硝子に罅が入る時刻。
『 貴方の恋人である八城透さんについて、お話ししたいことがあります。昼休み、屋上にてお待ちしております。』
ゴミ処理の後、眠らずに迎えた月曜日の昼。
俺は、一人の生徒を呼び出した。
神様は悪戯に果実を見せ 01
「オマエか、あの手紙を寄こしたのは」
細身ながらも無駄なくついた筋肉が窺える、均整のとれた体躯。
スポーツ少年を思わせるような、程よく焼けた肌。
周囲の者の視線を惹き付けてやまないだろう、整った目鼻立ち。
頑丈なフェンスに背中を預けている俺の視界に映った生徒――藤森恵輔(フジモリケイスケ)は、この距離でもわかるほどの美形だった。
「あの内容なら、必ず来て頂けるだろうと思いました」
不機嫌さを隠そうともせずに距離を縮めてくる藤森に向かって、薄っすらと冷笑を浮かべる。
僅かな嫌味が伝わったのか端整な顔が更に歪んだけれど、そんなことは気にならない。
今日の明け方。
八城から『アカリ』の話を聞いた俺は、潔く自分が『アカリ』であることを認めた。
しらばっくれることは充分可能だったし、八城も決定的な言葉を求めているわけではなかったけれど、自分の知らない様々な情報を与えられておきながら自分は何も言わないなんて、少しもフェアじゃないと思ったから。
だから内緒にして欲しいと言いつつも認め、「高田月夜」という名前も教えた。
その所為か、八城は俺という人間に親しみを覚えてくれたようで、写真――恋人のことについて、話してくれた。
「何が目的だ」
「目的? おかしなことを仰るんですね。俺はただ八城さんのことでお話ししたいことがあると、お伝えしただけですが」
「恵輔に親衛隊が出来てからは、『幼馴染だからって図々しく傍に寄るんじゃない』って嫌がらせを受けるようになって…」
眉間に刻まれた皺を眺める俺の脳裏には、辛そうな八城の言葉が浮かぶ。
八城とこの藤森は親同士の仲がいいこともあって、赤ん坊の頃から兄弟も同然に育ってきた幼馴染らしい。
幼稚舎の頃は流石に全寮制ではなく自宅通学だから、同じ車に乗ったりお互いの家で過ごしたり。
中等部に上がる頃には自然と相手を恋愛対象として見ていて、お互いに気持ちをわかっていたのだと言う。
けれどその気持ちを自覚すると同時に、顔立ちが大人っぽくなって美形度が増した藤森に親衛隊が発足し、八城は藤森の傍にいられなくなった。
学年が一つ違う所為で只でさえ一緒に行動出来る時間が限られているのに、我の強い彼らに睨まれたからだ。
八城が嫌がらせを受けていることを知った藤森は当然親衛隊の連中にやめるように言ったが、彼らを解散させられるほどの権力を持っていない為に抑えることが出来ず、藤森が八城を庇うほど嫌がらせの度が増していくという悪循環に。
結局、藤森は親衛隊を邪険にせずそれなりの交流を持つことで安心させ、その影で内密に付き合うことにしたのだと八城は言っていた。
ガシャン、とフェンスが音をたてる。
「目的は何だ」
「―――…」
「答えろ。高田月夜」
「‥‥」
「何の目的で俺にあの手紙を寄こした」
俺の胸倉を掴む藤森の手に力がこもる。
模範生のようにきっちり制服を着ているわけではないし、フェンスに押し付けられる体勢だから首は苦しくない。
代わりに鎖骨が少し痛むが、床に押し倒された八城の方が何倍も痛かっただろう。
「俺を知っていらっしゃるんですね」
「…外部のヤツは浮くからな」
「そうですか。不本意ながら、クラスから浮いている貴方に俺が気付いたのは今日になってからです」
自分のクラスにこんな美形がいるなんて微塵も気付いていなかった俺は、八城から恋人のクラスを聞いてかなり驚いた。
いつも囲まれている席があることは認識しつつも、興味がないから顔を見ようと思ったことはなく、当然名前も知らない。
本当に2-Fなんだろうかと半信半疑になってしまったが、八城が恋人のクラスを間違えるはずもなければ今更そんなことで嘘を言うとも思えなかったから、随分早い時間に登校した俺は教卓にある座席表で藤森の席を探し、中に手紙を残してその席が埋まるのを待つことにした。
だけど、それを待って藤森の存在を確認する必要なんて少しもなかった。
小動物を思わせる少年数人と賑やかに教室に入ってくれば、流石に今まで気付かなかった俺にも一目瞭然だったから。
そして、その時の藤森の様子を見て、俺は手紙の通りに屋上で待つことに決めた。
「ふざけるのもいい加減にしろよ」
「……」
「どうやって俺と透が付き合ってるのを知ったのかは知らねぇが、脅されたって俺は絶対に透と別れない」
「……」
「オマエがどんなに卑怯な手を使おうが、俺は絶対にオマエなんかを選ばねえ」
「―――……」
藤森の目に殺意を見て、俺は漸く自分の胸倉を掴んでいる男がどうしようもなく馬鹿だということに気がついた。
確実に呼び出す為に八城との関係を『幼馴染』ではなく敢えて『恋人』と書いたとはいえ、最初からやけに殺気を放っているなと思っていたが、そういうわけか。
これだけ整った顔をしているなら、無理矢理でも何でも、交際を迫られたことは多々あるんだろう。
親衛隊の誘惑も多いんだろう。
だから俺をそういう輩と勘違いしても仕方ないのかもしれない。
だけど。
「――ッ!!?」
「勘違いするのは貴方の勝手ですが、俺を貴方の信者にするのはやめて頂きたいですね」
「…っ‥」
「生憎、俺は貴方に蟻の脳味噌程も好意を抱いていませんから」
「オマエっ、…」
藤森の首と右肩に手を当て、鳩尾と腰を足で押さえる。
一瞬で押し倒されたことに驚きを隠せないのか、俺を見上げる焦茶色の瞳は酷く大きい。
「大体、貴方に俺を蔑む資格なんてないんですよ」
「‥どういう意味だ」
「恋人の変化や苦しみに気付けない人間が他人に殺意を覚えるなんて、お門違いもいいところだ、ということです」
「…、!?」
「八城さんとは別れない? 俺を選ぶことはない?」
寝言は寝て言え。
「貴方は俺に笑いを提供したいんですか」
甘ったれの坊ちゃんが。
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