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ブルー・デュール
桜 常 編

93

 木田川と並んで寮に向かう。
 少し距離を置いて隣を歩く木田川をそっとうかがったが、長い前髪と眼鏡で表情がつかめない。

 どうして木田川がおれの荷物を持ってきてくれたんだろう。
 携帯電話で時刻を確認すると、放課後になってからだいぶ経っていた。
 慶多や峻が部活に行ってしまったので、仕方なく荷物役を引き受けたのだろうか。

 木田川とおれはたいした親交もないはずだ。
 しかし、掃除当番が一緒のときには話しかけてくれたし、
顔に出さなくとも少しは親密に感じてくれているのだろうか。
 ほかのクラスメートと喋っているところは見たことがないが、実は仲良くしたいのかもしれない。
 笑ったところを見たことないし、とてつもなくシャイなのかも。

 よし、ここはおれが気づまりな空気を払拭してやろう。
 こういうのはきっかけが大事なんだ。

「さんきゅーな、鞄。助かったよ」

 親しみをこめて話しかけた。
 だが、木田川はなにも言わなかった。
 投げられた言葉のボールは、誰にも受け止められず地面に転がり落ちた。

 余計に沈黙が深くなった。

 このコミュニケーション能力の低さは問題だ。
 これから社会に出てもやっていけないぞ。

 気づまりな思いをしながらも、帰り道は一緒なので隣を歩くしかない。

 昇降口を出て小路を歩いていると、木田川の視線を感じた。
 ようやくお喋りする気になってくれたかと思ったが、木田川はおれの顔ではなく、
もう少し下に焦点を当てている。

「……どうかした?」
「ボタン」
「ボタン?」

 胸元を見下ろすと、ボタンをひとつかけ間違っていた。
 慌てて着直したので気づかなかった。

「あっほんとだ、やべ、いつからこうだったんだろ」

 あはは、と笑いながらボタンを止め直す。

「今日の朝は答案返却が気がかりで気もそぞろだったからなあ。恥ずかしーっての」

 あはは、と乾いた笑いが空に溶けて消えた。

「五時間目までは普通だったぞ」

 木田川がぽつりと言った。
 おれは返答に詰まってしまった。
 冨浦とふたりきりの保健室で、シャツを着直す出来事があったなんて知られたくない。

「そうだった? あ、微熱で体が熱かったからシャツ開けて寝てたせいか」

 苦しいがほかに言いようがない。
 せっかく話しかけてくれたのに、あの変態教師と寝る奴だなんて思われたくない。

 おれは必死に弁解したが、木田川はこれっぽっちも興味がないようだった。
 じっと前を見据えて、早足にどんどん歩いていく。
 負けないよう足並みを揃えて歩いた。

 おれは話しかけるのを諦め、奴の人となりについて考えた。
 木田川は興味なさそうにしているわりに、おれのことをよく見ている。
 ボタンをきちんと留めているかなんて、普通気にしないだろう。
 おれが出歩くとほかの生徒が噂話をすることにだって、きちんと気づいていた。
 まだ転入してから間もないというのに。

 こいつ、おれのことが好きなんじゃないか?

 寮が見えてきた。

 ふと、木田川は歩みを止めた。

「どうかし――」

 怪訝に思って振り向いた直後、腹部に衝撃が走った。
 木田川に強烈なパンチを鳩尾に叩きこまれたのだ。
 なんのためらいも感じられない、本気の一撃だった。

「な、ん……」

 手から鞄が滑り落ちる。

 言いたいことがたくさんある。

 だが、おれの意識はそこで途絶えた。


 九章

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