夜空を纏う銀月の舞 動き出す7 「人々の救いは神の願い……、それを邪魔する者は誰であれ容赦はしない」 各々展開した私達を、エルレインは一瞥することすらせず。その無感情な瞳はリアラただ一人に向けられている。 「私を止めることは誰にも出来はしない……」 彼女の胸元に下げられたレンズが、怪しい輝きとともに急速にその力を解放し始める。 「なにを……っ!?」 嫌な予感がする。あれは、バルバトスの使う空間移動の術の予兆に似てはいる。 けれど、その力の規模が違いすぎる。 あれはもっとそれを拡張した……、――っ!?いけない! 「みんな、エルレインを止めて!!」 あんなものが発動したら、標的になったリアラがどの時代のどんな空間、どんな次元にまで飛ばされるかわかったものじゃない。 ……そう、あれは空間移動なんてものじゃない。時空移動の術だ。 桜姫の秘術を解析して、簡略化した空間移動の術式を戦闘で使う私にはわかる。 あの規模の力を自在に操るなんて、成熟した聖女というモノはそこまでの存在だというの!? 慌てた声を上げる私に何かを感じ取ったらしいみんなが一斉にエルレインに向かって走り出す。 けれど、みんなが彼女の立つ場所へと到達するより術の発動の方が早かった。 「そう、たとえお前でもだ。リアラ」 「いや、やめて!わたしにはまだ果たすべき使命が!」 慄き身構えるリアラの胸元に、エルレインから放たれた力の塊が瞬きの間に到達する。 するとそこから、膨れ上がるようにして強い光がリアラを飲み込んでゆく。 「未だに何も見出せぬ者に、ここに居る意味はない。帰るがよい、弱き者よ」 「いやぁああああ!」 同じ聖女でありながら、役立たずと罵られ切り捨てられた少女の悲鳴が、謁見の間いっぱいに響き渡る。 光に呑まれる彼女の体が、空間の歪みによってぐにゃりと溶けた飴細工のようにひしゃげ、その輪郭が急速に失われていく。 そして助けを求めるようにして伸ばされたその手に、すぐそばに居たカイルの手が伸ばされた。 「リアラーーーーーー!」 「カイル!リアラ!」 ロニと私の叫ぶ声が重なる。 リアラの手を掴んだカイルの体も、光に飲み込まれあっという間に輪郭を失っていく。 そしてそれを追いかけてロニ、ジューダスの二人も光の奔流へとその身を投げ出す。 「みんなっ!?」 「ユカリさま!追いかけましょうっ」 フィオもいつの間にやらその体を縮めて私のバッグへと入り込んだらしく、頭だけを出してはやくはやくと叫ぶ。 「〜〜っ」 悩んでる暇はない。 今すぐにあの光に飛び込まなければ、同じ場所には辿り着けなくなる。 恐らくすでに”差”が生じているはず。 早く行かなければリアラ達の居場所や時間と大きくずれ込んでしまうし、光が閉じてしまった後では今の私では追跡が不可能だ。 役目を終えたとばかりに既に縮み始める光の穴。 と、その時だった。 逡巡の間に視界に入った、あるものに意識が向いた。 ――そうだ。私は―― 「フィオ、みんなをよろしく」 「は?……って、ちょっと、ユカリさ――」 フィオの抗議の声を無視した私は彼女をバッグから取り出し、もはや人一人通ることもかなわなくなりつつあった光の穴へと全力で投げつけた。 小さなままのフィオが穴の中を通過して行ったと同時、時空移動の穴は完全に塞がれ空間の歪みが収まる。 後に残ったのは、私と、エルレイン、謎の剣士に……血まみれで倒れるウッドロウさん。 「……後を追わなくて良かったのですか?」 エルレインが問う。 それに答えないまま、私は倒れるウッドロウさんの前に膝をつくと、一枚だけ残していた回復の札を彼の体に乗せて起動する。 「あの子達は恐らく、もうここには戻っては来ないだろう。……いや、戻ってこれないと言ったほうが正しいかも知れないが」 「彼らをあまり、甘く見ないでほしい」 苦悶の表情を浮かべ呻いていたウッドロウさんの呼吸が落ち着いたのを確認した私は、立ち上がると鞘に納めていた刀の柄に手を添えつつエルレイン達の方へと向き直る。 なんのためにフィオを彼らに同行させるように光へと投げたのか。 なんのために私がここに一人、残ったのか。 彼女らはまるでわかってない。 「何かここへと戻る算段でもあるというの?最後に投げたアレがその手段だと?」 「ううん、そうじゃない。あの子は保険……というか、目印に付けただけ」 フィオは常時、私からの巫力を供給するために回路が繋がっている。 だからどれだけ離れていても、なにをしていても位置や安否がわかる。 時空を超えた向こう側へと渡っていった今も、幸いそれは変わっていない。……捕捉出来るかは賭けだったけれど。 「彼ら……ううん、この場合はきっと、リアラ。彼女がなんとかしてくれる」 それを聞いたエルレインは一瞬、意外であったとばかりに目を細めた。 が、すぐに憐れみの表情へと変える。 「リアラか。あれには期待するだけ無駄だ。何も見出せない、何も出来ない、使命に殉ずる力すらもない……だから、帰したのだというのに」 「でも、彼女は一人じゃない」 聖女という役目を背負う覚悟は本物だと感じたし、折れそうになっても、きっと彼女はまた立ち上がれる。 傍で励ましてくれる仲間が、支えてくれる仲間が居るから。 だからきっと大丈夫。 「なら、一人のお前はどうだというの?