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マイ ディア マザー



「すみません、至急お耳に入れたいことが……」

 元岡はかなり焦っているようだが、床に転がる大斗を見下ろして口ごもった。

「構わない、言え」
「はい。あの、中堀の行方がわからなくなりました」
「はっ?」
「連絡がつかず、自宅ももぬけの殻です。それと、先日の迎橋での取引の金がなくなってます」

 柊一は足元が崩れていく感覚を味わった。
 自分が今どこにいるのか、きちんと立っているのかさえわからなくなった。
 頭が空っぽになり、思考が停止した。

「……カイ?」

 元岡に呼ばれ、柊一は我に返った。

「……行き先は? 一体どこのどいつに鞍替えしやがったんだ?」
「今探させてますが、まだ見当もつかない状況です」
「くそっ!」

 柊一は怒りにまかせてローテーブルを蹴った。
 よく磨かれた高級な木机は一撃でひびが入り、使い物にならなくなってしまった。

「あの野郎……。絶対に捕まえろ。俺を裏切った代償をきっちり払うまで、楽に死なせるな。俺がこの手で始末する」

 元岡は短く返事をして部屋をあとにした。
 柊一はソファにくずおれるようにして座り、手の平で額を覆ってうつむいた。

 絨毯に手をついて起き上がった大斗は、うなだれる柊一を辛そうに眺めた。


   ◇◇


 長い数学の授業が終わり、百佑は短い休み時間にジュースを買いに自動販売機に来ていた。
 不良が数人自販機の前でたむろしていたが、百佑が来るとさりげなく場所を空けてくれた。
 もう百佑が大斗のグループに入ったことは周知の事実で、じろじろ見られることは多くなっても、絡まれることはほとんどなくなった。
 百佑はそのあたりは大斗の影響力に感謝していた。

 最近お気に入りのマスカット味のゼリー飲料を買い、教室に戻ろうとした百佑は、廊下でばったり大斗に出くわした。
 珍しく大斗は一人だった。

「寺垣先輩! えっ、どうしたんですか?」

 百佑は素っ頓狂な声をあげた。
 大斗は下唇を切り、右頬と額の端に痛々しい青あざを作っていた。
 宝尭高校を束ねる不良のトップがこれほど派手な傷を作るなんて、相当大規模な戦闘があったのだろう。

「ああ……別に大した怪我じゃない」

 大斗は少し気まずそうだった。
 百佑は恐る恐る大斗の顔に手を伸ばしたが、傷に触れる前に大斗に腕をつかまれた。

「来い」
「えっ?」

 大斗はきょとんとする百佑を連れ、足早に渡り廊下を渡って人けのない校舎端の階段にやってきた。
 遠くで生徒の話し声がするが、ここは静かだ。

「カイはなにかお前に伝えたか?」
「え……昨日は帰って来なかったですけど、電話でしばらく一人にはなるなって……」
「理由は聞かなかったのか?」
「忙しそうだったので聞いてませんけど……なにかあったんですか?」

 大斗は軽く頷き、階段に腰を下ろした。
 百佑も隣に座った。

「……ハイエナから裏切り者が出てな。カイの腹心だった奴なんだが、取引の金を持ち逃げして行方くらましちまった。
悪いことに、そいつはカイの本名も正体も知ってたんだ」
「……その人、どこへ行ったんですか?」
「おおかた、同業者の誰かにそそのかされて、今はそこに匿われてんだろ」
「金って、いくら持ってかれたんですか?」
「詳しいことは知らないが、億単位だろ」

 百佑は言葉が出なかった。
 そんな大金を柊一が扱っているなんて知らなかった。
 ハイエナの組織について無知な百佑だが、それだけの金を動かせる分危険も付きまとうことくらいはわかる。

「そいつはお前のことも知ってる。カイの唯一の肉親で、カイが大事にしていることもな」
「おれ……?」
「カイはハイエナのシンボル的存在だ。憧れてる奴もいれば憎んでる奴もいる。カイを蹴落とそうとする奴の考えることは一つだ」

 大斗はじっと百佑の目を見つめた。

「弱みを握ること。すなわち、お前だ」

 百佑は大斗の視線を避け、頭を整理しようと首を振った。
 話に頭がついていかない。
 今まで柊一の心配ばかりしていた。
 自分に火の粉が飛んでくるなんて考えたこともなかった。

 百佑は柊一の身の置いている世界を知らなすぎた。

「カイは強い。頭もキレるし、危ない橋は絶対に渡らない。お前を危険にさらさないように細心の注意を払ってきた。
その苦労が、一人の裏切り者によって水の泡になっちまった」
「そんな……これからどうなるんですか?」
「さあな。しばらくは様子見だ。そんなすぐ行動起こすことはねえだろうが、警戒しとくにこしたことはない。
そういうことだから、しばらくお前も周りに気をつけろ。妙な連中がいると感じたら、すぐ俺かカイに連絡しろ。いいな」
「はい……」


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