夜空を纏う銀月の舞
動き出す6
「――これで最後、か」
なだれ込んできた魔物達、その最後の一体に剣を突き立て、その消滅を確認した彼……ジューダスの声。
戦闘に一区切りつけた私達の後方で、傷付いた兵士達の治療に当たっていたリアラ達も一段落ついたらしい。
額に浮き出た汗を拭いほっとした表情が見える。
「ふい〜、まったく次から次へと……ったく、キリがねぇんじゃねぇかと思ったぜ」
重いハルバードを肩に担ぎ、やれやれといった調子で溢すロニに、やや疲れた表情のカイルもそうだね、と頷いている。
私は刀を腰へと差して体へと溶かすと、治療を受けて眠るラピスの下へと駆け寄って、仰向けに寝かされお腹の上に置かれていた手を取り、そうしてその温もりを確かめた所で漸くほっと一息つく事ができた。
「良かった……本当に、良かった……」
「その人、正直な所かなり危なかったわ。ユカリが応急処置してくれてなかったら、間に合わなかった」
「ん。本当にありがとう、リアラ」
そう感謝を込めて彼女の目を見て言えば、言われた彼女はどういうワケかぽかんとした表情。
不思議に思ってどうしたの?と問えば、なんでもないわ、どういたしましてと流されてしまった。
と、そこへ剣を収めたジューダスがこちらへとやって来ると、懐から私の仮面を取り出して差し出してきた。
無言でずいと強引に私に持たせると、そのままくるりと踵を返し、謁見の間へと続く階段へ向かいながら「まだ終わりじゃない、先へ急ぐぞ」と一言。
そうだ。謁見の間のすぐ手前、このホールまで敵が侵攻していたのだ。きっとこの先にも敵は進んでいるはずで、気を抜いている場合じゃない。
強引に返された仮面を着けつつ、緩みかけていた気を引き締め直す。
「そうだ、ウッドロウさん!みんな、急ごう!」
そう号令をかけたカイルに頷き、それぞれの武器を構え直し謁見の間へと向かう皆に続いて、私は眠るラピスの手をそっと離し後を追った。
長い階段を駆け足で上り、謁見の間へと入る。
するとそこには、隆々とした筋肉に巨大な戦斧を持った見覚えのある大男が傷付き血にまみれたウッドロウさんを見下ろしていた。
「ウッドロウ!!」
驚き叫ぶジューダス。普段冷静な彼も、かつての仲間が傷付けられたとあればその限りじゃない。
そんな彼には目もくれず、見覚えのある大男・バルバトスが、ウッドロウさんへトドメの一撃を振るうべく戦斧を振り上げる。
瞬間、私の感情は刹那に沸騰した。
「させるかぁあああ!!!」
ばぢり、私の足から青白い火花が弾け、次の瞬間には戦斧を持つバルバトスの右手首を斬り落とすべく刀を振るっていた。
「ぬぅ!?」
しかしその爆発するような怒りから発せられた殺気を感知したのか、咄嗟に身を捻り回避され羽姫の刃は空を斬る。
一足飛びで十数メートルを移動した私は、空振りに終わった刀を引き戻し直ぐ様振り返ると、ウッドロウさんを背にして再びバルバトスへと飛びかかる。
打ち鳴らされる激しい金属音。
今の私に出来る最高速に近い斬撃を戦斧の柄で受け止めたバルバトスは、一瞬だけ面喰らったような表情を見せた後、その表情を凶悪な笑みへと歪ませる。
「ほう……誰かと思えばいつぞやの魔女ではないか。その剣速、その殺気……以前とは比較にならない。歯ごたえのないそこの英雄擬きよりは楽しめそうだ」
「フィリアにルーティ、……っ、二人に続いてウッドロウさんまで!!お前は許さない!」
ぎちり、競り合う刃と柄の軋むような音。
腕力で遥かに劣る私に比べ余裕のバルバトスはくつくつと喉奥で嗤う。
その余裕を奪ってやる。
強化した生体電気を変質させながら体の外へ放出。刀の刃を介してバルバトスの戦斧へと流し込んで弾けさせると、感電したバルバトスは低く呻きながら慌てて飛び退いて距離を取った。
「小癪な真似をする。貴様と長く武器を合わせると多少、面倒なようだな」
「遠慮はしなくていい。存分に痺れさせてあげる」
次の一手を、そう握る刀に力を込めて飛びかかろうとする私から、ふと視線を己の背後へと向けたバルバトス。
その視線の先では、それぞれの武器を手に構えた仲間達がいた。
「カイルと言ったか、小僧」
名を呼ばれたカイルに、緊張が走る。
あれから皆、それぞれ経験を積んで強くなってはいる。
けれど、それでもまだ本気を出したバルバトスには及ばないだろうことは容易に想像がつく。
「貴様とは、妙な縁があるようだな。だが、既に俺の目的は達した。後はあの女が勝手にすること……」
そう言うバルバトスの周囲で、不意に空間が歪み始めた。
あいつ、逃げるつもり!?
