誕生石物語 一月 ガーネット 「マンダリン……マンダリン……っと、もうっ!!」 彼女は携帯を放り出し、スプモーニを飲んだ。 「……酒場ではお静かに。」 彼は読み続けている文庫本から眼を動かさずに言った。 ページをめくる合間に、左手で小さな切子グラスに入った金色の液体を口に運ぶ。その度に甘い匂いがアルカディアのバーカウンターに広がった。 「ねえ、聞いてよ。今日お客様がね、マンダリンガーネットを探しに来られたの。なんで、オレンジ色のスペサルティンガーネットお見せしたら、これはマンダリンの色じゃない、マンダリンすら知らないの?!ってしかられたの。」 「ふうん。」 「でさ、ちょっと意地になって探してるのよ、マンダリンを。」 「なるほど。」 「ところで何読んでるの?顔がにやけてて気持ち悪い。」 「……そうか?いつものごとく推理物だよ。ただし、傑作中の傑作。今作者と対決中。」 「作者と対決?」 「そう。チャイナ橙の謎、1934年、エラリー・クイーン。」 「ちゃいなとう?」 「The Chinese Orange Mystery。中国の柑橘類だから、橙という漢字をあてたんだ。日本語読みではダイダイとよむ。ちなみにダイダイが正月のしめ飾りに付けるやつ。」 「ねえ!!そんなのどうでもいいからこっち手伝ってよっ!」 「……。」 彼は眉を寄せてから本を伏せ、無言で杯を空けた。 「お替わりなさいますか?」 静かな声がかかった。穏やかな笑みを浮かべてアルカディアの主人が立っている。 「ガリアーノとスプモーニもよろしいですが、よろしかったら話題のオレンジの酒はいかがです?」 マスターは蜜柑を差し出した。 「温州蜜柑、これは中国原産の柑橘類から作られたのですが、これを含む中国系の仲間をマンダリンオレンジというのです。」 「うそお……。」 「へえ……。」 彼女は眼と口を大きくあけ、彼は頭をかいた。 「今年はちょっと茶目っ気を出しましてね。うちの看板のサングリアを、オレンジの代わりに蜜柑と伊予柑でやってみたんですよ。いかがです?」 「飲みます!すっごく飲みたい!!」 「おれもいただきますよ、マスター。犯人特定に役立ちそうな気がしますからね。エラリー・クイーンの推理小説の国名シリーズには『読者への挑戦』という刺激的な仕掛けがあるんですけど、行き詰っててね。」 マスターは人柄そのものの笑顔をたたえながら、赤ワインに情熱の太陽を閉じ込めて作った酒を二杯用意した。 「……蜜柑って、綺麗ね。当たり前すぎて良く見てなかったわ。」 カウンターの上で蜜柑が輝いている。 「男と一緒だな。」 彼のつぶやきは意図的に無視された。 幼馴染の二人がもう一歩関係を深めるには、より多くのサングリアとマスターの加護が必要なのかもしれない。 [次へ#] [戻る] |