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後日談*陽司+調音編

※12禁表現※


「………ヨージ」
「…………」
「…いい加減に退けってば。な?」
「…………」
「ヨーオージー……」
「…………」

 何度呼びかけても、何度退くように言っても、反応はゼロ。
 ヨージはおれを抱きしめたまま動こうとしない。
 と言うか、もう既に十分以上口も身体も動かしていない。
 ソファーに押し倒された状態で固定されているおれの声だけが虚しく空気を揺らしている。

「‥、…だから聞かない方がいいって言ったんだ」

 誘拐された経験があることは、美香ママにもリタにもヨージにも自分から話した。
 美香ママには「ノリちゃんって、誘拐されても冷静に対応しそうよね」と言われて、リタには「合気道が出来るなら、変な男に連れ去られそうになっても平気だな」と言われて、ヨージには「小さい頃に誘拐とかされなかったの?」と言われて。
 別に隠したい過去でもないし酷いトラウマになっているわけでもないから、その時の会話の流れに乗って喋ることに躊躇いは少しもなかった。

 話しを聞いた人間が嫌な気分になることはないとわかっていたから、世間話のような軽い口調で言うことが出来た。

 けれど、おれが背筋を凍らせた件はそうはいかない。
 今でもあの時行動を共にしていたリタ以外には話すことを躊躇うし、当時は自分に最も近い恋人にさえ言いたくないと思っていた。
 勿論恋人に言わなかったのは余計なことで気を散らせたくなかったからと言うのが一番の理由だが、もし留学のことでピリピリしていなかったとしても、おれが自ら言うことはなかっただろう。

 一緒に笑ったり泣いたり出来る嬉しいことや悲しいことと違って、自分の感じた不快感や嫌悪は無闇にばら撒いていいものじゃない。

「年上の忠告はちゃんと聞きなさい」
「………別に聞かなきゃよかったなんて思ってない」
「じゃあきみは何を思っておれを拘束しているのかな」
「…どうしたらノリトは俺に全部見せてくれるんだろうとか、不快な経験を話すには頼りなさ過ぎるんだろうかとか、一年以上付き合ってたのに全く知らなかった俺って何なんだろうとか、やっぱり狩田さんの存在を超えることは出来ないんだろうかとか、俺はノリトのことなら何でも知りたいけどノリトは俺に興味なんかないんだろうなとか!」

 最後の部分だけヨージは顔を上げて言った。
 傷ついたような目で怒っているが、おれには興味のない男と付き合う趣味はない。

「ヨージ、そんなにおれが好きなのか?」
「っ、好きで悪いかっ!!」
「いや、嬉しいけど」
「、!!?」
「耳まで赤いぞ」
「‥、っ魔性! 色魔! スケコマシ!」
「それは一体誰のことかな」
「! 、ぃあいっ」

 おれのどこが魔性で色魔でスケコマシなんだ。
 失礼な奴め。

 頬を摘んだ指に力を込めると、ヨージは眉をハの字にして泣きそうな顔になった。

「い、いはひへふ、ほいほはん」

 『い、痛いです、ノリトさん』?

「自業自得だ。馬鹿者」
「〜っ、バカはノリトだろ!」

 ぱっ、と指を離した途端、ヨージは上体を起こしてそう言った。

「何でもっと早く言わないんだよっ!!」
「…だから、」

 大学二年の春にサークルの男の先輩に告白されて。
 恋人がいるし先輩のことはそういう風に見られないからと断って。
 けじめをつけたかっただけだからと笑った先輩とはそれまで通りの関係を続けて。

 ――――それなのに。一番信頼している先輩だったのに。

「気分のいい話じゃないだろう。身近な人間に盗撮されていたなんて」

 夏休み直前のある日、誰もない部室で先輩の携帯を拾ったおれは何気なくフラップを開き、待ち受け画面を見た瞬間に固まった。
 メインディスプレイ一杯に自分の寝顔が広がっていることを予想出来る人間が一体何処にいると言うのだろうか。

 明らかに隠し撮りであるそれに背筋を寒くしながらもデータフォルダをクリックし、『NORITO』というフォルダを見つけて開いてみると……。
 そこには様々な表情を浮かべているおれの写真が六百枚以上保存されていて、言うまでもなく全てがおれの許可を得ていない隠し撮りだった。

