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安眠労働〈静臨〉




労働とは尊いものだと誰かが言ったが、同時に労働とは恐ろしいものだとも言える。
自分のこれは労働や仕事という人間としての有り触れた行動、もしくは本能とも言える様な大層なものではなく、趣味の範囲だと豪語しているのだが、はたから見た意見や現状としての事実はそうではないらしい。
そんな労働を連日立て続けに励み、不眠不休を続けた3日目。

「あー、眠りたいな。」

自嘲気味に微笑んでそう呟いたのは情報屋。眉目秀麗という言葉を具現化したはずの男の顔色は悪く、目元に隈。人間の体にとって一番の毒は睡眠不足と知っているが、その真実を身をもって経験している今自分は人間であったのだと無性におかしくなった。大きな溜め息を吐きながら、疲れ切った体を動かす気力さえ湧かない。
これまでも情報屋という些か不規則な仕事のせいで連日寝る暇もないという出来事は日常茶飯事だった。しかし自分が自分を理解しきっている限り自己管理は怠らなかったし、いざ睡眠を目の前にすればすぐ安眠につけたものだ。
ただ今回違うのは、その安心度。ここ立て続けの仕事が自分の身を保守しなければならない上、緊張の糸を張り巡らせ精神をすり減らすものばかりで。その疲労のせいか緊張を解くタイミングを逃してしまい、事務所に戻ってきても不眠が続いている。
寝なければならないという事はわかっている。けれどどうあっても寝れないのだ。睡眠薬に頼れば早いが、生憎その手段も行使できない。薬箱を荒らした形跡が全てを物語っていた。

「波江…に、電話…」

不眠のせいで少し頭の回転が遅くなっている臨也は、やっと携帯に手を伸ばした。が、ふらふらとした手元は狂い、静寂の室内で派手な音を立てながら携帯が床に落ちる。
苛立ちさえ起きなかった。ただ椅子に座りながら腕を目元に乗せ天井を仰ぐ。

「ここまできたら、寝たくなくなってくるから怖いよね。」

落ちた携帯に見向きもせず、臨也は一人乾いた笑いを溢した。
労働とは恐ろしいものだ。その労働と睡眠のサイクルを幾度となく繰り返し乗り越え、また享受している幾多の人間が愛しくて仕方がない。勿論それ以外の人間も愛すべき対象だ。そこに自分は含まれていなくとも。

がたん、と玄関の方から大きな音がした。その後またがたがたという鉄と鉄がぶつかる音が聞こえた。扉を外し、また嵌めたような鈍い音。
疲労困憊な臨也の顔がこれでもかと歪んだ。どうして、先程の労働人間愛について一切関係なく人間として認めていない怪物の奴は、いつも俺が何かしら切迫感に苛まれている時に俺の前に現れるのかと、臨也は舌打ちする。

「よぉ、イザヤ君…元気に色々引っ掻き回してるみたいじゃねぇか。」

青筋を立たせた怪物もとい静雄が土足で臨也のデスクに向かってくる。いつもより威圧感を感じるのは自分の疲労がそう思わせるからだろうと臨也は内心確信せざる得なかった。

「シズちゃん…君にとってはとても喜ばしいタイミングだね、俺にとっては…」

いつもの如く嫌味を並べようとしたが、それさえも途中で途切れてしまう。臨也はだらりと椅子に凭れたまま、静雄に目線を送るのも億劫でただただ鈍い脳内を恨めしく思った。静雄は眉を潜め明らかに様子のおかしいデスク向こうの臨也に近付き手を伸ばす。

「オイ、ノミ蟲」
「触るな、…!」

静雄が伸ばしてきた手に臨也は強烈な拒否反応を示した。その反応に静雄のこめかみが僅かに動くと、次の瞬間臨也の目元を覆っていた腕を思うままに掴んだ。腕を引かれた衝撃に臨也はあっけなく体勢を崩す。声を上げる事もなく椅子から落ちた臨也を、静雄は反射的に胸で受け止めそのまま崩れ座り込む。驚いたのは静雄の方だった。

「臨也!お前…」
「耳元でうるさいよ」

座り込む静雄に体を預ける事となった臨也は、聴覚さえも鈍くなってしまったのか気遣った静雄の声が頭に強く響く。それがどういう意味を持つのかは残響に侵されて理解するどころではないのだが。

「あー、シズちゃんだ」

普段なら既にナイフを翳して一瞥をくれてやるのに、小さく笑いながら気の抜けた声を発している自分は相当頭が緩くなったのかと臨也は瞳を閉じた。そんな臨也の様子に静雄はいつも与えられる側であった毒気を抜かれ、溜め息を吐き太腿付近にある臨也の髪に指を絡める。

