3 「ああ……」 中岸は椅子の上に立ち、目の前にぶらさがるロープに首をかけた。 すぐさま柊一は椅子を蹴り飛ばした。 中岸の体ががくりと下がり、ゆらゆらと揺れ始める。 柊一は中岸を一瞥したあと、内ポケットから携帯電話を取り出してかけた。 「俺だ。終わった」 それだけ言って電話を閉じた。 柊一は中岸に書かせた遺書をデスクに置き、ベッドに放ってあったジャケットを羽織って入り口のロックを外した。 ドアを静かに開けると、二人の男が影のようにひそやかに入ってきた。 彼らは柊一の痕跡が部屋に残っていないかチェックする後始末係だ。 柊一はそのまま部屋をあとにし、ホテルを出た。 ホテルの裏通りには一台の車が停めてあり、柊一が後部座席に乗りこむとすぐに走り出した。 柊一はようやく肩の力を抜き、ため息をついて背もたれに寄りかかり目を閉じた。 柊一には奇妙な能力があった。 柊一は人の心に入りこみ、操作して自殺に追いこむことができる。 柊一にいったん捕らわれた者は、抵抗など一切せずに自ら進んで命を断つ。 柊一が死神烏と呼ばれるゆえんだ。 このことを知る者はハイエナの中でも多くない。 大概の者は柊一のことを「なにかやばいことに手を染めている者」「殺し屋」などと思っているが、 柊一自身が誰かを手にかけたことは一度もない。 彼はターゲットが自殺をする様を見届けるだけだ。 自分の手を汚さないので足がつくこともなく、柊一はハイエナで重宝されている。 しかし真実は知らずとも噂は止められず、カイに会うと一週間以内に死ぬだとか、 カイと目が合うと死ぬだとかいう都市伝説がまことしやかに囁かれている。 ハイエナでもそれを信じてカイを恐れる者は大勢いる。 あまり広がりすぎると厄介だが、この噂のおかげで「仕事」がしやすくなっているのも事実だった。 なぜ柊一にこんなことができるのか、本人もわかっていない。 ただ、ウマの者たちが総じて足が速いように、不吉の象徴であるカラスならではのスキルなのかもしれないと柊一は考えていた。 車は明け方の車通りのほとんどない道路を走っていた。 ときどきトラックとすれ違う際、重々しいエンジン音が車内に響く。 柊一は着くまで一眠りしようと腕組みをして後頭部をシートに預けた。 だが、うつらうつらしかけたときに内ポケットが震え、柊一は舌打ちして携帯電話を取りだした。 せっかちな上司からの連絡かもしれない。 しかしディスプレイに表示された名前は違った。 「もしもし? どうした?」 電話の奥からの返事はない。 柊一は嫌な予感がしてこぶしを握りしめた。 「おい、百佑? おい! なにかあったのか?」 「……にい、ちゃ」 か細い声が聞こえてきた。 それと同時に荒い呼吸音もする。 「百佑? どうした?」 「にいちゃ……どこにいるの……おれを置いてどこ行っちゃったんだよ……」 「百佑」 柊一はハッとして携帯電話を強く耳に押しあてた。 「百佑、今どこだ? また一人が怖くなったのか?」 「こわい、いやだ、一人はいやだ……兄ちゃん、おれを置いていかないで!」 「俺はどこにも行かないよ。今から行くから待ってろ。いいな」 すすり泣きとかすかに「うん」と声がした。 柊一は電話を切ると身を乗り出して運転手に言った。 「おい、今すぐ俺の家に向かってくれ!」 「えっ、でもボスに報告しに行かないと……」 「いいから! 早く!」 柊一の剣幕に運転手は驚いて何度も頷き、ウインカーを出した。 「わ、わかりました。そうします」 車はUターンして空いた道路を猛スピードで走っていった。 ◇◇ [*←] [→#] [戻る] |