月へ唄う運命の唄
静寂の神殿と神官2
「血の匂いがする…」
耳が痛い程の静寂に包まれた、白亜の神殿。神を祀るに相応しく荘厳たる造りのそこは、深い森を抜けた先で整然と佇んでいた。普段ならば大勢の参拝者達で賑わう筈のそこには人の気配というものが一切なく、物音一つしない。私達が此処に到着してすぐに発せられたマリーの一言に、皆に緊張が走った。
『…視える?クノン』
「うん。沢山、…本当に沢山」
正門前に着いた瞬間、視界に飛び込んできたあまりの光景に、私は目を背けることも出来ずに釘付けになってしまった。そこには、沢山の無念が漂っていた。数えることも放棄してしまう程の無数の死者達が、自らの身に起きた出来事を受け入れ切れずに留まっていたのだ。
そして彼らは皆、一様に同じ方角に虚ろな目を向けている。…そう、静寂に包まれたストレイライズ神殿の入り口へと。
「…あの中に、何かがあるみたいだね」
『えぇ。どうやら、私達にして欲しい事があるようね。細かくは聞き取れないけれど、そう訴えているわ』
「…アンタ達、さっきから一体何を言ってるわけ?人が居るみたいに言ってるけど、誰も居ないじゃない」
「愚か者にはわからんものだ、気にするな」
「なんですってぇ?…ってあ、いや、なんでもないわ、やっぱり」
姫と正門周辺に残る思念について話していたら、不思議に思ったルーティが話しかけてきた。エミリオが装置のスイッチをちらつかせつつ詮索を拒否すると、ルーティはそそくさとマリーの背中に隠れてしまう。
「…使え」
そう言ってエミリオにふと突然差し出されたものがなんなのか、一瞬理解が追い付かなかった。
「…ハンカチ?」
戸惑う私の様子に呆れたような溜め息を一つついた彼は、「気付いてないのか?」と自分の目の縁を軽く叩きながらそれを教えてくれる。
「……あ……」
示されるままに自分の顔に触れてみると、触れた指が少し濡れていた。どうやら無意識の内に泣いてしまっていたらしく、少し恥ずかしくなった私は彼の胸に隠れるようにしながら借りたハンカチで涙を拭った。
「どうやら、中で何かあったようだな。…何が起こるかわからん、注意して進むぞ」
私が落ち着くのを見計らい、エミリオは皆を先導しつつ注意を促す。
そうして神殿の中に足を踏み入れると、やはり中は薄暗く此処にも人が居る様子はない。どこも朽ちているわけではないのに、まるで遺跡の中を探索しているかのような錯覚に陥ってしまう。…と、そこで集団を飛び出す目立つ金髪が一つ。
「誰かー!誰か居ませんかー!?」
『いきなり大声を出すな!何処かに敵が居たらどうする』
辺りを忙しなく見回しながら呼び掛けるスタンをディムロスが叱りつける。助けに来たと知らせたい、その気持ちは凄くわかるし彼らしいなとは思うけれど、少し不用心が過ぎるよ。エミリオなんか呆れて溜め息吐いてるし。
しばらく注意して進みつつ辺りの気配を探っていると、ふとフロアの奥に不自然な力の流れを感知した。それとほぼ同時にマリーが「あそこの扉が光っているぞ」と指をさしたので、私達はそこを調べてみることにした。
試しに近寄ってみると、私が感知した力の流れはこの光る扉へと集約されているようだった。道筋を追ってふと頭上を見上げると、なんともわかりやすい目印がふわふわと浮かんでいる。
『あらあら、これはまた随分と粗末な結界式ね。わざわざご丁寧に使われた"象徴"の数まで教えてくれているなんて…馬鹿にしているのかしら?』
『これはけっかいせ…え?』
私と同じく頭上でぼんやりと浮かぶ不気味なドクロを見上げていたエミリオ達に、この現象の説明をしようとしていたらしいアトワイトが驚いた様子を見せる。
『強制的に破りたいところだけど、肉体の無い今じゃ無理ね。…まさかクノンに憑依するわけにもいかないし…面倒だけど"象徴"に使われている道具を破壊するしかないかしら』
『あの…紫桜姫…さん?わかるんですか?ていうか、ほんと何者なんですか』
『こんな1足す1みたいな単純なもの、一目見ればわかって当たり前じゃない。……あぁ、そういえば言ってなかったわね。生前巫女だった私の得意分野は、結界や封印、治癒・再生術よ。呼称するならば、"守護術師"というところね。攻撃的なものも使えないわけじゃないけれど、趣味じゃないわ』
アトワイト同様、驚きを隠せない様子のシャル。ディムロスなんかは、明かされた姫の素性に感心したように短く唸るだけ。…ていうか、そんな話私だって聞いてない。
その時、少し古い記憶に僅かな引っ掛かりを覚えたことが気になって、懸命に掘り起こしてみる。
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