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七色ソプラノ




「もう終わりにしよう」


夕暮れ時の屋上。

初春の風が二人の間を燻るように吹き上げる。

淡々と放たれたその言葉に思わず心の中で笑う。

春は出会いの春や別れの春と言われているがこんな別れかたはあまりではないかと


七色ソプラノ


夜中の公園、曽良は一人で別れの原因を考えていた。

でもそんなの考えたって一つしかない。

留学だ。

曽良は卒業すると同時にアメリカに留学することが決まっていた。自分の夢のために、色々な知識と経験を積みたいからと留学することになったのだが、それでも最初は迷った。

もし留学するのだったら芭蕉とは全然会えなくなるし、4年間も日本に帰れない。

芭蕉はその事をどう思うのかと内心気が気ではなくて話すのに躊躇ったがいざ話してみると芭蕉は嬉しそうに笑ってくれた。

そして嬉しそうに笑ってくれた。

そして頑張ってと背中を押してくれたのだ。

だから留学することを決めたのに。

なのに

それなのに…。







「別れよう」


あまにも何の感情も込められてないその言葉に一瞬何を言われたのか理解できなかった。

屋上のフェンスにもたれ掛かってグランドを眺めてる芭蕉に怒ってやりたい気持ちはあったのに何故だか虚しくなって口を開くのも億劫になった。
半ば諦めてそのまま屋上を後にした。
芭蕉の方を一度も振り返らずに。

どうせ芭蕉にとって自分は遊びにすぎなかったのだ。子供相手に本気になるわけがない。

ましてや男、教え子何かに。
曽良が留学すると言ったから芭蕉は潮時だと思ったのだろう。

ぐるぐる頭の中を駆け巡る芭蕉との思い出。


不意に胸が熱くなり視界が歪んだ。

言いたい事は沢山あったはずなのに。
伝えたい思いだってあったのに。

不器用な自分が言えるはずもなかった。
惨めな思い何かしたくなかった。
その日の晩、曽良は段ボールが山積みになった部屋にぽつんと寝転がっていた。


もし別れていなかったら芭蕉は今頃この部屋にいたのか何て最後まで思うのは芭蕉の事。


ごろごろ寝転がっていたら視界に携帯電話が映る。

無意識に携帯電話を手に取って電話帳を開く。

松尾芭蕉と表示されている画面と電話番号。


声を聞きたい。
会いたい。

何度押そうとしても中々押せずにいる自分に苛立った。

電話をして何を話すのかだなんて分からないけど、何でもいいから話しがしたい。

失ってから気づく何て遅すぎたのだ。


震える指先で押すと響くコール音。


携帯を耳に当てて芭蕉が出るのを待つ。

やけに心臓がうるさい。

出ないかもしれない。
いや出るわけがない。


「もしもし」

コール音が止んだとともに聞こえる芭蕉の声。

表しぬけした。
出ないと思っていたから。

「曽良くん?どうしたの。こんな夜中に」


別れ話を切り出したあの時の声とは違ういつもの優しい声にホッとした。



でもそれもつかの間芭蕉に確認したい事があったのを思い出し表情を引き締める。

「芭蕉さん…」

知ってますよね。
芭蕉さん。

僕明日日本を断つんです。


「僕明日…」

日本に帰るのだって何年かかるかわからない。
それに下手したらもう会えないかもしれないのだ。


そこまで考えて曽良は思考を中断した。

自分は何を言おうとしたのか。
見送りに来てだ何て言って今更何の意味がある。芭蕉とは別れた。そして曽良は卒業した。

それが意味する事はもう教師と生徒でもない。


悪くいえば他人。

良くいえば顔見知り。

ただそれだけの関係なのに。

見送りだなんておこがましいにも程があった。


「…やっぱり何でもないです。」


芭蕉が何か言っていたが、そんなものも頭に何か入らない。
電源を切って携帯を閉じた。



これで何もかも終わった。芭蕉からはもう連絡も来る事なければ話す事もないのだ。

あの自分を安心させてくれる笑顔も見る事もなければ何処か懐かしくてこそばゆい匂いもすることはない。


鼻のおくがツンとして曽良は歯を食いしばった。


分かっていた。分かっていたから。

あまのじゃくな自分に優しく接してくれた芭蕉に、
素直になれない自分に怒る事なくいつもそばにいてくれた芭蕉が、

分かっていたから。



優しい人だから自分を中々突き放せずにいた事くらい。


全て分かっていたから。


胸から込み上げてくるこの想いを曽良は痛い程分かっていた。


もう鳴る事のない携帯電話が無性に悲しくて曽良は静かに泣いた。




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続きます。





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あきゅろす。
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