1 百佑は目頭をもみ、うーんと伸びをした。 カーテンを開けると、東の空がうっすらと水色に染まっている。 明かりを落とすと散らかった百佑の部屋に淡い光が差しこんだ。 テレビゲームに夢中になってすっかり徹夜になってしまったようだ。 百佑はコントローラーを置き、床に寝転がった。 ずっとテレビ画面に釘付けだったので目の奥がこわばっている。 「なんか腹減ったなあ」 腹筋を使って起きあがり、空きっ腹を抱えて階下に降りる。 柊一はここ数日忙しいようで家には帰っていない。 だが毎晩電話がかかってくるので、寂しくはなかった。 暗いリビングを通り、キッチンの冷蔵庫を開けてみたが、ペットボトルのコーラとウーロン茶しか入っていなかった。 奥に梅干しといつ買ったかも知れないチーズがあるが、手をつける気にはならない。 柊一はたまにしか家でご飯を食べないし、百佑はだいたい出来合いのもので済ませてしまうので、護島家に買い置きの食材は必要ないのだ。 常備品のカップラーメンもゲームをしながら食べてしまったので、空腹を紛らわせるものはなかった。 仕方なく百佑は携帯電話と財布を片手に近くのコンビニに行くことにした。 夜明け頃で人通りもないからと、部屋着のシャツとジャージのままだ。 家を出ると澄んだ冷たい空気が百佑の眠気を覚ましていく。 百佑はゲームの続きについて考えを巡らせながら、ぶらぶらと通い慣れた道を歩いた。 T字路にさしかかると物音がしたので、百佑は横の細い道を覗きこんだ。 密集する住宅の脇に狭いゴミ捨て場があり、ネットからはみ出たゴミ袋を三羽の烏がつついていた。 百佑は辺りに誰もいないことを確認してからT字路を曲がり、ゴミ捨て場に近づいた。 「こら」 百佑がそばに来ると、烏たちはゴミを漁るのをやめてちょこちょこと百佑のほうに歩いてきた。 百佑の足下に集まり、百佑をじっと見上げている。 そこに警戒心はかけらもない。 百佑はその場にしゃがみこみ、なついてくる烏たちに微笑みかけた。 「おい、ゴミ散らかしたら怒られるだろ。そういうことはしないの」 言いながら漆黒の翼をなでてやった。 烏たちは百佑のするがままに任せている。 自分の種族と同じ動物には好かれることは、世間一般に広く知られている。 ネコの要素を持つ人は猫に引っかかれることは滅多にないし、イヌの要素を持つ人は簡単に犬をしつけることができる。 そして、カラスの要素を持つ百佑と柊一は、人に嫌われがちな烏を容易に手なずけることができた。 柊一はカラスだと公表しているので烏とたわむれていても問題ないが、百佑はウサギだと偽っているので、 烏と接するときは人の目を気にしなければならない。 ちょうど今は百佑のほかに誰もいないので、百佑は思う存分かわいい烏たちと一緒にいることができた。 「腹が減ったなら、うち来いよ。お前たち用に木の実常備してんだからさ」 烏たちは理解したのか、頭を低くしてお辞儀のような姿勢を取ると、一斉に羽ばたいていった。 電線に止まっていた数羽と連れ立ち、陽光の差し始めた方角に飛んでいく。 百佑は立ち上がり、自由な烏たちを見送った。 自分も一緒に飛んでいきたいと願った。 「おれ……」 見開かれた百佑の瞳に映っているものは。 ◇◇ 百佑が烏とたわむれていたときより少し前。 都心のとあるホテルの廊下を二人のスーツ姿の男が歩いていた。 床には毛足の長いカーペットが敷かれ、足音は全て吸いこまれていく。 温かなアイボリーの壁には等間隔に絵画が飾られ、淡くライトで照らされている。 半歩前を歩く初老の男はくたびれた様子で、皺の刻まれた手で肩をもんでいる。 付き従うように歩くもう一人の背の低い男は、黒革の手帳を片手にぺらぺらと今後の予定について話している。 「――そのあとは十八時より真朱会の坪島様との会食が入っております」 「ああ……」 「明日のご朝食はいかがなさいますか?」 「部屋に運んでおいてくれ」 「かしこまりました」 部屋につくと、秘書はカードキーを取り出してドアを開け、そのまま中に入ってキーをスロットに挿し明かりをつけた。 男が続いてのろのろと部屋に入ると、秘書は男の背中に一礼した。 「では明日の朝九時にお迎えにあがります。おやすみなさいませ」 明日といってもすでに当日の明け方だが、忙しい男にとってさして珍しいことではない。 秘書が出ていくと、男はリビングルームのソファにどっかりと腰を下ろしネクタイを緩めた。 そのまますぐにでも眠れそうだったが、重い腰をあげてベッドルームのドアを開ける。 ベッドルームは暗く、窓ごしに都心のビル群の明かりがわずかに差しこんでいた。 ふと、細いなにかが天井からつり下がっていることに男は気づいた。 一流ホテルにひも付きの照明が設置されているはずはない。 不思議に思って手探りで照明のスイッチを押すと、ぱっと部屋が明るくなった。 [→#] [戻る] |