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マイ ディア マザー



 天井の中心に、花の形をした白い曇りガラス製のペンダントライトがつり下がっている。
 そのライトの根元から、白い丈夫そうなロープが垂れていた。
 ロープの先は丸い輪になっている。
 ちょうど人が首をくくるのに都合のよさそうな大きさの輪だ。
 ロープの真下にはご丁寧にデスクの椅子まで置かれている。

 男は言葉もなく、茫然とその白く浮いたロープを見つめていた。
 ほどなくしてから、部屋の隅のカーテンのそばに人影があることに気がついた。

「誰だ」

 鋭く呼びかけると、人影は陽炎のようにゆらめいて男のほうを向いた。
 すらりと背が高く、黒い上下に身を包んだ青年だった。
 男は青年に釘づけになった。
 教会の女神像のように嫌味なくほほ笑む彼の顔はとても美しかった。

「こんばんは。中岸元夫先生」

 柊一はその場で腰を折ってお辞儀をした。
 中岸は柊一と距離を置いたまま、険しい表情を作った。

「お前は誰だ? ここの従業員か?」
「いいえ」
「だったらすぐ出ていってもらおうか。ここはわたしの部屋だぞ」
「ご心配なさらずとも、すぐに出ていきますよ」

 柊一は笑顔の仮面をかぶったまま、ゆっくり一歩ずつ中岸に近づいていく。
 中岸は慎重に柊一と距離を保ったまま、ドアから離れていく。
 二人はベッドを挟んで向かい合った。
 柊一は中岸が止まるとそれ以上近づこうとはしなかった。
 ロープのすぐ脇に佇み、中岸から視線を離さない。

「おい、出ていけと言ったはずだ」
「はい。でもその前に自己紹介させていただけませんか」

 中岸はうろんげに柊一を見やる。
 柊一は再び腰を折って言った。

「カイです」

 とたんに中岸の表情が崩れた。
 貫禄のある太い眉が八の字に下がり、口をぽかりと開けてひどくおののいた様子だ。

「カイ……カイだと……?」

 頭を上げた柊一と目が合うと、中岸は動けなくなっていた。
 柊一の吸いこまれそうな真っ黒な瞳に捕らわれ、もう逃げることは叶わない。
 柊一は異邦人に言葉を教えるように丁寧にしっかりと言葉をつむいだ。

「おつかれさまでした、中岸先生。あなたが今までどれだけご苦労なさって来たか、全部知ってますよ。どうかねぎらわせてください」

 中岸の真正面にやってきた柊一は、中岸から目を離さないよう気をつけながら、中岸の汗ばんだ手を取り、甲に口づけるふりをした。
 中岸は唇をわななかせ、催眠術にでもかけられたように柊一にぼうっと見とれている。

「これだけ苦労を重ねたにも関わらず、信頼していた先輩に裏切られてしまった。
先輩は自分に利益のあるときは愛想よくして面倒をみてくれたが、
あなたが自分の地位を脅かしそうになるやいなや手の平を変えてあっさりと見捨てた。
それだけに留まらず、不正献金疑惑の濡れ衣まで着せて社会的地位を奪い去ろうとしている。すべてあの人の仕業だったんですね」

 柊一は手袋をはめた手で中岸の手を引いた。
 中岸は虚ろな目をして口を開けたまま、柊一にうながされて歩く。

「大事な奥様にまで見限られて……あなたの責任じゃないのにね。娘さんが死んだのは不幸な事故だ。あなたはなにも悪くない」
「そうだ……わたしは悪くない」

 中岸は顔をゆがめてうわごとのように呟いた。

「そう、悪くない。なにも悪くない。あなたはがんばった。すべてあの人が悪い」

 中岸はいつの間にか椅子に座らされていた。
 手にペンを握らされ、柊一の差しだした紙にさらさらと言われた通りの言葉を書きつけていく。

「仇は必ず我々が取ります。ですからあなたはもういいんですよ」

 柊一は座る中岸の肩に手を置いた。
 中岸は眩しそうに柊一を見上げ、そろそろと手を伸ばした。
 しかし柊一の頬に触れる前にぴたりと止まる。
 触れればこの美貌を損ないそうで、触れることができない。

「君は……とても美しいね」

 中岸はうっとりと言った。

「わたしをなぐさめてくれるなら、君を、君を……一度でいいから」

 中岸は声を震わすばかりで、次の台詞を言うことはなかった。
 中岸はすっかりたがが外れ、内に溜めこんできたものがあふれて自分ではどうしようもなくなっている。
 柊一は嫌悪感を押さえて中岸に顔を近づけ、にっと笑った。

「残念ですが俺には大事な人がいますから。さあそれよりも、時間ですよ。立ってください」

 両手をつかんで子供をあやすように言えば、中岸は素直に立ちあがった。

「かわいい娘さん、彼女だけがあなたの味方でしたね。娘さんに会いに行きましょう」


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