Remedy
「どうすればよかったんだ」
何もない、真っ暗闇の空間。そこにただひとり、琥珀は立ち尽くしていた。
身体は濡れ、重く、足を踏み出すことさえままならない。
それでもと、ゆっくり一歩、また一歩と踏み出すごとに、ぴしゃりと水のはねる音が空間を、そして鼓膜を震わせる。
なぜ自分がここにいるのかはわからない。
でも、ただただ、この何もない、空虚な場所から抜け出したいという一心で重たい身体を動かす。
すると、突然、琥珀の視界を照らすものがあった。
そこに広がる光景に、琥珀は思わず足を止め、目を見開いた。
眼下に広がるのは、一面に広がる、赤、朱、紅。
揺らめく炎。それを映す、空。
彼方から聞こえる声が、琥珀の記憶を呼び覚まし、心を揺さぶる。
――それが、この国のためなら……――
――この国の、我らの未来を、お前に――
――どうか、貴方は。貴方だけは……――
大切なものは、たくさんあった。
それを守りたくて、失いたくなくて、力を得た。
それなのに、気付けば己の手の中には何ひとつ残っていない。
その現実を、改めて思い知らされる。
(これが僕の……”俺”の罪だって、運命だって。そう言うのか……!)
先の見えない闇の中で、ひとり立ち尽くす。
手のひらで包んだ光は、指をすり抜け、消えてゆく……。
振り返っても、そこにあるのは、紅く煌めく、炎。
(なぁ、”俺”は……一体、どうすればよかったんだ)
紅い炎に照らされて、黒い鳥たちが舞う。
その先に立つ彼に、琥珀は手をのばした。
しかし、彼は首を横に振り、決してその手を取ろうとはしなかった。
――お前だけは、変わらないでいろよ――
その言葉と同時に、黒い鳥たちによって作り出される闇に紛れ、彼の姿がだんだんと遠ざかっていく。
琥珀の視界もまた、おびただしい数の鳥たちに遮られていった。
( 待ってくれ! ”俺”は……、僕はっ!)
――けど、もしも……。お前が運命を恨むときが来たなら、そのときは――
――――っ!!
闇の中に消えていく彼の名前を叫び、必死に手を伸ばす。
しかし、琥珀の意識は目の前の闇に飲まれていった。
(……! ………、……琥珀!!)
「琥珀、しっかりしなさい!」
「!」
ぼやけた視界に入ったのは、先程とは対照的な白い天井。
ちかちかとする頭を押さえ、、琥珀は意識を覚醒させてゆく。
一体、何が……?
「よかった……。大丈夫ですか? 随分、うなされていましたが」
「ジャーファル、さん? ”俺”…あっ……僕は、一体?」
「…覚えていませんか? 部屋で倒れていたんですよ」
そうだ。
確か、僕は港へ向かおうとしていて。それで……。
「時間になっても来ないものだから、呼びに行ったら熱を出して倒れていたと」
「あの、ジャーファルさん。仕事、は……?」
彼は政務で忙しいはず……何故、こんなところに。
その疑問を聞いた彼は呆れたような顔をしていた。
「余計な心配をしなくていいですから、大人しく寝てなさい。……それとも、私の看病では不満ですか」
「えっ!? いや、そういう訳じゃ……」
「ふふ、冗談ですよ。熱は……下がったみたいですね。ちゃんと、安静にしているように」
慌てて否定する琥珀にクスリと微笑むと、ジャーファルは官服を翻し、部屋の外へと出ていった。
彼の姿が見えなくなると、琥珀はふと窓の外へと視線を向ける。
日はすっかり傾き、橙赤色の光が島を包み込んでいた。
――お前だけは、変わらないでいろよ…――
橙から紫へと変わりつつある空から目を反らすと、琥珀は自身の両手を見つめ、ギュッと強く握りしめた。
その翡翠の瞳からは一筋の涙が流れる。
そして、一羽の黒い鳥が彼の周りをくるくると静かに舞っていた。
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