神様に祈るより、 アパートを焼け出された義弟が転がり込んで来て早二週間。 バカタカの叫び声を聞かずに済んだ日はあっただろうか。 いや、 な い (反語)。 「ぇぇえええっ?! ちょっ、どうしよう!!? えっ、何で!? 何で!??」 他の住人が火を出した所為で突然住む場所を失ってしまったことには同情する。 本人の過失だったなら甘ったれんなと顔面に右ストレートを喰らわせてやるところだが、他人の過失なんて予見出来るはずがない。 親に頼らず、アルバイトをして貯めた自分のお金で借りていたらしいからオンボロアパートでもショックは大きかっただろう。 しかし、住める状態ではないと言っても教科書やノート、衣類なんかは全部焼けずに残ってるんだから、災難だったな、って思う程度だ。 遠慮せずに過ごしていいからね!、なんて嘘でも言いたくない。 第一、キャラじゃねえし。 「フユキ! フユキ大変ッ! オレンジがオーブンになって電子レンジを光に回ってない!!」 リビングの方から響いてくる声に眉間を押さえる。 …なんだそれ、意味わかんねえよ。 新人レポーターだってもっとマシなレポートするっつーの。 「フユキ助けてっ!!」 「一々大騒ぎすんな。うぜえ」 「ッ?! あ、あぶないじゃんっ。ハードカバーの本って立派な凶器だよ!?」 ドアが開いた瞬間に投げつけたのに、運動神経というか反射神経だけは優秀なのか、勇鷹は顔面に迫るそれを片手で受け止めやがった。 チッ…せめて両手使えよな。 今にも泣きそうだった情けない顔を更に歪めたのが鬱陶しい。 オレは義弟を大事にするような心優しい義兄じゃねえんだよ。 「てめぇの叫び声も立派な凶器だボケ!」 「イタッ!」 擦れ違いざまに足を踏みつけ、調理器具のあるキッチンへ向かう。 音を頼りに電子レンジを覗き込めば、本来回るはずのターンテーブルの上でマグカップが静かにオレンジ色の光を浴びていた。 …何で「温めスタート」ボタンと「オーブン機能」ボタンを押し間違えるんだよ。 見ればわかるだろ。文字ぐらい読めるだろ。 機械音痴以前の問題じゃねえか。 開発者に謝れ。 「‥ふ、フユキ…?」 「視力はいいって言ったよな」 「う、うん。裸眼で2.5くらい」 「じゃあ、てめぇの眼窩にはまってるそれは擬い物じゃねえってことだよな」 「ガンカ…?? えー、えーと?」 駄目だ、コイツ。本物の馬鹿だ。 マジで相手するの疲れる。 「くだらねえことで一々オレを呼ぶんじゃねえよ…」 目を伏せ、こめかみを指でマッサージする。 はっきり言って、コイツの神経が理解出来ない。 親父が再婚した時、既に一人暮らしをしていたオレは新居には住まなかったし、ほんの数回しか遊びに行かなかったから、六歳年上の義兄にどんな人なんだろう、と興味を抱くのはわかる。 音楽関係の仕事をしていて芸能人に知り合いがいるなら尚更だ。 しかし、親父の顔に泥を塗らないようにと二人の前で猫を被ってはいたが、聖人君子や好青年を装っていたわけでは決してない。 何らかの期待を持たせるような言動をとった覚えもない。 それなのに、オレがどういう人間かは転がりこんできたその日にわかったはずなのに、どうしてこう、怒られることを続けてするのか…理解不能だ。 コイツの神経はワイヤー並みに頑丈なのか? 今までに関わってきた奴らはオレが怒鳴ったり睨んだりすると、出来る限り近寄りたくないと離れて行ったが、コイツの頭には関わらないようにしようとか怒られないようにしようとかいう考えは浮かばないのか? 「ご、ごめん‥‥あの、これ、どうすればいいの…??」 あるはずのない尻尾と耳を垂れ、恐る恐る訊いてくる大型犬。 「電子レンジなんか間違えたと思ったらとりあえず『取り消し』ボタン押しゃあいいんだよ」 オレを見つめるその眼差しにイラついて早口で言えば、飼い主より二十センチ近くデカイ馬鹿犬は慌てて電子レンジに向き直った。 「と、とりけしボタン…とりけし…あっ、あった!」 ピッという音が鳴り、オレンジ色の光が消える。 オーブン機能を使った後は扉を開けて暫く庫内を冷まさなきゃいけないが、少し予熱をしただけなら続けて使えるだろう。 勇鷹が慎重にボタンを選んで押し、ターンテーブルが回り始めたのを確認してから、オレは背を向けた。 「あっ、ごめんねフユキ! ありがとう!」 「礼なんか要らねえよ。さっさとアパート見つけて出てけ」 「! う、うん……」 自室へ戻る耳が弱弱しい声を拾っても、脳内は優しい言葉を生み出さない。 オレの平穏を乱す奴には優しさなんて向けられない。 七年間黙殺してきた恐怖は、再び目の前に現れた今、以前より何倍も大きな口を開けて哂っている。 落ちて来い、落ちて来い、という囁きが耳鳴りのように強く聞こえて、オレは閉めたドア伝いにずるずるとしゃがみ込んだ。 「――――頼むから、早く出てってくれ」 オレが強がっていられる内に。 |