夜空を纏う銀月の舞
その出逢いはきっと。2
薄暗く、煤汚れた天井を見上げながら私は手を伸ばした。当然の事ながら、伸ばした手には何も掴むものはない。それは握りしめてみても変わらなかった。
何故なら、今私は硬い石の敷き詰められた床で仰向けで寝ているからだ。
どうしてこうなった。
恨めしい気持ちを込めて、少し遠い位置にある鋼鉄製の格子付き扉を見やるが、そんな事をしても自動的に開いてくれるわけでもないし、まして温かい食事をカートに乗せてにこやかに給仕が入ってくるわけでもない。
「おなかすいた……」
出ようと思えばこんな所はいつでも出られるのだが、なんとなく億劫でやる気が湧かない。先程お隣に新人さんが入居してきたらしいが、ぎゃんぎゃん吠えてたペットも鳴き疲れたらしく今は静かになっている。
隣との境になっている壁はあまり厚くないようで、静かになっているとはいえ時折くぐもった話し声が響いていた。
独りで寝転がっていても寂しいので、いっそぶち抜いて乱入してみようか、などと一瞬考えたがそれも鉄扉を破るのと同じ程度には面倒なので却下した。
どうしてこうなったんだっけ……。
そうして私は、先程途中で止めた思考を再び動かしてここに来るまでの経緯を思い出すことにした。動かなければ空腹も我慢出来そうだったから。
――「ユカリさまおっはよーペふンっ!?」
飛んで来る虫を払いのけるようにして、寝起き早々私の服の中にダイブしようとした女の子ははたき落とされた。
「いったぁーいっ!いきなり何するんですかこんな超絶・美少女に向かって!」
「キミが整った顔なのは人形だからでしょ。朝から服の中に頭から突っ込まれた上に胸揉まれる趣味はないから。嫌がらせ?」
けちー、とぶすくれる身長約15センチ程度の女の子。この子の名前はフィオ。表向きは"魔女"と名乗っている私に合わせて使い魔と呼んでいるが、実際の所は人形を依り代にした式神だ。
ちなみにこの人形は手作りで、騒乱の後に薬品調合に代わり平和な趣味を、という事で手芸を始めたらしいフィリアさんの作品の一つ。
彼女はそうして作った作品を、定期的に出ている奉仕活動の一環として恵まれない子供達にプレゼントして回っているのだ。神団の中でも高位・さらに四英雄の一人という立場にありながら、今でもそうして自ら先頭に立って活動している彼女は一際民に慕われている。
それを一つ譲り受けて……というわけでもなく、フィオが私の元に居る理由は他にあるんだけど……。
式神化するにあたり、どういうわけかこの子は私に主従の忠誠以上に過剰な愛情を示すようになった。今のセクハラ未遂もその一つで、目覚めるのが遅れた時などは本当に揉まれている事が多々あった。
「ユカリさまのいけず。……あ!じゃあおはようのキスしましょうよ!」
「しません」
ぺち、とデコピンの要領で軽く布団の上から弾くと、きゃーっ♪なんて楽しそうな声を上げて転がっていく。
この子はなんていうか……いつでも楽しそうだ。私もこの子と同じくらい笑っていた時期もあったかと思うと、少しだけ切なくなる。そんな自分を殺すようになったのはいつからだったろうか……いや、詮なき事だ。後悔なんてないし遠い時代の事なのだから。
少しだけそんな事を考えてぼうっとしてたら、いつの間にか弾いたはずのフィオが頭の上に乗っかっていた。
「ユカリさまってばー!聞ーこーえーてーまーすーかー!?」
「ん。聞こえてるよ」
「嘘だっ!……ってわわわ、頷かないでくださ……ひゃあああ!」
落ちた。……にしても本当にこの子はたのし
「またトリップしないでください!」
「ごめんごめん」
苦笑いしながら彼女を肩に乗せて立ち上がり、顔を洗おうと洗面所へ向かう。
私が住んでいるのは、元は例の隠し部屋だった。フィリアさんの厚意でよりここの蔵書に触れていられるように、と住み込みでの管理人職を勧められた。
当時10歳だった私を、ふらりと降って沸いた余所者の私をそんな役職につけようと推すフィリアさんには、神団内部で相当な苦労を強いてしまったと思う。何故私にそこまでしてくれるのかを訊ねた事があったが、曖昧に笑い返されただけだった。
……けれど私には心当たりがある。これが本当に私が見た目通りの、実年齢通りの精神だったなら誤魔化されたかも知れない。でも、あの時点でも私の精神は20歳を越えていた為か、わかってしまったのだ。
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