桜 常 編 4 集中しすぎて足音に気づかなかったようだ。 客のひとりだろうが、暗闇の中どうしてこんなところに来たのだろう。 「お前、回収できるのか。何者だ?」 おれは言葉につまった。 この男、おれがしていたことがなんなのかわかるのか。 「先を越されちまったみたいだな。おい、それをよこせ」 おれは用の済んだ猫の置物をラックに戻し、右手に懐中電灯、左手にできたてのピースを握った。 男は手ぶらだが、落ち着いた立ち姿は一分の隙もない。 おれが一歩踏み出すと、仮面の奥から男の目が光った。 ほとんど真っ暗で目の動きなんて見えないはずなのに、男の視線が強くおれを捉えているのがわかる。 おれは一歩一歩踏みしめながら男に近づいた。 互いに目を離さない。 離した瞬間に食われそうな気がした。 仮面ごしに相手の腹のうちを探り合う。 「……わかった」 おれはピースを持った左手を差し出した。 男は寄りかかっていた体を起こしておれの目の前に立った。 やたら背が高くて威圧感がある。 男が腕を伸ばそうとしたとき、おれは懐中電灯で男の顔を照らしてやった。 目がくらんだところを見計らって明かりを切り、懐中電灯を持ったまま殴りかかった。 だがこぶしは男の手にすっぽり収まってしまった。 慌てずに今度は蹴りを繰り出したが、軌道を読まれてかわされた。 左手首をつかまれてねじり上げられ、おれは悲鳴を上げた。 なんて奴だ。 「いっ!」 「さっさとよこせよ」 頭の上から苛立った声がする。 遠慮ない力に涙目になった。 なにがなんでもピースは渡さない。 しかし否応なく左手から力が抜けていき、ガラス玉のようにもろいそれがこぼれ落ちた。 床に落ちたらアウトだ。 おれと男は同時に手を突き出した。 なぜかそのときは時間がとても緩やかになり、おれは心臓の音を聞いた。 男のほうがわずかに早い。 おれは懐中電灯を男の顔めがけて投げつけた。 金属の塊は男のこめかみにぶつかり、男の手が止まった。 おれは床ぎりぎりでピースをキャッチし、前転して男のそばをすり抜けると脱兎のごとく逃げ出した。 まだ電気は復旧していないようだが、あちこちから人の声がする。 出口はどこだかわからない。 ただがむしゃらに走った。 あの男が追ってきているかどうか、確認するひまさえなかった。 ◇ *<|># [戻る] |