夜空を纏う銀月の舞
名前を呼んで4
「まぁそいつの話はわかった。基本的には馬鹿な3歳児と認識しておく」
「ん。でもいい子なのも、忘れないであげて」
あー……やっと落ち着いて来た……。今日の私、おかしい。混乱し過ぎて駄目だ。この子の腕くっ付けたら早めに寝かせてもらおう…。
「それと、お前が思いの外、純情だったという事もな」
ぶすっ。
「ひぐっ…!」
あ・の・ね…!!!!
「またやったのか」
「い、や、ややややめてっ!」
また伸びてこようとした手から全力で身を捻る事で回避。わかっててやってるよね、この人。
「キミ、意地悪って言われた事あるでしょ。絶対。このドエス仮面」
「……また妙なアダ名を増やすんじゃない…。何故普通にジューダス、と呼ばん」
「…………」
「おい。今の溜め息は何だ」
呼べるわけがない。そんな名前を普通に、なんて。冷たい振る舞いとは裏腹に、本当は優しいキミの事を"裏切り者"という名でなんて。
何故彼がそんな名で呼ばれる事を許容しているのかが未だにわからない。名付けのセンス、というか状況的にはカイルが付けたんだろうけど。あの子、そういう所考えてなさそうだからなぁ……理由を訊いたって「なんとなくカッコイイから!」とか言いそうだし。
「キミの名前は、そんな名前じゃない。それこそ似合わない」
「似合う、似合わないじゃない。……今の僕の名はジューダスなのだからな」
そう言って彼は私の座るソファから離れると、窓に向かって歩き出した。そしてそれきり、外の長閑な風景を眺めて黙り込んでしまう。
そんな彼に寄り添うように、お兄さんは隣に佇んでいる。その眼差しは、とても悲しげで。肉体のない自分を悔やむかのように、唇を噛んで何かに耐えている。……とても寂しい光景だった。
――そう、寂しかった。未だに、彼の名前を知らない事が。彼らの名前を知らない事が。
そして未だに、私をちゃんと名前で呼んでくれていない事も。
彼は気付いているだろうか?彼が私を直接呼ぶ時はいつも、「おい」とか、「お前」である事を。少なくとも、私は彼の口から聞いていない事を。他の子達は名前で呼んでいるのに。
……"仲間"じゃ足りないんだろうか。それとも、私はまだ仲間じゃないんだろうか。と、そう思ってしまう程、寂しかった。
「春霞 紫」
言ってみようかと、思った。私の、前世の名前。そうしたら教えてくれるかな、と。
……でも、喉まで出かかった声は、すとんと底が抜けたように遥か下まで落ちていってしまう。
私の名は、今を"生きている"お前の名はユカリ=トニトルスだろうと、誰かに怒られたような気がする。……いや、もしかしたら違うのかも知れない。
とりとめのない思考。
やはり、今日の私はどこまでもおかしい。一体、どうしたんだろう……?
――。
――――――。
此処はどこだろう。
誰かの声。
一つ、二つ。
蒼と濃茶。紅と蒼。
重なる。消える。
開く扉。
――――――――。
「――――はっ……!……はぁ、はぁっ……!!」
寝台がわりにしていたソファから毛布をはね飛ばして身を起こす。額に流れる汗を拭い、深く呼吸。
異様に速く打つ鼓動が落ち着くまでを、敢えて思考を空にして待つこと数分。
漸く落ち着きを見せ始めた体を確認し、もう一度深呼吸。
……夢…?
それにしては、妙に胸を締め付ける程にリアルだった。
であるのに、もう既にその記憶は遥か彼方へと消えかかっている。酷く断片的な欠片を思い浮かべてみるが、それらから意味を拾う事が出来ない。
なん、だったの……?
