硝子に罅が入る時刻。
――空飛学園に何をしに来たのか。
その質問にはまだ答えられない。
口に出来る言葉がない。
でも。
「高田くん凄いね〜、あっと言う間だね。中学の時、パソコン研究部だったりした?」
( チャンスは活かす )
「…ええ、まあ。幽霊部員でしたけど」
( 選択肢を増やす為にも )
神様は悪戯に夜を照らし 07
「えっ、幽霊部員だったのにそんな光速タッチが出来るの? いいな〜、きっと素質があったんだね〜。俺にも素質があればみっくんに怒られずにすむんだけどな〜」
「…船渡川さん。他に溜まってる仕事はないんですか?」
「うん、ないよ〜。急ぎの仕事は高田くんがやってるそれだけ」
…溜まってる仕事と急ぎの仕事は違うと思うんですけど?
キャビネットに入ってる書類を整理しただけで貴方の仕事は終わりですか?
一瞬、パソコンの画面越しに船渡川さんと目が合ったが、絶対に俺の意思は伝わってないだろう。
給湯室の冷凍庫から取り出してきたバニラアイスつついてるし、あとちょっとだよ、ファイト〜、とでも言いたげな顔で微笑まれたし。
「……船渡川さん。実に今更なんですけど、コレ、一応個人情報ですよね? 卑族の俺なんかが見てもいいんですか?」
俺のページには持ってきた書類の内容に顔写真がプラスされただけの情報しか載っていないが、船渡川さんに渡された書類の生徒たちには俺と違ってこの学園での過去があり、その生活振りが結構細かく書き記されていた。
世間で必要とされるような際どい情報ではないが、だからと言って無関係の人間の目に曝していいということにはならないだろう。
「ん〜、あんまり良くないけど、別に問題はないんじゃないかな? その気になれば普通の生徒にだって調べられることだし、高田くんはその情報を悪用しようとは思ってないでしょ?」
銀のスプーンを銜えたまま喋る船渡川さんに、微かな頭痛を覚える。
こんなぺろーんとした人が王族でいいんだろうか。
はきはきしてる綾部はしっかり仕事しそうだし、澄也さんて人も真面目っぽいし、評議委員としてはなんとか成り立ってるんだろうけどさ…。
「……ん?」
その気になれば普通の生徒にも調べられる?
「え、あの、このメモリって、さっきの電話の方に渡すんですよね?」
船渡川さんがはっきりとそう言ったわけではないが、電話を含めた今までの会話を総合すると、自然とそうなる。
王族フロアにある保管室にかけてきたんだから、「セーヤ」と呼ばれていた人も王族と考えて間違いないだろう。
重要機密以外は扱うな!、と言うつもりはないし、生徒の基礎情報を電子化しておくのは極普通のことなんだろうが、その程度の情報を王族間で必要とするのか?
何の権限も持たない生徒が入手出来るのに?
手をとめて首を傾げれば俺の疑問が伝わったらしく、バニラアイスを完食した船渡川さんはコーヒーを一口飲んでから口を開いた。
「持ち上がり組みばっかりだから殆ど知ってるけど、だからこそ基本的なことを調べ直して候補を挙げたいんだって。几帳面だよね〜」
「…候補、ですか?」
「そう〜、四人目の特例候補。なんか予想以上に大変らしくてさぁ、簡単には怪我しないような、ごっつい奴を入れたいんだって〜」
「体格に恵まれた生徒を探してるなら、運動部を見て回ればいいんじゃないんですか?」
「それが一番簡単だとは思うんだけどね〜。セーヤがそんなことしたらすぐに噂になっちゃうし、筋肉馬鹿はもう要らないって言ってるし。まだ内密の話しだから表立った動きはとれないんだよね〜」
「‥、……船渡川さん?」
「なぁに〜?」
「…たった今、外部に漏れましたけど?」
俺の溜息交じりの指摘に、きょとん、とする目が一対。
やっぱり自分の発言の重大さには微塵も気付いてないんデスネ。
ぱちぱち瞬きした後、船渡川さんは慌てる様子もなくあっはっはと笑った。
「みっくんとセーヤにバレたら怒られるだろうな〜。でも高田くんだからさ、問題ないでしょ。内緒にしてくれるよね〜?」
「…頼まれなくても言い触らしませんけど、船渡川さんこそうっかり俺に漏らしたなんて言わないで下さいよ?」
「もっちろん。怒られるのやだしね〜」
ああ、どうしてかな。
船渡川さんの言葉が全然信じられない。
ちっとも安心出来ない。
またついうっかり、そのゆるぅい口からぽろっと溢されてしまう気がしてならない。
無関係の人間に話してしまった船渡川さんの方がびくびくするべきなのに、何で聞かされた俺の方がびくびくしなきゃならないんですかね…!
これ以上王族の方たちと関わるのは御免被りますのことよ!?
つーか、あれだ。思い出した。
そもそもの原因を作ったのも船渡川さんじゃねえか。
『直接』という言葉の意味を勘違いした綾部にも、取りに行く場所の確認を怠ったという責任があるのかもしれないが、船渡川さんが丁寧に話していればこんなことにはならなかった。
船渡川さんがどんな仕事も真面目にこなすような人だったら、綾部が訪ねて来ることもなく、俺が保管室に赴くこともなく、みっくんとして抱きしめられた挙句に入力作業を任されることもなく。
そして何より、聞きたくもないことを聞くハメにはならなかったのに。
どうして関係ないところでも巻き込まれるんだ。
「………はあ……」
「高田くん? どうかした?」
「…いえ」
こめかみに当てていた指をキーに戻し、入力作業を再開する。
ぽよーんとしてる船渡川さんにはどんな文句を言ったって軽く流されるに決まってるんだから、怒るだけ無駄だ。
体力と時間が勿体無い。
そこまで腹が立ってるわけじゃないし、気持ちを切り替えてさっさと残りを終わらせてしまおう。
部屋では英語と数学のワークが俺の帰りを今か今かと待ってますしね…。
アメリカへ行った回数や過ごした時間は普通の人に比べて多いだろうから、英語に対する不安はそれ程ない。
問題は数学だ。
得意か不得意かと訊かれたら不得意ではないと答えるが、好きか嫌いかと訊かれたら全力で嫌いだと答える。
公立校で習った範囲と違っていて参考書が必要になるなら、ものっっそやりたくない。
やりたくないと思ってもやらなきゃいけないとわかってるから尚更やる気が出ない。
こういう時の課題って何で国語か数学か英語なんだろうな…。
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