夜空を纏う銀月の舞 始まりの前日譚1 ――はじめは、何の冗談かと思った。 あの日、あの場所で。自分は確かにこの命を散らせた。それは紛れもない事実で、厳然たる現実で、間違えようのない悪夢だった。 今でも、瞼を閉じればあの忌まわしい記憶が浮かび上がってくる。 不覚を取り、背後から首筋に食い込んでくる冷たく鋭い切っ先の感触。刹那、僅かな抵抗虚しく皮膚をぷつりと裂きその中をゾリ、と刃が走り抜けた後。ブツリと喉から紅い飛沫を吹き上げながら貫通していった刀の、その長さまでも。 傷付けられた喉から溢れ出た血液が気管へと入り肺に満ち、地上に居ながらまるで海に身を投げたように溺れていく中。失った血量と呼吸困難により身体が地面に転がる様を、そいつは"牡"を怒張させながら嘲笑って眺めている。 びくり、びくりと薄れていく意識に反して勝手に痙攣する身体を仰向けに転がしたそいつは、軽装甲冑の胸当てを剥がし、私の着物をはだけさせていく。 ……が、覚えているのはそこまでで、そこから先は幸いにも記憶がない。 恐らく、この途切れた部分から先は死んでいたのだろう。 次に気が付いた時には、感情の消えた顔で放心している彼女を眺めた事のない高さから見下ろしていた。 そうしてから先は、もう殆ど思い出せない。 辛うじて浮かぶものといえば、目覚める度に少しずつ彼女が美しく成長していく姿、くらいなものだ。 彼女によって魂を何らかの方法で保持されていたのは想像出来るが、わかるのはそこまでで、目的まではわからない。 そうして最後に彼女を見てから、一体どれ程の時間が経過したのだろう。 気付いた時には、見知らぬ部屋で見知らぬ男女に人形のように抱かれあやされている最中だった。 短い手足、声が言葉に形を作れない口、ぼんやりとあやふやな視界、満足に動かない身体……何の因果だろうか。 ――私は、"私"として、再びこの世に生を受けたのだ。 そこから先は大いに苦労の連続だった。 まず私は、赤子の演技から始めなければならなかった。 人は皆誰しも赤子から始まるが、その時代などを記憶している人間など皆無だ。 よって、時折不自然な動きをしてしまい、親を不審がらせてしまう事が多々あった。 次いで漸く身体が歩き回れるくらいにまで成長した時にも、幼子としては異常な速度で人の動きを修得していくように思えるだろう様は不気味にすら見えていたかも知れない。 さらに難儀な事に、この頃から私の身体に不思議な力が宿っている事に気が付いた。 これは生前にはなかった力……いや、僅かに持ってはいたが、ここまで莫大かつ強力なものじゃなかった筈だ。 おかげではじめの内は"余計なもの"とそうでないものの区別がつかず、深夜になって親を叩き起こしてしまうなどと迷惑をかけてしまったりもした。 しかしそれでも大事に愛情を注いでくれた母には感謝している。 ……余談だが、この頃には父は病で他界していた。なんでも、数年前の騒乱によって(俄に信じ難い話だが)空から大地が降り注いだ際、急激に変化した環境により新たな病などが横行するようになったらしい。父はそれにやられたのだ。 ともあれ、それから母は女手一つで薬屋を営みながら私を育ててくれた。 ……私に前世(といっていいのか)の記憶があって良かった。自信はあまりないが、少なくとも普通の子供よりは手を掛けずに済んだだろうと思うから。 そうして私が10歳を迎えた頃だ。ついに母も病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。 幼くして一人天涯孤独の身となった私は、それまで住み慣れた土地を離れ、旅に出る事にした。 再びこの世に生まれた頃から、この身に宿っていた力の謎を追う旅だ。 生前持っていたものと同質ながら、比べるべくもなく強力過ぎるこの力……私の知る限り、かつて一人しか持ち得なかった量。