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優しい約束を
*ヒロインの名前は朱里ちゃん
*回想シーンは中学生設定
*主人公がうじうじ思春期


〜〜〜〜〜

『馬鹿みたい』


まだ肌寒い風の吹く、とある春の日。そう俺に言ったあの子のことについて思い出す。

思えば彼女には出会った頃から、いつだって辛辣な言葉を投げ掛けたものだった。
春。新しいクラスで新しい一歩を踏み出す、特別で始めての日。前のクラスからの友達とひたすらにふざけあっていた俺を見て、後ろの席に座っていた彼女はたった一言『馬鹿みたい』だと呟いた。それが、俺と彼女との初めての出会い。我ながら実に最悪のスタートだったと思う。
そんな悪印象の出会いを終えて夏を過ぎ、秋を超え、冬になって。俺は同じクラスで、後ろの席の彼女のことを知る機会が多くなった。

彼女の名前は月洲 朱里(つきす あかり)。
ことあるごとにすぐに俺に突っかかってくる、背が小さくて、真面目で、負けず嫌いな女の子。
運動が苦手なのに、そのくせラクロス部のキャプテンで。
プレッシャーに押し潰されないように、気丈に振る舞うような強がりで。
朝、誰よりも早く練習を始めて。夜、誰よりも遅くまで練習を続ける。
必死に練習して、今を懸命に駆け抜けて。辛くても苦しくても、いつもで笑顔で。
何故だか目が離せなくて。
気が付けば、自然に姿を追ってしまっていて。
これからもこうして軽口を言い合っていたいと思えるほどに。
くだらない言い合いさえも心地よく感じるほどに。
ずっと傍にいたいと願ってしまうほどに。
俺にとって彼女との時間は特別だった。朱里とは、それほどまでにこの胸の中で大きな存在となっていた。

けれど、この関係も時間も永遠になど続くわけがない。
春が来て、夏が過ぎ、秋を超え、冬を終え。
また巡る少し肌寒い春の日。それは出会いの季節であり、そして別れの季節でもある。


『卒業』の文字を大きく掲げた看板の立つ校門。遠くに響く笑いと嗚咽の入り交じった人々の声。ガラリと人のいなくなった教室。
非日常な世界が、刻一刻と迫る別れの時を予感させた。中学を卒業すると、朱里は遥か遠い町にある高校へ進学してしまう。彼女への想いを告げるのなら、もはやこの日しかないと。その当時の俺もしっかりと理解はしていた。そう、頭では分かっていたのだ。




まず結果から先に言おう。
俺は結局朱里に何も告げることなく慣れ親しんだ中学を卒業した。
あの日、卒業式のあとに教室に呼び出した朱里と対峙して。頭で組み立てていた理屈、それが全て彼女を目の前にした途端に音を立てて崩れ落ちた。要するに、俺は臆病風に吹かれたのだ。その日しかないと分かっていても、伝えたかった大切な言葉は何一つ出てきはしなかった。

彼女に拒否されるのが怖かった。
心地の良いこの関係が崩れてしまうことが怖かった。
怯えて、恐れて、一歩踏み出す勇気も生まれず。強がって、誤魔化して、結局はいつものように軽口を叩いてしまう。

楽しげな彼女の笑みの眩しさと、自分自身の情けなさに、ひどく泣きたい気分になった。彼女の声を聞くたびに、笑いあうたびに、切なさが募りに募って胸が苦しくなっていく。


彼女に会えなくなる。
もう二度とこんな風に笑い合えなくなる。
何も告げられぬまま、好きだと言えぬまま。




『なーに泣きそうな顔してるのよ、馬鹿みたい』


ふいに辛辣な言葉が優しい声で紡がれた。軽口ばかりを叩いていた口が、驚きのあまり無口になる。
笑っていたつもりだったのに、どうやら彼女には泣きそうに見えていたらしい。いつものキツい口調の中に混じった穏やかな気遣いに気付いてしまったために、何を言っているんだと誤魔化し、流すこともできそうにない。必死に隠そうとしていた本心を軽々と見抜かれたようで、羞恥に身体が一気に熱くなった。


『…まだ泣いてない』


振り絞った精一杯の強がりの言葉すらも、なんと情けないことか。言いたいことを伝えられないもどかしさが胸を締め付けた。早く、早く伝えなくてはと頭だけが急く。それ以上動こうとしない口。廊下の遠くから騒がしい声が近付いてくるのが分かる。タイムリミットはもう目前だった。



『月洲、俺は…!』

『ねぇ、それちょうだい?』



無理やり捻り出した言葉は、彼女の発言にいとも簡単に飲み込まれた。急な不意打ちに怯んで固まってしまった俺を余所に、悪戯な指が近付いてきたかと思うと、あろうことか急に俺の制服のボタンを一つもぎ取ったのだ。
驚きのあまり反射的に見つめたその瞳は、楽しみを見つけた悪戯っ子のように輝いている。それから彼女の指で弄ばれているボタンを視界の端に捕らえ、慌てて自分の制服の胸元を見下ろした。

元々並んでいたボタンは5つ。規則正しいその列から抜け出したのは、上から数えて二番目のものだった。


『第二ボタン…』

『仕方ないから、今はこれで我慢してあげる』



俺からもぎ取った第二ボタンを楽しそうに指先で転がしながら、彼女が柔らかく微笑む。
彼女は知っていたのだろうか。制服の第二ボタンに込められた意味も、意気地のない俺の心も、何もかも。


そうしてどうしたらいいのか分からず狼狽えていた俺を一人残して、彼女は遥か遠い町へと旅立ってしまった。ご機嫌に去っていた彼女と入れ違いに教室に入ってきた友人の心配の言葉などは耳に入らず、俺の心を捉えて離さなかったのは彼女が最後に残した言葉。


『いつまででも待ってるから』


朱里は今でもあの言葉を覚えているのだろうか。もちろん俺は覚えている、忘れられるはずもない。
だからこうして電車を乗り継ぎバスをも乗り継いで、何時間もかけてやって来たのだ。彼女の住む、遥か遠いこの町に。

卒業から5年。あれから背も延びて声も低くなった俺に彼女は気付いてくれるだろうか。長く待たせてしまった俺を許してはくれるだろうか。会いに来ようと決めたときから不安は募るばかりだ。
だけど、きっと朱里ならば少し悪態をつきながらも笑ってくれるのだろう。あの頃のように『馬鹿みたい』と言いながらも、俺の大好きな優しいあの笑顔で。
そんな根拠のない予感を抱きながらも、気合いを込めるために荷物の詰まったボストンバッグを高く高く突き上げる。風は優しく、空は快晴。それは稀にみる、絶好の再会日和のことだった。

やさしい約束を

(ようやくいま叶えに来たよ!)






ハイテク溢れる現代でまさかのアナログ設定。
一時期、第2ボタンに凄く憧れました。

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