月へ唄う運命の唄
熱砂に溶ける氷壁4
――そう。妄言なのだ。
僕の傍にはクノンが居る。マリアンが居る。それだけでいいしそれが僕の全てなのだ。……なのに、クノンは違うのだろうか?
クノンも、同じようには思ってはくれないのだろうか?僕とマリアンだけでいいとは。
あいつは、僕らだけではなく周りの連中をも受け入れている。難なく溶け込んでいる。例外、と言えばヒューゴ様くらいのものだろう。
そしてそんなあいつと同じくらいに周りに溶け込んでいるのはスタンだ。僕がどれだけ突き放そうが全くお構い無しにずかずかと無邪気に能天気に踏み込んで来る。その強引さには気を抜けば思わず許してしまいそうな程だ。どうしてそんなに簡単に他人を信じられる?受け入れられる?……わからない。
それまでもなかったわけじゃないが、特にあの事件以降急激に増え始めたヒューゴ様の私兵としての裏の仕事で、嫌になるほど人間の愚かさや醜さを見てきた僕にはおよそ理解出来ない。
所詮はスタンも人間だ。我が身可愛さにいつ裏切るかもわからない他人なのだ。クノンとは違う。同じであるかのように見せているだけで、きっと自分に危険が及べば簡単に裏切って見捨てていくのだろう。
「……フン、そうだ。考えるだけ無駄だったな」
『何がです?』
「なんでもない。取るに足らん事だ……ん?」
訊ねてくるシャルを適当に誤魔化していると、誰かが戻って来た気配を感じて顔を上げる。
「ぁ………、ただいま」
クノンだった。気のせいか憔悴したような顔をしている。…目元が腫れている?
「あぁ。どうした?」
「何もないよ。ごめん、歩き通しでちょっと疲れちゃったから、少し休むね」
そう言って彼女は僕から部屋の鍵を受けとると、ふらふらとしながら奥へ行ってしまった。
……目を、逸らされた?
『坊っちゃん、クノンに何かしたんですか?』
「身に覚えはないな」
『だったらどうして』
「僕に訊くな」
そんなもの僕が知りたいくらいだ。いつもなら目を逸らされる事などはないし、今聞いた声は少し震えていたような気がした。が、今は恐らく訊ねるべきじゃない。落ち着けば話してくれるだろうと思う。それに本当にただ疲れただけかも知れないしな。
その時は、確かにそう思っていた。
しかし、その後時間になって起きてきた彼女はやはり様子が少しおかしかった。僕を見る目が、なんというか…辛そう、とでも言うべきだろうか。無理に痛みを抑えつけるかのような気配がするのだ。一体何を抱えているのだろう、悩みがあるのならば何故、相談してくれないのだろう。
歯痒い思いについ苛ついてしまい、寝起きの悪い馬鹿に出力MAXで電撃を喰らわせてしまったが奴はケロリとしていた。…タフな奴だ。
そして、なんだかんだと待ち合わせの神殿裏口へ到着すると、昼間打ち合わせた通りの手筈でフィリアに招かれ神殿の中へと侵入する事に成功した。
セインガルドの神殿とは違い、ここでは大規模な虐殺は行われていなかった為そこかしこに人の気配を感じる。だがだいたいはグレバムとは無関係の一般人で、深夜ということもあり客室で大人しくしてくれており侵入が発覚するリスクは殆どなかった。
ただそれでも、全くのリスク0とはいかない。巡回の僧兵どもが居る。この任務が本当に僕一人だけの"暗殺任務"なのであれば、遭遇する端から"黙らせる"事が出来るし簡単なのだが、今はそうじゃない。
足手まといが数人居る上に、何より"彼女"がいるからだ。
………彼女は、…クノンは、人を殺せない。技量が足りないのではなく、精神的な問題で殺す事が出来ない。
彼女は、死に近すぎるのだ。両親の死、あの時の魔物化した子供達の死がトラウマになっているらしく、無意識に回避してしまう癖がある。なまじ死者が視える目を持っているばかりに死んだ後の様まで見てしまう。視えない僕には想像するしか出来ないが、その光景は凄惨なものだろう。
だから、ヒューゴ様の私兵としての裏の仕事は全部僕が引き受け、表の華やかな仕事は彼女に任せた。……何より、彼女を汚したくなかった。綺麗なままで笑っていて欲しかった、のに。
なのに何故彼女は今、こんなに辛そうなのだろうか。
いかんな。今は先へ進む事が先決だ。
沈みかけた意識を切り替え、また一人巡回の僧兵を気絶させ縛り上げた僕は皆を先導し廊下を走る。
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