手であるゼドだった。入室してきた私の顔を見上げた彼の表情は、今にも泣き出しそうな程に憔悴していた。

「一体、どうしたの?待ち合わせにはまだ時間が…」

「クノン様!お助け下さい!!」

「!?」

「従姉妹が…、従姉妹が、拐われたんです!」

「従姉妹?…ゼドの従姉妹って…まさか!!」

聞けばファンダリアで会った、あの子…ラピスが父親に連れられて四日程前からダリルシェイドに滞在していたらしい。
どうやら探し回っても捕まらなかったのはこれが原因のようで、任務の合間を縫って構ってやっていたりしていたそうだ。
だが、昨夜。ふと目を離した隙に彼女が被っていた帽子と一枚の紙切れを残して姿を消した。
一緒に居た父親のドニクスは、何者かに襲撃されたらしく今は病院の中で治療中。そして残されていた紙切れにはこう記されていたそうだ。

「娘の命が惜しくば身代金50万ガルドを持って指定した場所に来い…と」

「身代金…」

「それとその場所なのですが…」

封印の洞窟。そこは何の因果か、神の眼を封じた場所だった。あそこには警備の兵士が常に居る筈。なのに何故わざわざリスクを犯す事になるだろう場所を指定してきたのだろうか。
…考えたくはないが、これは恐らく…。

「その手できたか…!」

ぎり、と歯を食い縛る。
ほぼ間違いない、十中八九、ヒューゴの仕業だろう。身代金というのは建前に過ぎない。
私と親い関係の、それもさらに弱い人間を拐い、人質に取る。人質を取られた者は、ほぼ間違いなく私を第一に頼る。そうして私の性格上、絶対にその頼みを断れないし他の誰も巻き込めない。その上で本命の要求を改めて突き付けてくるつもりだろう。その本命は言わずもがなだ。
やられた、としか言えない状況だった。あまりに単純過ぎて、逆に見落としてしまっていた手。しかしその効果は絶大で、罠とわかっていても飛び込む以外に選択肢は無かった。

「申し訳、ありません…自分が、あまりにも不甲斐ない…!」

「自分を責めないで、ゼド。大丈夫、絶対にあなたの従姉妹は、ラピスは助けるから」

俯く彼に優しく言葉をかけ、彼に立ち上がるよう促す。向かうはダリルシェイドの南、ファンダリアとの国境にある山脈の一つ・その中にある封印の洞窟。
…大丈夫。今はもう力の足りなかったあの頃の私じゃない。ラピスも、私の大事な人達も、絶対に守り抜いてみせる。


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