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Leannán-Sídhe説〈臨也と波江〉






「まるでガンコナーね」

淡々とした口調でケルトの妖精の名を口にした黒髪の女性が、青年の方には目もくれずそう言った。今しがた帰った女の子は、黒い椅子に座りデスクに向かわず窓の方を見ている青年の信者と呼ばれていた。

「やめてよ波江、俺はまだ23歳だよ?あんな老人と一緒にしないでくれないかなぁ」

青年は青空が話しかけてきたと大袈裟な比喩ができるほど爽やかな、かつ美しい声でおどけるように言った。
顔は見えない。
窓に映るのは、眉目秀麗で精悍な顔の青年だった。

「別にまだ隠居してる訳じゃないし、人間が渦を巻いた巨大な都市に住んでるんだから、決して寂しい場所に居る訳じゃない。魔力も使えないし、皆が皆俺に恋する事もない。そもそも口説いてるわけじゃないよ、紀田正臣君と違ってね」
「そう、それよ、紀田正臣とその彼女。あの三ケ島沙樹とか言うあなたの信者の女の子よ。あなたは神のシフトがどうたらとか言ってたけど、まるでガンコナーを形容したのがそれだわ。口説いて恋心を抱かせて、信用させて利用する。けれどあなたは決して近付こうとせず、その上必要が無くなればすぐに姿を消してしまう。なのに女の子達は文句も言わず、あなたの為に死のうとするわ。見方を変えれば、それはあなたへの恋焦がれから来る死だと思わない?」
「珍しく饒舌だね、まぁ、信頼が恋心とは限らないだろう」

あなたのそれは同じようなものじゃない、と女性が心中で呟いたが、青年が否定する事は目に見えていたので言葉には出さなかった。それを敢えて気にも留めず、女性は次の言葉を続けた。

「何も信者の女の子に限った事じゃない、その紀田正臣にも言える事よ。一年前にあったていう黄巾賊とブルースクエアの抗争で、随分あなたを恋焦がれたらしいじゃない。けれどあなたは姿を消したように黙り、結局最後に未来の彼は過去に死んだのでしょう」
「彼は生きてるよ?」
「解ってるくせに話を逸らさないで」

青年が不思議そうに疑問符をつけても、女性は青年が全てを理解していると嫌になるほど知り得ていた。だから怒ることもなく、ただ話の筋を戻させた。

「未来が過去に死んだ、その表現は面白いね。しかもその道を敷いて背を押したのが俺だから尚更気に入ったよ。実際、彼は過去に捕われ、未来が死んだも同然だった。俺と出会い、俺の情報に説かれ信頼し助言を求め、俺は姿を消し、彼は恋焦がれた。ガンコナーのそれでもいいよ。でもいいじゃないか、死んでも過去という神がいるんだから」
「相変わらずあなたのその神話的思考にはついていけないわ」

興味なさげにそう言うも、女性は一度青年を見やった。
顔は見えない。
窓に映るのは、悪魔にも死神にも成り得るあどけない青年の顔だった。

「言っただろ?過去は寂しがり屋なのさ。ずっとずっとずっと付いて回る、それこそ気が狂うほどに。何処に居ても何をしても、自分が自分である限り過去からは決して逃げられない」
「裏切られる事も消えることも無い絶対的真実だから、神に等しいと?なら私達は、逃げられない神を背負っているのね」
「そういう解釈も出来るだろう。でも波江、これは言い換えれば、」

演説するかのような口調で力強く喋っていた青年が、ふと、止まった。

「自分が自分でなければ、逃げられるんだ」

虚しい声だった。僅かな悔いを含ませた、どこか遠い声だった。聞き逃せなかった青年のその声に、聡明な女性は窓に映る青年に目を凝らして言葉を刺した。


「あなたはどんな過去から逃げているというのかしら?」


顔は見えない。
窓に映るのは、神から逃げ惑う子供の様に張り詰めた青年の顔だった。
眉目秀麗だった顔は幼く歪み、空虚を映す。目を見開いていた青年はすぐに瞼を閉じ、そしてその表情を覆うかのように笑った。既に女性は視線を手元に戻していた。

