痛みと嘆きの塔
10
切羽詰まった様子で、青年は悪魔に叫んだ。
書物を捲る手が止まり、悪魔が視線を少年の方へと移した。射竦められる様な視線に体が、がくがくと震える。それでも、青年の視線は悪魔へと向かい、凛として退かなかった。
悪魔と呼ばれた男が本を脇に置き、立ち上がる。そして、その長い右手を空中で翻すと、燃え盛る漆黒の劫火と共に、その手の中には、どこからともなく、小さな砂時計が現れた。
それはこの世の物とは思えない程美しい砂時計。
「コレハ オ前ノ弟ノ 砂時計ダ」
悪魔は、青年の前で、その砂時計を翳して見せた。砂時計の中では砂がきらきらと星屑のように煌めきながら、静かに零れ落ちて行く。
「ミエルカ?」
悪魔が小さな砂時計の一部を指さす。青年は悪魔の指元に視線をずらし、そして気付く。
「……砂時計が、割れている?」
確かに悪魔が弟の物と言って示した砂時計の上部には、大きな罅が入っており、ここから多量の砂が零れてしまっていた。
悪魔は、その美しい顔を奇妙に歪め、満足した様子で笑った。
気怠るさと糖度を含んだ天鵞絨の声で、悪魔はこの砂時計は人の生死を司るものだと囁いた。
悪魔の説明では、人間が俗に『死』と呼ばれる状況に陥る条件は2つ。
1つは砂時計の砂が全て落ちた場合。
もう1つは砂時計自身が壊れてしまった場合。
弟の砂時計の上部には、大きな罅が入っており、そこから、外に砂が零れてしまっている為、下に落とすべき砂が、残り少ないというという事。
そして、弟の砂時計に存在する罅は致命的な物であり、いずれはこの砂時計自身が完全に砕けてしまうだろう、という事を悪魔は延べ、従ってどちらにせよ、死に至るのは時間の問題だ、と結論付けた。
耳元に注がれ続けるのは宵闇の悪魔が歌う、呪文のような旋律。奇妙な音を立てて、乾いた喉が揺れる。
青年は、声を失くした。弟は確実に死ぬのだと、悪魔にまで宣告されたのだらか。惰性で頬を伝う涙は、いつまでも乾かない。
「どうすれば……、どうすればいい!?」
お前は契約の代償さえ払えばどんな願いも叶えてくれる悪魔なのだろう。
――ならば、弟を助けてくれ。
青年は、悪魔の胸倉に掴み掛かり、必死になって悪魔に請うた。どうか弟の命を助けてくれと。
必死の形相の兄、血の目をした悪魔。青年の眼もまた、今や悪魔と同じ血の色であったが。
「ドンナ代償デモ 払ウノダナ?」
温度の無い手が、兄の体を緩やかに制する。
青年は、目の前の存在の薄い唇が半月を描く様に端に縫い留められるのを唯ぼんやりと見つめている事しか出来なかった。
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