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Short Novels(D-Side)
おあずけの、その裏で

「…目元が少し、腫れてないか?」

そう訊ねれば、彼女は気のせいだと誤魔化すように僕から顔を背けた。
こういう時の彼女は非常に分かりやすい。嘘がつけない質なのだ。
下手な嘘はよせ、という意味を込めてわざわざテーブルを回り込んで彼女の頭を両手で固定し、逃げられないようにしてやれば愉快な程に目が泳いでいる。吹き出しそうになるのを堪えながら顔を覗き込んでやれば、何を緊張しているのかぷるぷると震え出した上に真っ赤になる始末だ。
…と、そこで僅かな違和感に気が付いた。

何故、赤くなっている?

いや、予想通りに目元は腫れていたし、少し眼は充血している。…泣いていたのだろうか?
優しい彼女の事だ、大方あの幼い子供を連れていった先で事情説明する時にでも感情移入し過ぎて泣いたのだろう、というのは想像出来る。それを知られたのが恥ずかしいのか?

そんな事を考えていた時、ふと彼女が何かを諦めたかのように静かにその瞼を下ろした。

…!?

そこまで来て、僕は初めて今のこの状況を客観視する事が出来た。

二人きりの深夜。他に人は居ない。至近距離で顔を寄せ合う(ように見える)、年頃の男女。静かにその瞳を瞑る、まさに目の前の少女…それも、己が秘かに想いを寄せる少女が、何かを受け入れようとするかのように、待ちわびるかのようにしているこの状況。

キス、という単語が浮かんだ。

長い睫毛、きめ細かな白い肌、小さく可憐な形良い唇…意識した瞬間、何かを強引に持っていかれた感覚がした。
僕は沸き上がるその衝動のままに、自らの唇をそこに重ねようとして――…


…――柔らかくて硬い、酷く平らな何かにぶつかった。

…何だこrそこまでよ、リオン。rえは!?

!?

あまりにも想定外な状況に一瞬思考が凍り付いた。
      ・・・・・・
…思考に直接割り込まれた?

驚いてキスの直前に閉じていた目を開けてみれば、そこはそれまでの暖炉の燃える薄暗い宿の一室ではない、見た事のない部屋の中だった。
強いて挙げるならアクアヴェイルの宿に様式の似た、馴染みのない部屋。座敷、というらしいそれに近い場所に居た。
それにたった今の今まで頭を掴んでいた彼女の姿はそこになく、たった一呼吸の間に僕はこの空間に一人で放り出されてしまっていた。

「…まったく、馬に蹴られたくはないから邪魔だけはしたくなかったのだけど」

唐突に声のした方を振り返れば、そこには一人の少女が居た。
白髪に近い色合いの、美しく流れるような銀髪。これもまたアクアヴェイルの服に様式の似た、しかし比べるべくもなく艶やかな着物を小柄なクノンよりもさらに小柄な身体に纏っている。あどけなさを色濃く残した愛らしく整った顔には紅柘榴の瞳……そして、"聞き覚えのある声"。

「お前は…紫桜姫、か?僕に何をした?」

「何をしてくれようとしやがったこの馬鹿野郎、と私からも小一時間程問い質したいのだけど…時間もないしいいわ。簡単に言えば、貴方の魂の"界"のみを切り取って、私の"界"と繋げたのよ」

「…僕の意識に割り込んだのか」

「厳密に言えば違うんだけど…そんな所ね。ちなみに先程貴方がぶつかったのは空気の壁よ」

…あの不思議な感触は空気だったのか。それにしても常識はずれな事をさらりとやってくれるな…本当に何者なんだこいつは。

「さて、消費したくない力を使ってまで貴方を呼び出した理由は、一つだけ。貴方、あの子に手を出すつもりならきちんとしたケジメをつけて欲しいのだけど」

「………」

「男と女、ですもの。雰囲気に流されてからの関係、というのも時には有りだとは私も思うわ。…でもね、クノンの事に限っては、私は許さない」

「何故お前の許可が必要なんだ」

「クノンの幸せに、私は文字通り"魂を懸けている"から…というのは駄目かしら?」

…なるほど、な。ただの過保護というわけでもないわけか。

目の前の少女は手にしていた扇を拡げて口元に持っていくと、ふう、と溜め息を一つ吐く。さらさらと白銀の髪が揺れ、優美な挙動とその美貌はそれ一つだけでも名画となりそうだった。

「意図せず衝動に負けてしまった事は…その、悪かった」

「わかってくれたならいいわ。あの子をモノにしたいなら…ちゃんと口説きなさい。はっきりとした言葉で、ね。その上で、あの子の意思を確認なさい。雰囲気も大切だけど、それだけじゃ駄目よ。もしあのまましていたとしたら、きっとあの子は今以上に苦しい思いをすることになるわ」

「ああ…同じ過ちは繰り返さん」

何より、思っていたよりも僕自身の気持ちが大きく膨らんでしまっていた事にも気付かされたところだ。あれほど容易く衝動に負けてしまう程度には。

「ならお話はこれまで。安心なさい、戻っても表では1秒も経ってはいないから。人の思考は、思うよりも高速で動いてるものよ」

紫桜姫がぱちんと扇を閉じたと同時、瞬きをした僕の目の前には瞳を閉じたままのクノンの顔が再び現れた。
彼女の言っていた通り、どうやら現実では本当に一瞬の間の出来事だったらしい。そんな事実に驚きながら、僕はとりあえずクノンから離れる事にした。
一刻も早く離れなければ、また彼女の唇の誘惑に負けてしまいそうだったから。

「…やはり腫れているな。待ってろ、今タオルを濡らして来てやる」

そうしてその場を去り、洗面所へと辿り着いてから漸くひと心地ついたと思えば、それまでだんまりを決め込んでいた奴が口を開いた。

『あのままキスしちゃうのかと思いましたよ。よく止まりましたね?』

「僕が自分で止めたわけじゃない」

『はい?』

「…シャル。お前は、僕の幸せに魂を懸けられるか?」

『いきなり何の事かはわかりませんが…そうですね。僕は坊っちゃんの幸せをいつでも願っていますよ』

「…そうか」

シャルの言葉に嘘偽りはない、というのはわかる。それが本心であろう事も。だが、あの銀の少女…紫桜姫の言葉を聞いた後ではどうしても軽く感じてしまう。それほどにその言葉は重く、澄んだ紅い瞳には底知れぬ決意が見て取れた。
まるでそれだけが己の存在意義だとでも言うかのような――戦慄すら覚える程の覚悟。
その表情を思いながら、僕は濡らしたタオルを絞り洗面所を後にした。

2014/12/28

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