食器戸棚から人数分のカップを取り出している、黒髪の少年。 千早が自室からキッチンへ向かうと、そこには陸海家四男、一季(イチキ)がいた。 「イチ、おはよう。卵、スクランブルエッグでいい?」 「おはよう。チーちゃんが作ってくれるなら僕は何でもいいよ」 一季は恐らく陸海家一番の無表情で、感情の起伏が乏しい上にその感情が顔に出にくいタイプだが、ふわりと笑う様は雲間から降りてくる天使を思わせる。 家族の特権でその微笑みを朝から拝むことが出来た千早は眦を下げ、まだ低い位置にある一季の頭をぽむぽむ撫でた。 「恐悦至極に存じますですよ。気を付けて運べな」 「うん」 珈琲用のカップが三つに紅茶用のカップが三つ。 それから付属のソーサーとスプーンもお盆に載せて一季がキッチンを出て行くと、入れ替わるようにして十夜が入って来る。 「チーちゃん」 「っ、トーヤ? ……どうした?」 「…………栄養補給」 「ははっ、何だそれ」 背中から抱きついて来た十夜をそのままに、千早は冷蔵庫を開けて卵など必要な材料を取り出していく。 六人分の食事である上に大食漢が交じっているので、両手に抱えられている量は三人乃至四人の平均的な家庭から見ればびっくりする量だろう。 両親と一緒に暮らしていた頃から家事を担っていた千早は、八人分に比べれば少ないものだと思っているのだが。 「トーヤ、野菜洗って」 「ん」 「ボールはそこな。俎板の上に置いといてくれればいいから」 「わかった」 「……あ、イチー。お湯沸いたから珈琲と紅茶淹れてくれー」 喋りつつもテキパキと作業をこなしていく千早は、コンロの上で火にかけておいた薬缶が甲高い悲鳴を上げていることに気付き、カウンター越しに一季に頼む。 零音と一緒にテーブルの準備をしていた一季はキッチンに入って火を止めるとお湯をカウンターの台に置き、リビングに戻ってからキッチンと向かい合ったカウンターで作業を進めて行く。 小学校低学年の頃からやっている所為か、迷うことなく手を動かす姿は静かな表情と合わさって余計に中学一年生には見えない。 百五十センチ前半というまだまだ伸びたり無い身長が唯一、一季を子供っぽく見せていた。 珈琲と紅茶が良い香りを漂わせる頃には朝食が出来上がり、食器棚からごそっと出してきた皿にそれぞれ盛り付けた千早の声が響く。 「レー、モモ、出来たぞー」 「はーいっ」 「今行くー」 零音と百音の女子組みが出来上がった朝食をテーブルに運び、一季は並べられたカップにサーバーの中身を注いでいく。 二台のトースターがパンが焼けたことを告げると、それを合図に千早が席に座るように手を叩き、トーストを取り出した十夜が残りの二枚を焼く為に再びトースターの蓋を閉める。 「あ、今日はスクランブルエッグなんだ」 「…髪くらい梳かしてこいよ」 一仕事してきた所為か、すっかり目も頭も覚めたらしい万里は父親譲りの精悍な顔立ちを惜しげもなくさらしているが、髪がボサボサでは折角の漢前が台無しだ。 しかし、定職に就かない長兄を大して敬ってもいない千早が眉を顰めたのは、勿体無いという気持ちではなく、ただ単にだらしないという思いからだった。 兎にも角にも全員が席に着き、行儀よく手を合わせる。 「「「「「「いただきます」」」」」」 礼が済むと千早は早速カップに手を運び、一口飲む。 隣に座る一季も同じように一口飲み、その隣の万里はシュガーポットに手を伸ばす。 だが大きな手がそれに届く前に真正面に座る百音が掠めるように奪い、零音に手渡してやる。 「はい、レーちゃん。お砂糖」 「ありがとう、モモちゃん」 笑顔の百音からシュガーポットを受け取った零音は笑顔でお礼を述べ、ティーカップの中に角砂糖を一つ落とし入れた。 スプーンでくるくるかき混ぜるその隣では、十夜が同量の紅茶に角砂糖をポチャポチャポチャと三つ投げ入れている。 それは少しばかり可笑しな光景だが、陸海家では当たり前のことだった。 初めの頃こそ驚いたものの、甘党と言える範囲だと、珈琲も紅茶も砂糖を入れずに飲む千早と一季は思っている。 甘党の範囲で済ませられないのは、同じ列に座る長男、万里だ。 何故なら、奴は―――…。 ぽちゃ ぽちゃ ぽちゃ ぽちゃ ぽちゃ ぽちゃ ぽちゃ ぽちゃ 。 珈琲に角砂糖を八つも入れて飲むのだ。 いつからだったかは覚えていないが、気付いたら万里はやたらと砂糖を入れて飲むようになっていた。 以前、千早はそんなに砂糖を使うなら紅茶かお茶を飲めと言ったのだが、万里は頑として首を縦に振らず、珈琲味の砂糖なのか砂糖味の珈琲なのかわからない液体を飲み続けているので、相手にするのが面倒になった今ではあまり見ないようにしている。 慣れてしまえば、ザリザリという奇妙な音も幻聴だと言い聞かせることが出来た。 「……」 朝早くからアクシデントが起こり、朝食が出来てから起こされる万里が珍しく最初から席に着いているが、今日もいつも通りの朝だと、百音は対角に座る千早を盗み見ながらほっと胸を撫で下ろす。 内心、いつ怒られるのかとヒヤヒヤしていたけれど、こうして朝食が開始されたことを見る限り、どうやらお咎めは無いらしい。 不意に視線を感じて横を見れば零音の小さな頭の向こうから十夜が何かを言いたげに自分を見ており、同じことを考えていたのだと想像がつく。 百音は目だけで、大丈夫みたいね、と伝えた。 「さて、…」 安堵した百音がティーカップを、十夜がトーストを口に運んだ時、意味ありげに千早が口を開く。 「ムツミモネさん。お菓子すら自分で作ろうとしない貴女は何故、朝食を作ろうなんて無謀なことをしたのかな?」 「…………」 「そして、ムツミトオヤくん。貴方は当然、駄目になったスリッパとタンブラーを自腹で買って来てくれるんですよね? 今日中に」 「…………」 ティーカップに口をつけたまま百音は表情を固まらせ、十夜は香ばしいトーストに齧り付いたまま停止したのだった。 FIN * CHAP |