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マイ ディア マザー




 人間が人間でなくなったのは、いつのころだっただろうか。

 人間が進化したのだと主張する者と、純粋な人間が絶滅したのだと主張する者が、終わらぬ討論を繰り返している。
 その答えは、いまだ出ていない。




 いつのころからか、人間はなんらかの動物の要素を持って生まれてくるようになった。
 母親の胎内から生まれ落ちるときはなんの変哲もない赤子だが、独力で立ち上がるようになるころには、変化が訪れる。
 動物の耳が生えたり、尻尾が生えたり……。

 現れる特徴は、例外を除き、なじみのある哺乳類のものだ。
 ネコやイヌやウサギなどペットとして親しまれる動物や、タヌキやキツネやリス、シカやウマなど、人間のテリトリーの近辺で見かける動物が大多数を占める。

 次第に人々は、動物の種族ごとにコミュニティを形成するようになった。
 同じ特徴を備えた者同士でつるんだほうが、なにかと都合がよかったのだ。

 種族同士での仲間意識が高まるにつれ、他の種族との軋轢も生じるようになっていった。
 堂々と犬耳をつけて歩いていると、サルの集団に因縁をつけられたりすることが多くなった。
 そうして人々は、自分の意思で耳と尻尾を出し入れすることを覚えた。


   ◇◇


 ある雨の日の夕暮れ、一人の女性が傘を差して暗い路地を歩いていた。
 どこまでも続く黒い雲に覆われた空は暗く、雨音だけが静かな住宅地に響いている。
 女性のほかは誰も歩いていない。

 女性はふと、いつもの帰り道にそぐわぬものを見つけ、足を止めた。
 アパートの駐車場の隅にそびえる大きなケヤキの木の根元に、なにかがうずくまっている。
 気になって近づくと、女性に気づいたようで震えて警戒している。
 女性は傘を閉じ、ケヤキの下にしゃがみこんだ。
 分厚い葉が傘代わりになり、そこだけが乾いていた。

「君たち、どうしたの? どうしてこんなところにいるの? 寒いでしょう?」

 縮こまって震えているのは、トレーナーを着て半ズボンをはいた、幼稚園生ほどの小さな男の子だった。
 しっとりと濡れた黒髪の下で、意思の強そうな瞳が女性を睨んでいる。
 男の子の腕の中にはさらに小さな男の子がいて、こちらは不安そうな目で女性を見上げていた。

「君たち兄弟なの? お母さんは?」

 女性がたずねても、弟を抱きしめる小さな保護者はなにも答えない。
 子猫を守る親猫のように警戒するばかりだ。


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あきゅろす。
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