「お前よぉ、何回目だと思ってるんだ。そんなになるぐらいならいい加減情報屋やめろよ。その方が池袋の為だ。」
「そうだねぇ…どうしよっかな…」
「俺の為でもある。」

まどろんだ声色で覇気無く答える臨也が抵抗しなのを良いことに静雄は臨也の髪の毛で遊ぶ。

「でも情報屋は…俺が人間を愛す為の、労働でもあるから…」
「屁理屈こねるならきちんと寝てから言え馬鹿野朗。」
「いざ寝ても、聞かないくせに…」

体を縮めながら拗ねた様に額を静雄の太腿に押し当てる臨也。猫かこいつは、と静雄は寝かせつけるようにわしわしと臨也の頭を撫でた。

「今回は仕事が悪かったんだよ、ずーっと気を張ってないといけなかったからね…いつもそうだけど…今回はもっとで…」
「はいはいはい、危ない橋渡るのも大概にしろ。」
「安心できないんだから寝るわけには…いかないよ、あぁ、それは今もだね、シズちゃんがいるんだから…安心してたら、殺されちゃうな…」

そういいながらも瞳を閉じ続ける臨也の口調は既におぼろげで。静雄はここで寝るな、どけノミ蟲等と悪態をつきながらも無理やり臨也を退けようとはしなかった。自分もこの状況に甘んじているのだと分かっていたのだ。

「とりあえずお前ベッド行けって、オイ、このまま寝る気じゃねぇだろうな。」
「…」
「俺がいるんだぞ、殺されるんじゃねぇのかよ?」

徐々に反応の鈍くなる臨也に言葉をかけながらも、静雄の手は臨也の肩を抱いていた。とうとう完全に反応しなくなった臨也の顔を覗き込めば、

「安心しきった顔しやがって…」

すやすやと規則正しい寝息を立てながら、無防備に眠りに落ちた臨也。甘い安眠に身を委ねる臨也の顔はこれだけで見ていれば無害に見える。犬猿の中である自分が来た途端これだと、健やかな寝息が支配する静寂の室内で静雄は苦笑した。

不眠でなくとも臨也の寝付きは最悪だ。たまにこうやって顔を出せば、安心しきってすぐに眠り落ちる事も珍しくなかった。最も憎んで嫌悪している自分にそこまで気を許すのはどうかと思っていたが、恐らく嫌悪しているからこそだろう。
臨也が安眠の内に殺されても良いと思っている相手は、俺だけなのだ。そして、臨也が安眠の内は絶対に殺されないと自負しているのも、俺だけなのだろう。








対照的に、臨也の寝起きは最高だが。



「やぁおはようシズちゃん!朝一番に拝む愛すべき人間の顔が君だなんて本当に最悪の朝だよ!あぁ、君は人間じゃないからそのへんは大丈夫だろうけど、最悪だという感情は覆らないからどうしてくれようか。」

安眠して静雄から離れようとしない臨也にほだされ、わざわざベッドに連れて行って一緒に寝てやった昨日の真夜中。現在、それからまだ数時間しか経っていない朝。なのに臨也にはそれだけの睡眠時間で事足りるらしく、静雄は隣でノートパソコンを弄り始めたそんな臨也に起こされたのだ。

「うるっせぇな……昨日みたいに無防備にとろんとろんとしてりゃあ可愛げあったのによぉ…」
「生憎俺に可愛さは必要ない、むしろあったら気持ち悪くて寝れないね。」
「なら寝るなよ…そのまま死ね」
「残念俺はシズちゃんが死んでから死ぬ事に決めてるんだ。寝ないことなら、まぁ今も仕事してるから出来なくはないけどね。」

仕事、その言葉に静雄は飛び起きる。

「な、お前、いい加減にしろ昨日寝たのは深夜だろうが!こんな早朝から仕事してんじゃねぇまだ寝てろノミ蟲!」
「嫌だね、睡眠は労働したものが味わうことの出来る休息なのさ。俺は労働義務を終えた後に寝るね。」

プツン、とどこかの血管が切れたのかもしれない。静雄は労働だのとほざく臨也からノートパソコンを取り上げ、抵抗を見せた無防備な臨也をベッドに組み敷く。そこでやっと臨也は大事な事実を再認識させられた。
静雄の寝起きは最悪である。

「そーんなに労働したいか臨也君よぉ?」
「わぁ、眼つきが悪人だよシズちゃん、洗面所の鏡見てきなよ!」
「俺の労働が終わったら、どのみち洗面所通ってシャワーだろうなぁ…!」
「いやいやいや、シズちゃんそれは、」
「お前もたっぷり労働させてやるから、安心して寝ろや。」
「や、シズちゃ、あ、ひっ!?」
「まぁ、労働が終わってる頃には嫌でも寝てるだろうがよ。」






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