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マイ ディア マザー



 百佑がため息を落とすと、可伊はさもおかしそうに笑った。

「親がいなくてもそれじゃな……っと、お前のおふくろはなにやってんだ?」
「あ、母さんはちょっと前に死んじゃってるんで。だから二人暮らしなんですよ」

 百佑がそう言うと、可伊は貧乏ゆすりをやめてばつの悪そうな顔をした。

「そりゃ……大変だな」

 そのまま黙ってしまった。
 かける言葉を失ってしまったようだ。

 百佑は目をそらしてしまった可伊をじっと見つめた。
 喧嘩っ早いイメージしかなかったが、人並みに罪悪感や思いやりも持っているようだ。
 言葉に詰まった可伊がなんだかおかしくて、百佑は思わず吹きだしてしまった。

 百佑が笑ったので可伊は百佑の顔に視線を戻した。
 百佑は慌てて笑うのをやめて無表情を取り繕ったが時すでに遅し。

 しかし可伊は笑われたことに怒りもせず、ぼんやり百佑を眺めていた。
 だが、不意にまた気まずそうに顔をそむけてしまった。

 沈黙が二人の間を流れ始めたころ、タイミング良く注文した料理が運ばれてきて、二人は食べることに専念した。
 可伊は二人前の料理を口いっぱいにほおばり、あっという間に平らげてしまった。
 百佑ももそもそとドリアを食べた。

「ふー食った食った」

 ピザの最後の一切れを飲みこんだ可伊は満足そうに息を吐いた。
 おいしいものを食べたおかげで、気まずい会話をしたことは忘れてしまったらしい。

 可伊が前ぶれなく席を立ったので、百佑も鞄と伝票を持って急いで追いかけた。
 レジで財布を取りだしていると、それを見咎めた可伊が制した。

「おい、おごるっつったろ。それ貸せ」
「えっ」

 可伊は百佑の手から伝票をひったくり、一人で会計を済ませてしまった。
 百佑は財布を握りしめたままぽかんとした。
 これでは可伊がただのいい先輩だ。
 話が違う。

「お前んち、近いのか?」

 レストランを後にし、通りを歩きながら朗らかに可伊が言った。
 百佑の脳裏に、このまま家まで押しかけるつもりではあるまいなという疑念が湧いた。
 忘れかけていたが可伊は立場的に百佑の敵だ。
 うかつに自宅を教えるわけにはいかない。

 可伊は胸を膨らませ、前を向いたまま少し緊張したように言った。

「よかったら、その、送ってや――」
「あ、おれ寄るとこあるんで、帰ります!」

 しかし百佑は可伊の言葉をさえぎり、可伊がなにかアクションを起こす前に小走りに通りを逆走し、適当な角を曲がって隠れた。
 可伊が追ってこないことを確認すると、いつもとは違う道を選んで家に帰った。

 柊一にさんざん言い含められてきた言葉が頭をよぎる。

 ――百佑、あんまり他人を信用するな――

 お前はすぐ人に気を許してしまうから、と柊一はいつか不安そうに百佑の両肩をつかんで言った。
 そのときは軽くあしらって終わらせたが、柊一の言うとおりだ。
 少し優しくされたからと言って、その人が善人とは限らない。
 人は誰しも裏の顔と表の顔を持っている。
 可伊の真意がこれだけの接触でわかるはずもない。

 百佑は家に着くとさっと中に入ってドアに鍵をかけ、ほっと息をついた。


   ◇◇


 それからというもの、百佑は不本意ながら可伊と一緒にご飯に行くようになった。
 最初の数回は駅で待ち伏せされたが、携帯の番号を半ば強引に交換されてからは、しょっちゅう誘いのメールがくるようになった。
 何度か会ううちに可伊が根はいい奴だとわかったが、それでも怒らせると怖そうなので、誘いを無下に断ることはできなかった。

 可伊は慎重に百佑との関係を続けているようだった。
 百佑の家の最寄り駅以外では会おうとせず、苑站の誰にも百佑のことを言ってはいないようだった。
 可伊と会っていることを宝尭の連中に知られたくない百佑にはありがたかった。

 ご飯を食べるのはいつも同じファミリーレストランで、可伊が注文するものはだいたい決まっていた。
 いつもメロンソーダをおいしそうに飲み、二人前の料理を平らげていた。

 会うたび可伊はどこかに軽いけがをしていた。
 しかし喧嘩でできた傷ばかりではなかった。
 額を真っ赤にしていたときは頭突きの練習のしすぎだと言い、人差し指に絆創膏を巻いていたときはロッカーに挟んだと言っていた。
 可伊の取り巻きは可伊のために絆創膏を常備しているらしい。
 百佑はそのたぐいの話を笑いながら聞いていた。
 百佑が笑うと可伊も少し照れくさそうに笑った。

 二人がこうして会うようになってから、宝尭と苑站とのいざこざは起きていなかった。
 だから百佑はこっそりとだが気楽に可伊とつるむことができた。
 可伊との約束があったから大斗の誘いを断ることすらあった。





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