「待て!お前は私が斬る!!」
「貴様とはまた今度遊んでやる。それまでにもう少し、腕をあげておくんだな」
強化した脚力に任せ、爆発的な速度でバルバトスへと振るった斬撃は、空間の歪みによって生まれた黒い穴へとその身を沈ませたバルバトスには届かなかった。
「逃げられた……」
悔しさに、羽姫の柄を握る手にぎゅっと力が入る。
あの男はいつか必ずこの手で倒す。
散々私の大切な人達を傷付けてきたその報いは、絶対に受けて貰うんだから。
敵がいなくなった事で武器を収めた仲間達の中、一番にウッドロウさんの元へと駆け寄ったのはジューダスだった。
「大丈夫か、ウッドロウ!」
敬称も付けずに一国の王を呼び捨てる、その不自然さに気付く者も居なければ、不敬を問う者も今は居ない。
何故ならば、王の護衛達の殆どは先程のサブノックの迎撃に向かい返り討ちに遭い、また残った少数の者もバルバトスに殺されてしまっているからだ。
ウッドロウさんを守る為に盾となって散ったのだろう、周囲に横たわる勇士達に密かに手を合わせる。
どうか、彼らに安らかな眠りを。
「フィリアさんに続いてウッドロウさんまで……このままでは時空に大きな歪みが生じて……っ……!!まさか」
「だとしたらなんだというのかしら……リアラ?」
思案に耽っていたのかリアラが独り言を呟いていたけれど、やがて何かに思い当たったのか青ざめた顔を上げる。
そしてその問いに答えるかのように姿を現したのはーー輝きの聖女。
「エルレイン……!」
恐怖を覚える程の穏やかな光に包まれて虚空より現れた彼女は、その姿を見たことにより一層顔を青ざめさせるリアラへと冷たい視線を送る。
そう、神団の者達や信者達に見せるような慈愛に満ちた目ではなく、明らかな侮蔑の視線。
これまであんな目は一度として見せた事はなかった。
そう、レンズの寄進の出来ない貧しい人々に対してすら、そして彼女の正体に感付いている私に対してすらも。
そしてこれで彼女ら二人の聖女の関係も見えた。
二人はともに同じ存在――神と称する何者か――から生まれた分身でありながら、決して対等ではない。
内包する力の総量も、聖女としての完成度も、エルレインはリアラの上位存在だと言える。
だからなのだろうか、エルレインがリアラを見下しているのが手に取るようにわかった。
リアラを一瞥したエルレインは、すぐにその目を傷ついたウッドロウさんへと向ける。
「なるほど、実に彼らしい。どんな英雄であれ、容赦はしないという事か。……あの時素直にレンズを渡していれば、こんな目に遭わずに済んだものを」
「そう、神の意思に逆らった罰、とでも言うつもり?」
そういう事。
ファンダリア……ウッドロウさんが持つ大量のレンズを狙ったエルレインは、始めは血を流さないようにと穏便に交渉に赴いた。
けれど、ウッドロウさんは頑として譲らなかった為に今度は強攻手段に出た。
己の目的を阻まんとしたウッドロウさんへの制裁も含めて。
「聖女が聞いて呆れる非情さ、ですね」
「情ばかりでは、人々を救う事など出来はしない」
「救い、ですか。その救う筈の人々を傷付けていては本末転倒じゃないんですか?」