「聞かないわ。あなたが臆病で卑怯で下劣なのは知ってる。それだけで十分よ」

女性の言葉も聞かず青年は笑っていた。何処か壊れていて、どこか哀れで、どこか脆い笑い声を上げて。一頻り笑った後、青年が再び口を開いた。

「…話を戻そうか。そもそも、あの紀田正臣は生きてる。彼は生き返ったじゃないか、過去という神が三ケ島沙樹という人間になったおかげでね。ああ、彼は早死にするだろうなぁ」
「どういう事?」

再びちらついた死という言葉に女性が眉を少しだけ顰めさせた。青年は楽しくて哀れで仕方ないというほど高揚して捲し立てた。

「前に、新羅の父親…あぁ、君に玩具の銃を突きつけたガスマスクの奇人さ。その奇人が来た時に、リャナンシーの事を話してただろう?俺が思うにまさしくそれなんだよ。どちらかというとガンコナーよりもね」
「あの、人間の男に愛を求め、受け入れられなければ奴隷の様につき従い、受け入れられれば才能を与える代わりに早死にさせるという?あなたと信者との相柄ならまだしも、とても見えないわ」

女性がきっぱりとそう言えば、青年はまたけたたましく笑った。

「そう、そう、そうだよ!見えないんだ!波江、君はリャナンシーの特徴を一つ忘れている。リャナンシーはね、見えないんだよ」

その青年の言葉は、やけにはっきりとしていた。紀田正臣にダラーズの創始者を宣告した時の様に、少女の神を自分にシフトさせた時の様に。

「美しい妖精リャナンシーは、彼女が愛した人間にしか見る事が出来ない。それ以外の人間には、何も、そう、何も見えないのさ、何も起こっていないようにね」
「だから紀田正臣と三ケ島沙樹も、その様には見えないって?じゃあ才能はどうなるの?詩と美しい歌声という詩人や歌人らしい才能が与えられたなんて、到底考えられないわ」
「それはそうだ、だから結局のところそれらしいってだけで、彼女も人間でしかない。まず、見えてる訳だしねぇ」

青年はデスクに置かれていた容器を手に取った。手にとってまた窓の方を向いた。容器には女性の首が入っていた。青年は首に話しかける。それは独り言だった。

「君なら本当のリャナンシーが見えるかもね」
「セルティは、不完全だから見えないのかもしれない」
「君が目覚めれば、」

顔は見えない。
窓に映るのは、自分を削ってでも天国という作品を作ろうと足掻く青年の顔だった。

「まぁでも、やっぱり俺がガンコナーな訳じゃなくて、彼女達と俺の関係がリャナンシーと男の関係なだけだよ」
「じゃあ何、差し詰めあなたはリャナンシーに取り憑かれた人間って事?」
「あははは!まさか!俺は彼女達の愛は受け入れていないよ。彼女達は愛しい存在だと思うけど、俺が愛してるわけじゃない」
「それはそうよね、あなた、彼女達には絶対に手を出さないものね。必要以上に触れようとすらしないようだし。その無駄に爽やかな美しい声で、自作した預言書の詩を、まるで歌う様に黒幕で紡ぐあなたのその才能は、」

そこで今までほとんど表情を崩さなかった女性が、目を見開いて青年の方を振り返った。

「あなたまさか、」


リャナンシーは、人間の男性を愛す。愛を受け入れられなければ奴隷の様に付き従い、男が愛を受け入れるまで尽くす。男が愛を受け入れれば詩の才能を与え、美しい歌声を授ける。引き換えに、毎日少しずつ、死を早める。自分の描いた理想の作品を生む代償は、死だった。そしてそれら全て、彼女に愛された者以外に見える事はなかった。


「愛を受け入れたんじゃないでしょうね?」


青年は人間に愛されない人間だった。人間からは決して愛されない存在だった。そして青年は人間の男だった。捲し立てて追いつめ、さも預言者の様に語る詩を生み出せた。軽快に残酷に最高のタイミングで歌う、美しい歌声を持っていた。そしてそれら全て、彼が愛している人間には見えているのに、人間が彼を見る事はなかった。




見えない。


窓に映るのは、何よりも死を恐れる青年の顔だった。









0518
リャナンシー説大プッシュ


あきゅろす。
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