周りを"視て"も、影響を受けそうなモノは何もなかった。
それぞれソファやら床やらで雑魚寝状態の男連中はすやすやと寝息を立てるばかりであるし、漂う浮遊霊や地縛霊も今は近くに居ない。少なくとも感知出来る範囲には。
ならばどこかで何かを拾ったのだろうかと、自分を走査してみたが異常も無し。…つまり、原因不明。
感覚的には、多分何かの記憶…でも、今世でも前世でも、該当するような条件は覚えがないし…なんなの、本当……。
どうにも喉が渇いて仕方がなかったので、一度起きて水を汲みに台所へ。カップに注いで一気に飲み干せば、渇きも大分収まった。
……駄目、やっぱりわからない。
ただの夢であると言えば、頷く以外にはない。が、同時にただの、と容易に切り捨てる気にもなれない。
喉に刺さった小骨、……いや、それ以上に。
「どうかしたのか」
「――ひっ!?」
ひそめた声に勢いよく振り返れば、暗闇に白い輪郭がぼうっ、と宙に浮いていた。
思わずひきつった悲鳴を漏らせば、口に何か生暖かい感触があてがわれて押さえつけられる。
「〜〜っ!!〜〜〜〜っ!!!?」
なに!?これ!?亡霊!?
「落ち着け、僕だ」
目の前の白骨が顎も動かさずに聞き覚えのある声で囁いた。
「〜〜〜〜!…………?……!」
こくこくと首を縦に振れば、よし、と言って解放される。
「ぷはっ…さすがに、夜中の明かりがない所でそれは、心臓に悪い」
「…それは……正直すまん」
浮かぶ白骨の正体はなんてことはない、骨っこだった。眠る時には外していた筈のそれをわざわざ被ってまで来るなんて、余程正体を知られたくないらしい。
「自覚あるならもう少し考えて。…仮面、替えるとか」
「やめろとは言わんのか」
「隠すのは、隠すなりの理由がある。…私も、キミと一緒だから」
「!……そう、だったな」
一時の沈黙。
「どうか、したのか」
そしてもう一度、初めの質問を繰り返した。どうやら心配して起きてきてくれたようだと、そこで漸く気が付いた。
「ううん、…ちょっと、夢を見ただけ」
「それにしては随分と魘されていたようだが」
「大丈夫、…大丈夫だから。心配してくれて、ありがと」
表情は見えないだろうけれど、声だけでも安心させるよう柔らかく礼を言う。そのままソファに戻ろうと歩き出すと、急に手を掴まれた。
「?」
「嘘をつくな。生憎だが、僕は"そういうの"には鋭いんだ。………記憶か?」
!
「抱えこむんじゃない。責任だと、言っただろう」
「………」
ううん、多分、違うよ。
そう言えばいいのに。言いたいのに。
言って、早とちりして心配してる彼を安心させてあげたいのに……声が出ない。
思い出そうとさえしなければ、死の瞬間の記憶は浮かばない。生まれ変わってすぐから暫くは、確かに悩まされた記憶だけど。でも今は夢でさえも見る事はなくなった。
だから大丈夫なんだよって言いたいのに、伝えられずに握られたままの手。
「来い」
そのまま彼に連れられて、静かに私が寝ていたソファへと腰を降ろした彼の脇に座らされる。さらに、彼の膝の上に頭が乗る形で引き倒された。…ちょっと、この、状態って。
「……あの」
「なんだ」
「これ、ナニ?」
「黙って寝ろ」
「こ」
「寝ろ」
わぁ、強引。寝ろって言うけどコレ逆に心臓が睡眠妨害するんですがどうすればいいの。
というか、もしかしておかしいのは今日の私だけじゃないのかな。なんだか彼が妙に優しい、むしろ私に甘い。具体的には糖分摂りすぎて病気になるんじゃないかってくらい甘々。
「余計なことを考えるなよ」
と言いつつフードを被りっぱなしのまま寝転がされてる私の目の位置に掌があてがわれる。無理矢理にでもこのまま寝かし付けるつもりらしい。
どうしようか、と考えている内にだんだんと眠気が襲って来はじめた。やはり少々、疲れが溜まっているのだろうか。
…もう、なんだかこのままでもいいような気がしてきた…
もう、例え今日一日だけの優しさだとしても、おかしくなった私に彼が引っ張られただけだとしても、せっかくの優しさなら。
このまま、甘えてしまおう。
そう決めた私は、そのまま力を抜いて眠りに落ちて行った。……柔らかな心地よさのせいか、夢は見なかった。
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