この場でただ一人きり、私達に対峙するお前は」 すう、と静かに腕を上げ、まっすぐに私を指さすエルレイン。 合図を待っているのだろう、傍の剣士が闘気を練り上げながら鋭く睨み付けてくる。 「……私は、私の恩をウッドロウさんに返すだけ。これ以上、”私の仲間”に手は出させない」 かつて凍える雪山で、蒸発し干上がった湖の底から助けてくれた恩を、わたしはまだ返していない。 彼に命を救われたからこそ、生き延びることが出来たのだから。 ……だから今度は、ここで彼を護る事によってその恩を返す番だ。 「一国の王を、仲間と……?――そうか。目覚めたということか」 目覚めた……?まさか。 「その目。その力。その魂。あの男とともに、この手で蘇らせようと試みたもののそれを弾いたお前は出来ればこちらへと招きたかったのだが……ままならぬものだ」 「私が”誰”なのか、あなたはずっと知っていたんだね」 「その通り。だからあの時、条件を出したというのに」 ぎり、と思わず唇を噛みしめる。 その条件は、病の親子とフィリアの命を天秤にかけたものだった。 かつて、病に倒れた母親を救おうと駆けずり回った先で私と出会った少女がいた。 しかしその少女もまた、同じ病に冒され衰弱しきっていた。 当時の私ではまだその薬の調合は出来ず、最後の手段と当時から数々の奇跡で人々を救っていたエルレインを頼った。 けれど、神団にてより確固たる地位を得るためにフィリアが邪魔だったエルレインは、救う代わりに大量のレンズの寄進とフィリアの暗殺を条件に出してきたのだ。 結果、レンズは集められず、また今世の恩人であるフィリアを害すことも出来ず……親子は命を落としてしまう。 その時に少女が抱いていたぬいぐるみを、私は戒めとして引き取った後に式神の触媒にした。 忘れないように。繰り返さないように。 私にもっと薬の知識があれば、救えた命だったのだから。 「あんな条件を出して、私が思い通りに動くはずなんてないのに」 暗殺の手段として手渡されたのは、毒草の混じった茶葉が入った袋だった。 親子を救う代わりにこれを使った茶をフィリアへと出してくれればいい――なんて、そんなあからさまに怪しいものを鵜呑みになんて出来る筈がない。 これがおそらく、私があの年相応の精神しか持ち合わせていなかったとしたら、素直に言われたままにしていたかもしれない。 それだけで目の前の苦しむ人が助けられるのだから。 でも、手渡されたそれを私はエルレインの目の前で確認して、投げ捨てた。 「誤算だったのはお前が年齢にしては異様に成熟していた事、疑り深かった事……それ故に、下手に動けなくなってしまった」 ふう、とエルレインにしては珍しく、深く息をついた。 本当に誤算だったのだろう。 文字通り子供を扱うような安易な懐柔策は通用しなくなったどころか、その後においてもフィリアに対して害意があると知られてしまった以上、表立って目立つことは出来なくなったのだから。 「……でも不思議だった。どうして私をあのまま放置していたのか。それこそ、秘密裏に口封じしてしまったほうが楽だったのに」 「ええ、それをしてしまうのは簡単ではあった。だが、お前のその力が惜しかったのもまた事実。だからこそ、今日まで生かしておいたのだ」 すう、と剣士が一歩、歩み出る。 わたしもいっそう気を張って、身構える。 けれど、それをエルレインは手で制してゾっとするような笑みを私に向けた。 「今はまだ、その時ではない。お前が目覚めた以上、戦えば負けはしないだろうが、無傷とはいかない……であればこそ、此度はここまでにしておこう。――目的は無事、達されたのだから」 ふわり、エルレインの周りが現れた時と同様、重力を失ったかのように彼女と剣士を浮かせて眩い光に包まれていく。 「お前もまた、救いを必要とする哀れな人間……乞われればいつでも、この手を差し伸べよう――」 恐ろしい程までに柔らかな声を残し、エルレイン達の姿は光とともに消え失せる。 どさり。 彼女らの姿とともにその気配が消えた途端、緊張の糸が切れたのか足の力が抜けてその場に座り込む。 危なかった。 正直な話、もう殆どまともに動けるだけの体力が残っていない。 全身の汗を吸った服は重く、呼吸も荒れて物凄く息苦しい。 足も腕も、痙攣するかのように小刻みに震えていて、完全に限界。気を張っていなければいつ倒れ込んでもおかしくはなかった。 それでも旅を始めた当初から考えれば飛躍的に体力は向上し、継戦能力も格段に上がってはいる。 でも、それでも、まだ足りない。 18年前から見ても、遡ってその前世の時代から見ても、遠く及ばない。 「はぁ、はぁ……退いてくれてよかった……」 本当に、命拾いした。 ――だけど。 ふと背後を見る。 痛々しい程に傷ついてはいるけれど、今は呼吸の乱れもなく眠りについているウッドロウさん。 静かに上下する胸元に、確かに生きていてくれる事を実感する。 「今度は、守り抜けた……あとは……あん、ぜんな……ばしょ…………で……」 すう、と全身の感覚が鈍く消えていく。 どうやら本当にぎりぎりだったみたいだ。もう、意識が…… そうして私は、守り通せたという安堵からなのか、意識を手放したのだった。 2019/3/30 next,,, [back*] [戻る] |