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夕焼けカンランシャ<前/静臨>
 






俺は“日常”に入れない。
それはとうの昔に捨て去ったもので、取り戻す必要も、もう一度味わう必要もないものだ。自分には求められないものと解りながら。自分には必要のないものだと知りながら。日常の存在をありありと見せつけられると、俺は、誰かさんではないけれど、馬鹿みたいに壊したくなる衝動に駆られる。
羨ましいのだ、どうしようもなく。そんな感情、痛いほど理解しているというのに。





「はぁ、人間は今日も暇を持て余している。」

楽しみながら溜め息を吐くという感情と行動の相反を理解しながら、臨也は携帯をいじっていた。何を見ても憂鬱になるのは恐らく今居る場所のせいだが、人間観察をするにあたってこんなに適する場所もそうそうないだろうと、臨也は口元を苦々しく緩める。
遊園地。
臨也はその場所が嫌いではない。休日を楽しむ家族連れやカップル、はたまた友達連れ等多種多様な人間を一挙に見ていられるからだ。ただ先程の通り何処か憂鬱になるのは、いつも通り一人だからだろう。特にそれに対して感情を覚えるわけではないし、むしろ当たり前だと思っているが、感情、場所、時間全てが重なって臨也の胸を焦がす。ただらしくもなくぼーっと、目線は通り過ぎる人々を追っていた。

何故、俺が日の暮れかけた遊園地にいるのかといえば、仕事だから。
とある弱小芸能事務所からの依頼は、新宿の情報屋をただの便利屋と勘違いしているのかとも思えるような些細な依頼で。「××遊園地に、×月×日に内の事務所に所属している女優が行くかどうか」。むしろ依頼に分類されるのかも迷うところだが、情報料の払いが異常に良かった。そういう場合は大抵別の目的がある事は理解している。案の定、それはダミー依頼で、調べてみれば俺を遊園地という場所へ向かわせる為だけの仕事だった。「俺の情報を無償で利用する為の脅し」という奴らの本当の目的は、勿論既に遂行する事が不可能にしてやったのだが。
じゃあ何故ここにいるのか、だから仕事なんだって。
同じ芸能事務所からの依頼はもう一つ。俺にダミー仕事を依頼してきた奴らの情報。話によれば、内部分裂を起こし二つの派閥に分かれているらしく、片方を潰す為に片方が持ちかけてきたという事だ。それは妥当な依頼だと判断したので少し上乗せした情報料で自ら出向き調べているという所。しかし俺にも思う所はあったわけで、今、その仕事の裏を取ろうとしてる。不可解な二つの依頼をしてきた弱小芸能事務所そのものが疑わしいのだ。明らかにそいつ等は全員、芸能事務所その人達といえる様な柄の者達ではなかったのだから。

「うー、冷えてきたかな。」

遊園地の野外ベンチに腰掛けながら、臨也はひとり言を呟き続けていた。夕焼け空に少し目の前がぼやけるのは何故だろか。やばいなぁ、少し気が抜けてる、なんて思いながらも不可思議に切なくなる思考は止められなかった。そう、飛んで来たゴミ箱に気付かないほどまでに、臨也は茫然自失していたのだ。

「臨也ァァ!!手前こんな所で何してんだ!」

あまりに聞き覚えのある声にはっと我に返った臨也は、勢いよく横を通り過ぎたゴミ箱に冷や汗が額に伝うのを感じ、恐る恐る顔を上げ、駆け出す。

「やぁ、こんな所で会うなんて奇遇だねシズちゃん!」

全力で走り出したかと思うと背後から追ってくる怪物に言葉を投げかける臨也。必死で逃走しながら振り返れば、やはりそこにいたのは平和島静雄ことシズちゃんだった。見かけたら問答無用で追って来るのだと改めて認識しながら、今自分達が追いかけっこしている場所を思い出し臨也は口元を歪める。

「あれぇ?シズちゃんここ遊園地だよ?君みたいな怪物が居るとせっかく楽しみに来た人が怖がっちゃうじゃないか。あ、昔やってたバイトの続き?ライダーショーならこっちじゃないよー?」
「うるせぇえええ!!手前こそ何でいるかって聞いてんだ!」
「仕事だよ!お仕事!」

そんな不毛な会話を続けながら足を走らせていたが、どうも臨也は先の心持の問題で調子が悪いのか、珍しく距離を詰められていく。これはまずい。臨也は静雄を振り切ろうと必死になり、形振り構わずパルクールの使いやすそうな観覧車付近に向かい駆けた。観覧車の係員が蒼褪めて離れていくのがわかり、観覧車を越えようと柵を跨げば、背後に悪寒を感じ、思わず降りていたゴンドラで避ける。飛んで来るベンチが目に入った。避けるには逃避しようと思っていた進行方向の反対に身を翻すしかなく、臨也は反射的にゴンドラの中に入ってしまう。
背後の柵に無残に打ち付けられたベンチを見ながら、このまま上がってしまえばあの怪物から一時的に逃れられるのではないか、もし待ち伏せされていても途中でどこかに飛び降りてしまえばいい、勿論パルクールの使えるレベルで。
一瞬で色んな憶測が飛び交ったが、次の瞬間に全て吹っ飛んだ。