持て余したままに放置するのは危険過ぎる為、これを制御し扱う術を探さなければならない。 そのためのヒントは、幸いにもあった。 以前の騒乱の際、それに深く関わったとされる一人の剣士が遺したといわれる、この世界でただ一つきりの魔導書。 この力に適合するものでなくとも、それに記された記述から何か得られるかも知れない……その希望を胸に、私はそれが保管されているという知識の塔を目指した。 ――それから半年程が過ぎ、ある日目的の場所・知識の塔のあるストレイライズ大神殿付近のとある農村に到着した。 ふらつきながら宿をとるべく受付に宿泊を申し入れたのだが、生憎とその日は部屋が満室で入れずにいた。 聞けばとあるVIPが滞在している最中らしく、その付き人達の分もあるらしい。それまで三日程野宿が続いていた私が困り果てていると、脇から声を掛けられた。 若草色の髪に、優しげな瞳。その上に丸い眼鏡をかけた知的な女性だった。服装は白を基調とした清楚なローブを纏っており、そこから神職に関係する者だろう事が窺える。 「すみません、何かお困りでしょうか?」 たおやかな声音に、穏やかな口調。一声で誰かを癒せるような、そんな雰囲気を纏っている……見た目通りの人のようで安心した。 「えぇ、間が悪かったみたいで、宿が取れなくて」 「それはお困りでしょう、…そうですね。もしよろしければ――っ!?」 ? 私が顔を上げて目を合わせた途端、不自然に言葉が途切れた。彼女は口に手を当て、驚愕に目を見開いて固まっている。次いでその大きな瞳が次第に潤みはじめてきた。 「ま、まさか、そんな……」 「???……私の顔に、何か?」 不思議に首を傾げつつ問うてみたが、やがてそんなはずはありませんよね、と小さく呟くと彼女は首を横に振る。 「いえ……私の古い友人に、酷く似ていらっしゃったので……」 「そう、なんですか?」 少なくとも20歳は過ぎているだろうこの人に10歳の友人が居る、とは思えない。……まぁ大方、その人の子供の頃にでも似ていたのだろうが。 似ているといえば、再び生まれてから初めて鏡を見た時に驚いた事がある。 生前の顔に驚く程そっくりだったのだ。髪は白銀に染まり両の瞳は深い蒼、という二点を除けばだが。 ともかく、その日は彼女の厚意により彼女の部屋に泊めて貰う事になった。 夕食をいただいて風呂に入り、眠るまでの時間で互いに自己紹介をしあったり、他愛ない話で談笑したり。その中でも時折彼女の目が潤む瞬間が度々あったのだが、出会ったばかりで深く踏み込む事も躊躇われたので見ないふりをした。 何より、今の私の見た目は10歳なのだ。出来るだけ子供らしい話題の方がいい……精神的には一応、もう今の世でも大人とされるだけの年数は経ているのだが。 そうして翌日。フィリアと名乗った彼女の計らいで、私はストレイライズ大神殿までの道を同行させてもらう事になった。 なんでも彼女は神殿でも高位の神官職にあり、この村に滞在していたVIPその人だったという。 ……フィリア=フィリスといえば、先の騒乱を収めた英雄の一人だ。成る程、高位の神官かつ英雄、ともなれば相応の待遇にもなろう。 本人は「大層なのは肩書きばかりで…」と申し訳なさそうに恐縮していたが。かなり慎み深い性格らしい。 そうして二日後、私達一行は無事神殿へと辿り着き、フィリアさんの諸々の手続きが終わった後、知識の塔へと案内された。 ただ私の目的の物は通常閲覧出来る場所には保管されていないらしく、神殿の関係者でも一握りの者しか知らないという隠し部屋へと通される。 見た目子供とはいえそんな場所にあっさりと通してしまっているのは大丈夫なのだろうかと心配になったのだが、それを子供たる私が問うのも不自然だろうと飲み込んだ。 [back*][next#] [戻る] |