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ブルー・デュール
桜 常 編

70

 授業で化学室を使うことは何度かあった。
 しかし友達に囲まれてはしゃいでいるときと、今のようにひとりでいるときとでは雰囲気がだいぶ違う。
 中央に水道がある黒い実験用のテーブルや、棚に陳列された三角フラスコや試験管などが
不気味に見える。
 たくさんの薬品が混じり合った独特の臭気が立ちこめていて、不思議と空気が冷たい。

 おれは誰もいない化学室をぐるりと歩き回った。
 窓はほとんど暗幕で覆われていて、蛍光灯がついていないのでとても暗い。
 授業のときにおれが座る実験台は、誰かが薬品をこぼしたのか一部色がはげていた。
 窓と窓のあいだの柱の前にある、大きな冷蔵庫のようなものは電子顕微鏡だ。
 窓辺の流しには実験用具を洗うブラシが並んでいる。
 上下に動く二段の黒板はチョークの粉でうっすらと白かった。

 ドアが開く音がして、準備室から白衣をはおった友崇が現れた。
 おれは中央の実験台に乗り上げてあぐらをかいた。
 生徒として怒られて当然の行為だが、ここにはふたりしかいないので友崇は咎めなかった。
 今のおれたちは教師と生徒ではなく、同じ目的を持つ夜のパートナーだ。

 友崇はおれのそばに来て実験台に手をつき体重をかけた。

「悪かったな、学校で呼び出して」
「別に、ひまだったからいいよ」

 友崇はなにも答えず、沈黙が降りた。

 いくら待っても友崇が口火を切ってくれないので、仕方なくおれから言った。

「……なんの用?」
「お前、鳴瀬たちに正体ばれてるんじゃないのか?」

 いきなりストレートに来られるとは。
 痛いほど視線を感じたが、おれは電子顕微鏡から目を離すまいとした。

「なんでそう思うんだ?」
「はっ、否定しないのか。お前と何年のつき合いだと思ってるんだよ、え?
あそこから出してやってから、ずっとそばにいたんだぞ。気づかないわけないだろ」

 友崇はリノリウムの床をかかとでコツコツ叩いた。

「隠そうとしてるようだからなにも聞かなかったんだよ。いつ言ってくれるのかって待ってたんだ。
でもいつまで経ってもだんまりだろ。廃園になった遊園地から手ぶらで戻ってきたときも、
鳴瀬がお前の部屋に押し入ったときも、適当な理由つけてはぐらかしてたよな」

 言葉の節々から怒りが伝わってくる。
 降りろと言われたので、素直に台から降りて友崇の前に立った。
 だが顔は上げられなかった。

「いつばれたんだ?」
「……遊園地の迷路。あそこで迷って、鳴瀬に捕まった」
「だろうな……。方向音痴のお前をあそこにやるのは結構ためらったんだ。
やっぱりやめておくべきだったか」

 友崇は眼鏡の下から指を差し入れ、両の瞼を軽くもんだ。
 言葉が途切れた隙に、おれは弁解しようと口を開いた。

「でもばれたのは鳴瀬にだけだよ。鳴瀬は倉掛にも話してない。
おれの秘密は守ってくれるって言ったんだ。誰にも言わないって」
「そのかわりにピースを渡せって脅されたのか?」
「違うよ。脅されてはない。そういう目的じゃ、なかったみたいで。おれもよくわからないけど」
「それで納得したのか?」
「だって誰にも言ってないのは確かだし。逆におれの部屋に居候しているあいだにピース回収しに行って、
倉掛の目を欺いてくれたんだ。まあ、完全に味方ってわけじゃないけど」
「ふーん、鳴瀬がねえ。だから俺には言わなくても大丈夫だと思ったんだ?」

 少し口調が和らいだ。
 おれは上目遣いにそっと友崇を見て、頷いた。

 途端に左頬を手の平で打たれ、軽い音が化学室に響いた。
 遠慮のない平手打ちだった。
 衝撃のあとに頬が熱くなり、心臓が早鐘のように鳴った。
 友崇にぶたれたのは初めてだった。



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