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ブルー・デュール
桜 常 編

86

 帰りのホームルームが終わるやいなや、おれは鞄をひっつかんで教室を飛び出した。
 吹っ飛んでいくおれを寮に帰る生徒が目を丸くして見ているが気にしない。
 目指すは美術室だ。

 実習棟にまだ生徒の姿はなかった。
 部活の連中が来る前になんとか回収してしまおう。
 鳴瀬と倉掛に能力の違いを見せつけてやる。

「失礼しまーっす」

 美術室の少し軋むドアを開けた。
 中には誰もいない。

「ちょっと忘れものしちゃってー……」

 言いながら準備室を覗いたが、ドワーフも鷹屋もいなかった。
 ラッキー、この隙に。

 画材やら資料やらで足の踏み場もない美術準備室に入るのは初めてだ。
 ものがありすぎてどれがピースだかわからない。

 耳を澄ませて慎重に見当をつけていく。
 床に置かれたものの中にはなさそうだ。
 なるべく鷹屋の私物らしいものを探そう。

 ふと、スチール棚に置かれた小さな独楽(こま)が目に入った。
 丸っこい形で独創的な絵が描かれている。
 なんの模様だかわからないが、手書きのようだ。
 この中から声がしている。

 いざ回収、と右手を伸ばしたとき、背後で足音がして慌てて手を引っこめた。
 振り返るのとほぼ同時に、準備室に鷹屋が入ってきた。
 人がいるとは思わなかったようで、鷹屋は肩をびくつかせて胸に手を置いた。

「あーびっくりした。なにしてんだこんなところで」
「すみません、忘れものしたんですけど机にないから、ここにあるかなって思って」

 もっともらしい言い訳をしてみた。
 鷹屋はおれから目を離さずこちらに歩いてくる。

「ふーん? なに忘れたんだ?」
「あー、えーと、筆箱」
「本当?」

 筆箱だったらもっと早く気づくに決まっている。
 おれの馬鹿。

 鷹屋はじりじりと迫ってくる。
 だがあくまで表情はにこやかだ。

「筆箱は見てないな。君、いくら忘れものしたからって、勝手に入っちゃまずいと思わない?」
「そうですね、すみません」
「ん。まあいいけど」
「あの独楽、先生のですか?」

 棚を指差して言うと、鷹屋は嬉しそうに頷いた。

「そうだよ。気になった? あれは映画の美術監督やってる俺の伯父が作ったもので、お守りなんだ。
よくできてるだろ?」
「はい」

 手にとって見せてくれないかと期待したが、大事にしているらしく触らせてもらえなかった。
 興味深々を装ってじっと見ていると、鷹屋の腕が伸びた。
 独楽を取ってくれるのかと思いきや、おれの肩をつかんだ。
 形を確かめるように軽くもまれる。

「あの」
「君いい体してるね。高校生らしい健康的な筋肉のつきかたしてる。運動部?」
「いや、部活は入ってないですけど……」
「へー、てっきりなにかやってると思ったのに」

 鷹屋はおれの体じゅうを叩いてうっとりしている。
 触りかたがどことなく倉掛を彷彿とさせる。

「ねえ、デッサンモデルになってくれない? 部活やってないなら放課後ひまだろ?」

 そんな面倒くさい。

 おれが渋ると、鷹屋は残念そうに口角を下げた。

「君ならいいモデルになると思うんだけどな。お礼になにか好きなものをあげるよ。
ここじゃ手に入らないものをこっそり調達してきてもいいし。どう?」

 それはあの独楽も入っているのだろうか。
 だとしたらいい交換条件だ。

「あーこの足とかマジたまんねえ」

 腰にあった手がするりと太ももに降りた。
 ぎゅっと肉をつままれ、マッサージするように内股をなでられる。
 おれの頭の中で誰かが警鐘を鳴らす。
 そういえば鷹屋は自己紹介のとき、桜常の卒業生だと言わなかったか。
 このホモ学校の出身だと。

「すみません、遠慮します!」

 おれは鷹屋を押しのけ、ダッシュで準備室を出た。
 今、おれ、貞操の危機だったんじゃないか?


   ◇



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