「神の意思に背き、救いを拒んだのはそこの人間だ」
相変わらず、だね。
本当に何も変わらない。
「レンズの寄進をしない者は救いの対象からは切り捨てる……そうやってあなたは何人の命を見捨ててきたの?」
かつて、そうやって一人の少女を見殺しにしたように。
「……お前は未だ、あの赤の他人の少女に囚われているのだな」
否定はしない。
囚われているからこそ、式神としてフィオを創り、今世の私は薬屋になったんだから。
「エルレイン!あなたは間違っているわ!こんなやり方で人々を救えはしない!」
冷たいエルレインの視線にいくらか萎縮してしまっていたリアラだけど、強引で犠牲を厭わないそのやり方に憤りを抑えきれなかったらしい。
けれど、
「……ではお前はどうするというの?未だ何も見出せないお前に救いが語れるとでも言うのか?」
冷静に、淡々とリアラの痛い場所をつくエルレインに、リアラは勢いを殺され口ごもってしまう。
そんな様子にただひたすらに戸惑うばかりのカイルを横目に、ロニはハルバードを構えて戦闘態勢に入る。
「わかんねぇ事だらけだが、一つだけハッキリしてる事があるぜ」
言いつつ足を開き、腰を落とす。
「それはあの女が黒幕だって事だ!覚悟しろっ!エルレイン!」
言うが早いか、エルレイン目掛けて突進するロニ。
彼の握るハルバードが、今まさにエルレインへと振り下ろされる刹那、彼らとの間に割って入る影があった。
ガンッ!と凄まじい激突音。
ロニの振るったハルバードは、間に入ったブラウンの髪を逆立てた男の両手剣に阻まれ、いとも容易く弾き返されてしまった。
「ロニ!」
「エルレイン様には指一本触れさせん」
吹き飛ばされてきたロニに手を貸してやりながら、突如として現れた剣士を観察する。
彼の装備は先のサブノックとは対照的に軽装であるものの、その佇まいから感じる威圧感はサブノックの比じゃない。
彼よりは更に数段上……ともすれば、バルバトスに匹敵するのではないだろうか。
今はまだ単独でぶつかって勝てる相手じゃないことは、容易に予測出来る。
それともう一つ気付いた事がある。それは……
「ならばっ!」
その時、エルレイン達の注意が一瞬ロニへと逸れた所を隙と見たジューダスが、別方向……彼女らの死角になる位置から斬りかかった。
「……っ!!」
けれど、どうやらそれはエルレインの予測の範囲から出なかったらしい。
いつの間にやらその手に出現させていた光の長槍によって彼の剣は遮られ、さらに晶力による衝撃波で彼も弾き飛ばされる。
「ジューダス!」
「……っ、僕に構うな!奴を!」
受け身をとっていた為にすぐに立ち上がったジューダスに頷き、私はフィオに目配せすると刀を杖に変換し術の準備へと入る。
その間にフィオは護衛の剣士に向かいエルレインから彼を引き剥がしにかかる。
「カイル!リアラをお願い!」
「わかった!」
唐突に始まった戦闘に一瞬呆気に取られていたカイルだけど、そこはスタンの子供。
未だ戸惑い棒立ち気味のリアラを護るべく、剣を構え彼女を背に庇う。
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