硝子に罅が入る時刻。
幻想的な輝きを放つ、草花、敷石、噴水。
「すげー‥、何だここ。貴族の秘密の楽園か?」
迷いのない足取りで進むベンガルに案内された場所は、極一部の人間しか受け入れないような――――聖域を思わせる空間だった。
神様は悪戯に賽子を振り 07
思わず足が止まってしまうのは、この景色に感動しているからなのか、それとも侵入することに躊躇いを感じているからなのか…。
定かではないが、若し木の太い幹に『Paradise of God.』等と書かれていたら、あっさり信じてしまいそうな気がする。
ああ、そうなんですか。って。
神とか妖精とかを登場させるファンタジー映画なんかは、きっとこういう環境で撮るんだろう。
コンピューターで画像処理をしたような煌めきが不思議で見回すように頭を反らせると、随分上の方に照明とスプリンクラーのようなものが見えた。
どうやら木漏れ日のような柔らかい光りとキラキラの正体であるダイヤモンドダストは、点在する二種類の機械から作り出されているらしい。
「…ザ、金持ち」
敢えて『ザ』をつける意味がわからない。
わからないが、常に人がいるわけではないだろう場所にまで無駄に凝っているのかと思えば、意味不明な言葉も吐きたくなるってもんだ。
いや、綺麗だけど。思わず見惚れちゃったけど。
湿っぽく感じたりしないのは空調設備も整ってるからなんだ、って感心さえしますけどね?
「これで潰れないどころか潤ってる学園が怖ぇっつの」
むしろ経営してる鳳翔家が怖い。
どこから金が沸いてくるんだ。
寄付金は底をつかないのか?
……刺青の方々と深く関わっていたり、法に抵触するようなことをなさっていたらどうしましょう。
「って、どうしようもありませんけれども」
流石に警察沙汰になるような面倒事には巻き込まれたくない。
だって、
も う 既 に 巻 き 込 ま れ て る ん だ か ら 。
「出来れば卒業するまで気付かないふりを続けたいけど…、どう考えたって無理だよなあ」
ああ、憂鬱。
ある程度心の準備は出来ても覚悟は出来ない。っていうかそんな覚悟はしたくない。
溜め息を吐き出すと、元気付けようとしてくれているのか、ベンガルが俺の足に擦り寄ってニャアと鳴いた。
…可愛いヤツめ!
「 ン ナ ァ ミ ャ ア 」
「声も可愛いなんて、恵まれてるなあ、お前」
しゃがみ込んで喉を擽ると、幸せそうに目を細める。
人懐こいこの猫は、きっと人間を疑うことなんて知らないんだろう。
構って欲しそうに鳴いて、遊んで欲しそうにじゃれて。
裏切られたり、傷つけられることをまず考えていない。
それは馬鹿だからというわけではなく、純粋に相手を信じているからだ。
――――俺たち人間が生きていく上で失くしてしまったものを、猫や犬は持っている。
「 ニ ャ ア 」
「ん?」
喉を擽るのとは反対の手でオデコのあたりを撫でていると、ふいにベンガルのしなやかな前足が乗っかった。
俺の膝の上にちょこん、と。
ねだるように一度鳴かれ、見下ろせば抱っこしてと言わんばかりの大きなグリーンの瞳にぶつかる。
何だ何だ。
そんなに抱っこして欲しいのか。
そんなに俺の腕の中が気に入ったのか。
「ふむ」
望むのならしてやろうではないか。
喜んで!
「ほれ、カモン」
勝手に抱き上げたさっきとは違い、歓迎するように両手を広げる。
すると、ベンガルは一度嬉しそうに短く鳴いてから俺の腕の中に飛び込んで来た。
……いちいち可愛いんだよコノヤロウ。
俺を惚れさせる気か!
学園の敷地内にいるんだから誰かの飼い猫なんだろうけど、迷い猫だったら飼いたいと思ってしまう。
食事とか掃除とか予防接種とか、色々大変な思いをしながらもチャスケを飼ってるアイツの気持ちが、少しだけわかった気がした。
ベンガルを腕に抱いたまま歩いていると、見えてきたのは緩やかなカーブを描いている幅広の階段。
やはり無駄に凝った造りをしているらしい。
下にも何かあるのか?
気になって前ばかり見ていた俺だが、そろそろ階段が終わる、という時に第一と第二を開けて露わになっている鎖骨あたりをベンガルがペロリと舐めた為、前方不注意になる。
「っちょ、くすぐった――――、」
ぐ に ゃ り
「!!? ぬ゛ぁおぅっ!?」
「 ニ ャ ッ 」
大理石と言うには余りにも柔らかく、草花と言うには余りにも硬く。
不可思議な物体]をぐにゃりと踏みつけた瞬間、俺の足もぐにゃりと折れ曲がっていた。
「ッ、」
予想外の出来事に内心「げっ!!」と思うが、とるべき行動がわからないほど素人ではない。
異変を察知したベンガルが逃げたことで自由になった腕を地面につき、力と反動で身体を持ち上げる。
(ブレザー動き難っ!)
重力に従って視界を覆った新しい制服に舌打ちしつつ、先程痛みが走った足に負担をかけないように半回転して着地すると、ギリギリの体勢で勢いを殺しきれなかったのか、重心がブレる。
無理に踏みとどまれば怪我をするだけだとわかっていたから、俺はそのまま倒れるようにごろりと一回転した。
「っ、と、…………、」
膝立ちの恰好で止まり、視線を前方に戻す。
硬い敷石の攻撃を受けた骨が地味な痛みを訴えているが、そんなことを気にしている場合ではない。
今のは何だ。
ぐにゃりとか怪しい音を発した物体]は何だ。
俺の記憶が正しければ、俺が思い切り踏んだモノは途轍もなく厄介な……。
「―――――……」
ああ、最悪。
どうしてこういう時に限って俺の記憶力は素晴らしさを発揮するんだ。
いっそ盲目にでもなってしまおうか。
むくりと起き上がった物体]もとい空飛学園の生徒を、視界だけでなく意識から排除したい気持ちで一杯デス。
「…………」
「………………」
「…………」
―――無言。
「………………」
「…………」
「………………」
――――……無言。むしろ無反応。
「…………」
「………………」
「…………」
虫ピンで固定されたかのように俺を凝視していた男は、俺が踏んだであろう脇腹に触れ、漸く口を開いた。
のだが。
「……………、…いたい?」
は、え。 痛い?、って。
数十秒見つめた末の第一声がそれですか??
しかも俺に訊くの!? 自分のことデショ?!
俺が知るわけないじゃん!
ってか、普通に地面だと思って体重かけてるんだから、痛くないはずないと思うんですけど。
どんな表情でどんな発言をするべきか悩んでいると、ぽややんとした雰囲気の男は俺の顔を見つめながら更に意味不明な発言をした。
「……ねこ?」
いや、ベンガルなら貴方の膝の上で構って欲しそうに鳴いてますヨ?
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