「臨也ァァ…逃がさねぇぜ…!」

ガキン、と扉の外される嫌な音と共に上がりかけたゴンドラに静雄が飛び乗った来た。背を屈めて狭いゴンドラ内入ってくる静雄に、逃げる事は不可能と判断した臨也は座り込み降参したように手を上げる。

「シズちゃん…ホラ、ここで争うのは賢明じゃないと思うよ。暴れたら止まるし、落ちたら君は大丈夫でも俺が死んじゃうよ。君にとっては嬉しいと思うけど、他にも何人か乗ってる人が居るんだからその人達に迷惑かけちゃいけないよね?」

臨也がそう捲し立てると、今にも掴みかかろうとしていた静雄が眉根を寄せ、そして静止した。周知の事実として静雄は臨也が大嫌いなわけだがそれは勿論臨也の方も同じで、上がっていく狭く静かなゴンドラ内は嫌悪感と沈黙に支配される。男二人で観覧車。そんな光景は少しシュールだったが、その男二人が犬猿の仲同士と知っている者から見ればあまりに恐ろしい光景だろう。静雄は珍しく臨也の意見がまともであると判断出来たのか、青筋を立て舌打ちしながらもゆっくり臨也と反対側の椅子に腰掛けた。

「今すぐお前を殺してぇ。」
「そんなの俺もさ!」
「うるせぇ喋るな息するな、手前と同じ空気を吸いたくねぇ。」

そしてまた盛大に舌打ち。臨也も普段ならここで青筋を立て、あまり酸素を吸わなくていい様本気で息を止めようとするだろう。しかし今の臨也は少し違った。それは自分でも理解していたが、どうもこの感情は自分でもうまくコントロール出来ないようで。
沈黙。本来観覧車とは低速で回転するものだが、この空間では更に時間流れが遅く感じられた。臨也はそんな空気に耐えられず、臨也を見ない様にひたすら窓の外を見ている静雄に一瞥し、自分も同じ行動を取るのは嫌悪するほど癪だったが肘を付き窓の外に目線をやった。

「で、何でシズちゃんがここにいるの。」
「シズちゃんって言うな、後喋るなっつたろうが。」
「じゃあシズちゃんこの空気に耐えられるのかい?俺は無理死にそう。一時休戦してよ。」

静雄の切り返しを予想していた臨也はきっぱりと痛い所付く。それに静雄はサングラス越しで少し目を見開くと、青筋を収め、臨也に向き直り大きく溜息を吐いた。

「俺は、…茜にせがまれたんだよ。トムさんがならヴァローナも連れて行けっていうから連れてって、二人に飲み物買ってやろうと店探してたら、…手前がいた。」

あぁ、栗楠茜か。情報整理を一瞬で終え、臨也は口元を歪める。平和島静雄は退化していっているのか。人間らしくなっちゃって、それがらしくないのに。そう言ってやりたかったが、ここでそう告げると観覧車から突き落とされかねないので言葉は呑み込んだ。無性にやるせなくなるのは、引き摺る憂鬱な気持ちのせいだと思いたかった。
沈黙。今度は臨也が無意識的に口を開く。

「観覧車って、面白いよねぇ。確かどこかの貴族さんが遊具として作ったのが初めてだったけど、それがこんな娯楽施設に併設されるほど大衆化したとは。人間はそれに乗って大パノラマ観覧を楽しんでる。うん、面白い、それほどの事で楽しめる人間がやっぱり愛しいよ。」
「耳障りだ。」
「俺も好きだな、観覧車。基本的に高所が好きだからもあるけど、こんな遊具で人間とこの街を見下ろしてると自分が神様にでもなった気分になるじゃないか。楽しい錯覚を味あわせてくれるこの風景が好きだ。シズちゃんもそう思わない?」
「馬鹿じゃねぇのか。」
「うーん、まぁそれでもいいか。」
「……見る風景は、好きだけどな。」

まだ観覧車の回転は四分の一辺りに差し掛かった程度で、この異様な空間はまだまだ続くのだと二人の嫌悪感が気まずさに変化してきていた。臨也は小さく溜息を吐き、ただその気まずさを紛らわす為その風景を見続ける。
夕焼け。
恐ろしいほど美しい夕焼けに、臨也は何故か目頭が熱くなる。まどろむ感情、ぼーっとしていた思考、空しい行動、茫然自失、全てが臨也の押し込めた本音を残酷に浮き彫りにしていく感覚が苦しい。きゅっと唇を噛み、眩しい夕日に目を細めた。








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