「俺はもっと早く知りたかった!! 携帯で写真を撮られるのが嫌いなんだ、って初めて俺に言った時に、一緒に話して欲しかった!!」
「…顔も名前も知らない赤の他人だったら言ってたかもな」
「何だよそれっ!」
「赤の他人なら気持ち悪いと感じるだけで済むが、盗撮していたのが周囲から慕われている人間だと聞かされたら、ヨージは不安にならないか?」
「なんねぇよ!」
「よく考えてから答えろ。サークルの中心的人物で、性格も成績も良くて、告白してきたにも関わらず自分のことをそういう目で見たことが一度もない、極々普通の人間が、こっそり何百枚も写真を撮っていたんだぞ?」

 告白を断ったことが理由かもしれないと思った。
 親しくしていたのにはっきりと断ったからだろうと思った。
 けれど、一番古い写真の日付はおれが大学に入学した頃のもので。
 最初からこういうことをする人だったんだと理解した。

「…、……不安になる、かも。自分の周りにもそういう人間がいるかもしれない、って」
「そうだろう? だから言いたくなかったんだ」

 正常に見える人間の裏の顔を知ることほど背筋が凍ることはない。

「ヨージは同じ写真同好会だから、余計にな」
「っでも、俺はノリトが感じたものなら嫌悪でも不快感でも、何でも知りたい!」
「…そんなものを知ってどうするんだ。一緒に気持ち悪い思いをしても仕方ないだろう」
「独りで抱え込むよりはマシだろっ!!」
「別に抱え込んでない」

 全身を毛虫が這い回るような凄まじい生理的嫌悪を感じただけだ。

「十分抱え込んでんじゃねぇか! 携帯で写真撮られんのが嫌いなのも、外で前髪下ろしてんのも、それが原因なんだろ!?」
「…携帯で写真を撮られるのが嫌いなのはあの時の感覚を思い出したくないから。外で前髪を下ろしているのは自分の顔が好きじゃないからだ。泣かれるのに弱いことと同じように、生活に支障はない」
「あ゛ーもう煩い煩い煩いっ!!」
「、ヨージがうるさ――――」

「少しは頼れよ!!!」

 鷲掴みにされた肩が痛い。
 でも、鼓膜を破るような声量で叫んだヨージの方が痛そうに見えた。

「確かに俺は狩田さんに比べてガキだし考えも足りないしノリトと過ごした時間も短いけど…っ、ノリトは俺の恋人だろ??」
「…そうだよ」
「だったら、狩田さんじゃなくて俺を頼ってよ。何でも俺に言ってよ。俺より狩田さんの方がノリトを知ってるのは嫌だ」
「…ヨージと出会ってからのおれのことは、ヨージの方が知ってるだろ」
「それは当たり前だ!」
「それだけじゃ嫌なのか。我侭だな、ヨージ」
「ああそうだよ我侭だよっ、ノリトが好きなんだから我侭でもいいだろ!!」

 くすりと笑ったおれに、ヨージはむっとした顔で偉そうに言い放った。
 物凄く滅茶苦茶な理屈だが、堂々と言われるとそうだなと返したくなるから不思議だ。
 …何でこうも真っ直ぐなんだろうな。
 感情直結型のヨージを見ていると、呆れながらもどこか心が温かくなる気がする。

 上体を起こしてソファーから立ち上がったおれは不服そうに見上げてくるヨージの肩を掴んで首筋に唇を寄せ、少し強く吸った。

「?! な、何っ?! 何でキスマークっ??」
「これ以上おれを煽るな。馬鹿ヨージ」
「っ、は?! え、俺が煽ったのか!? ノリトが煽ったんだろ!!?」
「冗談は寝て言いなさい」
「キスマークつけといてそれは酷くねぇ!?」

 くるりと振り返り、おれを追ってキッチンに入ってきたヨージの眉間に人差し指を突きつける。

「昨日、散々ヤったと思うんだが」
「っ、……そうだけど!」
「なあ、ヨージ」
「何だよっ」

 おれの感じたものなら嫌悪でも不快感でも何でも知りたい――なんて。

「ヨージはリタよりおれの欲しい言葉を知ってるよ」

 でも、無意識に大人を誘惑するのはやめなさい。

「…っ、やっぱりノリトが煽ってんじゃねぇかっ!!」
「煽ってない。ヨージが好きだと改めて思っただけだ」
「煽るどころか誘ってんだろそれ!!??」
「寝言は寝て言え。おれを誘い受けだと言ったら世界中の誘い受けファンから苦情が殺到するだろうが」

 ヨージの頭にエプロンを被せて昼食を要求すると、ヨージは渋々昼食作りにとりかかった。

 ……夜?
 どうなったかはノーコメントだ。





FIN * CHAP


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