血の気のない肌。 震える手足。 抗いようのない暴力に怯えた目。 ( ―――ああ、どうして、) こんなにも簡単に、 ( どうして ) 人は人を傷つけるのか。 ( あの人の傍にいなかったんだろう ) 神様は悪戯に夜を照らし 18 「…っ、…っ、」 俺はこういう襲われ方をしたことがないからわからないけれど、服を脱がされて触られただけで済んだという事実は、きっと何の救いにもならないんだろう。 最後まで犯されなかったことは確かに救いであっても、襲われた現実はどこからも無くならないから。 その時の恐怖も、絶望も、悔しさも、怒りも、夢じゃないことは自分が知っている。 きっと一生付き合っていかなければならない苦しみになるだろう。 それでも、失くすよりはマシだ―――なんて思ってしまう俺はやっぱり捻くれているけれど、今更どうしようもない。 「もう大丈夫ですよ。痛いところはありませんか?」 脅されたからといってたった一人でここへ来た足音さんにも反省すべき点はある。 俺が異変に気付かなければ間違いなく集団強姦事件になっていたし、それだけでは終わらず、近親者によって傷害事件や殺人事件に発展していた可能性も否めない。 そうなれば傷つく人間と不幸になる人間が無駄に増えるだけだ。 でも、カタカタと震えている足音さんに向かって偉そうに説教を垂れるつもりはない。 勝手に首を突っ込んで靴のまま部屋に上がりこんだんだから、むしろ説教を喰らわなければならないのは他でもない俺だろう。 勿論、そうなったら逃げますけどね、全力で。 「‥、…っ」 「そうですか。ちょっと失礼しますね」 首を動かすことで返事をしてくれた足音さんの傍に跪き、首と背中の後ろに手を回して抱き起こす。 とりあえず肘のあたりに引っかかっているシャツとセーターを頭を通して元に戻せば、仔犬みたいな瞳に見上げられてて。 うん?、と首を傾げた時には腕の中に足音さんがいた。 いや、もともと俺が抱き起こしたんだから当たり前なんだけど。 口許を覆うことさえ出来ていなかった足音さんの手で、抱きつかれていた。 「こっ、こわかっ…ッ…」 少女のように不安定なか細い声が空気を震わせる。 覚悟していたとしても、自分より十センチも二十センチもでかい男、しかも五人に襲われたら恐怖を押し殺すのは不可能で、荒事に縁がなければ気絶していてもおかしくない状況だったから、生きた心地もしなかったんだろう。 道場に通っていた俺だって男に欲情した目で襲われたら背筋が寒くなるし、数日はその嫌悪感で鳥肌が立つ気がする。 「ぉれ、っ‥の、たち、…おどっ…、…」 「ゆっくりでいいですよ。落ち着くまでこうしてますから」 「ッ…、んっ‥く……っ」 母親が泣いた子供を宥めるように、俺は足音さんの気が静まるまで背中をそっと叩き続けた。 危うく獣の餌食になるところだった足音さんは、八城透(ヤシロトオル)という名前らしい。 助けたとはいえ、あられもない姿を目撃した俺に名乗りたくなんかないだろうと思ったのに、俺が何かを言う前に自ら教えてくれた。 学年は高校生になったばかりの一年生。 だから「高等部」だけで考えればここに入学(?)した日は俺と同じだが、持ち上がり組の八城は見覚えの無い俺は「先輩」だとすぐにわかったらしく、何も訊かれていない。 というか、自己紹介を求められていない。そんな気配もない。 一時的な関係(?)だからお互いに名乗らない、というのはわかるけど、自分だけ教えて相手に何も訊かないのは何故だろうか。 言わないでいいのなら、言わないまま別れたいチキンですが。 「これ、目許に使って下さい」 「あ、ありがとうございます…」 幼い頃からの習慣でポケットに入れていたハンドタオルを水で濡らしてから手渡すと、八城は恥ずかしそうに頭を下げた。 ここに編入してから生徒でまともな会話をしたのは高杉くらいだから――え? 王族の方々? アレはまともな会話ではありません――なんだか酷く新鮮に感じてしまう。 というか、この金持ちお坊ったま校で初対面の他人に頭を下げる生徒がいるとは……。 いや、危機を救ったんだから感謝するのは当然なのかもしれないけど。 編入一日目にして俺のお貴族様への偏見があながち間違いでもないことを知ったから、こういう常識的な態度をとられると、自然と俺の対応も柔らかくなる。 基本、優しい人には優しく、冷酷な奴には無慈悲に、の人間なもので。 高杉と同じでめら可愛い割りに一人称は「俺」だったな、と思い出しながらローボードに近づき、一番最後にオトした男の視線が向けられた右側の引き出しを下から順に開ける。 泥棒の手口を真似るって言ったら外聞が悪いけど、いくつもある引き出しの中身を確認したい場合、上からではなく下から開けた方が一々閉める必要がない分早く探せる。 勿論、これが自分の部屋であれば最後には全ての引き出しを元に戻すから手間は変わらないが……ここは獣の部屋なので、当然開けっぱなしの出しっぱなしです。 え? 何か問題でも? 上品な感じの八城を気遣って中身をひっくり返す方法は避けてあげたんだから、この程度の被害で済んだことを感謝してもいいくらいではなかろうか。 ローボードの傷も大したことないし。 全てを開けた結果、怪しいのは真ん中の引き出しに入っていた封筒一つだけだった。 「………」 多分、これだろうな。 見た目からして写真が入ってます、って感じだし、手に持った感触もそうだし。 というか、他はどうでもいい物がそのまま入っているだけだから、脅しのネタになるとは思えない。 「八城さん。中身を確認して下さい」 「!」 「俺が見るわけにはいきませんから。ね?」 脅されていた内容を知ったからってそれを利用するつもりは毛頭ないし、言いふらすつもりもない。 でも、だからって完全に第三者である俺が見るのは、八城の精神衛生上よろしくないだろう。 何が写ってるのかは知らないけど、色事かなー?、程度の想像はつくし。 ……そうか、色事か。 こんな、純粋培養みたいな子でも、いろご――いやいや、どうでもいいんだよ、そんなこと。 公立だったら試験問題を盗んだとか、そっち系が濃厚なんだろうけど、いずれにせよ助けたはずの人間が逆に枷になったら意味がない。 ビクリと揺れた瞳を見つめながら安心させるように微笑めば、灰茶色の頭がコクリと動いた。 傍にいるとソファーに座っている八城の手元が見えてしまうから、背を向けて玄関側の壁へ歩み寄る。 「………」 人の睡眠時間を奪っておきながらのんきに寝やがって、いい度胸じゃねえか、あ゛あ゛ん?――なんて、ヤクザみたいな台詞を八城に聞かせられるはずもなく。 舌打ちを飲み込んだ俺の眼下には、未だにオチたままの男たちが五人。 顔を歪めていたり口を半開きにしていたりと、表情は様々でも総じて目は開いていない。 若干、薄っすら、気持ち悪い程度に開いているというか閉じ切れていない奴もいるが、当然意識はない。 喧嘩慣れして無い奴なら一時間は目を覚まさない打撃を与えたから、あと三十分は誰も起きないだろう。 ……それにしても。 手足を縛られた男が五人、壁に寄りかかる形で綺麗に一列に並べられてるっていうのは、ある意味壮観だな。 目の保養には決してならない眺めだが。 兎に角今は、この男たちをどうするか――そのことを考えなければならない。 NEXT * CHAP |