ブルー・デュール
桜 常 編
16
おれは友崇に習ったピッキングで家の中に入った。
古い埃の匂いがして、空気が淀んでいた。
友崇の調べによると家主は訪問ヘルパーの類は利用していないので、
掃除が行き届いておらずあちこち汚れている。
老人の家なんて初めて入ったからこれが普通なのかわからないが、おれはここには住みたくない。
ホラー映画の監督はこういう家からインスピレーションを受けるのだろう。
家は縦に長かったが、後ろ半分の空間はほとんど使われていないようだ。
二間続きの豪華な座敷は息苦しくなるほど埃っぽく、おれの生まれる前のカレンダーが貼ってあった。
縁側から覗く庭は背の高い雑草が生い茂っていて、静謐を保って月の光に淡く照らされている。
ピースの声は一番奥の座敷からしていた。
障子を開けると小さな窓の下に文机があって、モダンなランプと蛙の文鎮が置いてあった。
その隣にはめこみ式の本棚がある。
おれは六畳間の真ん中に立ってしばらく声を聞いていたが、確信を得て本棚に手を伸ばした。
だが本棚に触れる前に、おれは本能的に後ろを向いた。
開け放たれた障子に寄りかかって、ひとりの男がこちらを見ている。
あの立ち姿、忘れもしない。
シルバー専門店でおれの左手首をねじり上げた奴だ。
またしてもこいつに邪魔されるなんて、ついていない。
「また会ったな」
この声。
おれは息をのんだ。
「まさか忘れてないだろうな。え?」
彫刻のような横顔が、青白い光に映し出される。
黒いジャケットに黒いズボン。
闇に溶けこむ格好をしているが、顔は隠していない。
ああ、だからあのときどこかで聞いた声だと思ったのか。
「おい、なにか言えよ。口がきけないのか?」
声を出したらおれだってわかってしまうだろうが。
まさか鳴瀬凌士があの男だったなんて。
鳴瀬はだんまりを決めこむおれをじっと見ていた。
飛ぶ鳥も射殺しそうな眼光に対抗して、フードの影から睨みかえす。
臆したら負けだ。
障子に別の人影が見えた。
音を立てずに歩いて来る。
仲間を連れて来たのか。
鳴瀬の背後から現れたのは、また知った顔だった。
だめ副会長の倉掛青波だ。
こちらは薄着で、シャツ一枚に細身のズボンという姿だ。
生徒会そろってなにをやっているんだ。
まさかあの双子までいるのでは、と勘ぐりたくなる。
「あんたか」
倉掛のさもおれを知っているような言い方に心臓がはねた。
「オークションで商品にされかけてた奴だよな。俺もそこにいたんだ。
縛られてるあんたを客席から眺めてたよ」
倉掛はいつもと変わらず笑みを絶やさない。
この状況でなにが楽しいのか。
倉掛が近づいてきて、おれは慎重に後ずさって距離をとった。
鳴瀬は厄介だし、倉掛の力量も未知数だ。
へらへらしているわりに彼の足はよどみない。
おれの脇を通り、倉掛は本棚に触れた。
「あんた迷いなくここに来たよな。この家広いのにさ」
倉掛はぎっしりと並ぶ本の背表紙に指をはわせた。
そして一冊を手に取り、重さを確かめるように軽く振った。
「うん、これだな」
倉掛は右手を本にかざした。
本の輪郭がぼやけ、透明な液体がするすると倉掛の手に集まっていく。
「なに驚いてんだよ」
鳴瀬が笑いを含んだ声で言った。
「なにもピースを回収できるのはお前だけじゃない。俺たちだってできる」
そんな馬鹿な。
おれ以外に同じことができる人間がいるなんて。
「でもお前はちょっと違うようだな。まっすぐここに来たってことは、感知能力が高いんだろ?
俺たちは実際に触れないとピースが入っているかどうかわからない」
鳴瀬の手がおれに伸びる。
このままだと捕まってしまう。
だが足が動かない。
「よし、できた」
倉掛の手には球体に戻ったピースが握られていた。
ふたりに挟まれる形になり、おれはピースを奪い取って逃げ出す算段を必死に考えた。
ない頭を絞って考えた。
しかしどうにも分が悪い。
おれは倉掛に殴りかかった。
倉掛はピースをかばってこぶしを避け、間髪入れずに蹴りを繰り出した。
だが殴るモーションはフェイントだったので、おれはさっと身をひるがえした。
背後からはがいじめにしようとしていた鳴瀬をしゃがんでかわした。
気に入らないが身長差があって助かった。
包囲を抜けるとおれは一目散に駆け出した。
今日のところはピースはお前たちにくれてやる。
あとでおれがもらうまで大事に持っておくんだな。
我ながらなんという負け犬の遠吠え。
◇
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