ブルー・デュール
桜 常 編
117
おれは胸のむかつきを抑えられなかった。
あのへらへらした鳴瀬の笑顔が頭をちらついて離れない。
慶多と峻がはしゃいでいても、おれはどこか冷めていた。
おれたちは三年のお化け屋敷に入るため、廊下の長い列に加わっていた。
女子高生が五人で入って五人とも泣いて出てきたという、かなりの恐怖が味わえるらしい。
これほど腹が立つなんてどうかしている。
原因はわかっている。
鳴瀬がおれ以外の人の前で優しく笑っていたことが気に入らないんだ。
認めてやろう。
しかし、こんなことを思ったところでどうにもならない。
まさか、鳴瀬におれといるとき以外は笑うななんて言えないし、言ったところで実行できるわけがない。
おれはいつからこんなに女々しい奴になったのだろう。
こんなくだらないことで落ちこんでいる自分も非常に腹立たしい。
気にせず文化祭を楽しみたいが、このどうしようもない気持ちは消えてくれない。
あんな風に笑いかけられたら、思春期の女なんて端から落ちてしまうじゃないか。
そんなこともわからないのか、あの男は。
「……あれ」
そもそも、こんなことを思っているおれ自体「端から落ちてしまう」女と同じなのではないか?
別におれと鳴瀬は、なんの関係もないのだから。
少しばかり仲がよくて秘密を共有しているが、特別な存在である確証はない。
鳴瀬には信者のような熱狂的なファンがいるのだから、おれと似たような関係の生徒もいるかもしれない。
鳴瀬が誰か知らない奴とキスしているのを想像して、壁に頭を打ちつけたくなった。
本当にやったら病んでいる奴だと思われてしまうのでやらないが。
鳴瀬はおれよりふたつも上だ。
おれがこの桜常高校にやってくる二年も前から、いや中学を入れれば五年も前からこのホモの巣窟で暮らしていたのだ。
むしろそういう関係を持った生徒がいないほうがおかしい。
ずいぶんと慣れているようだったし。
男と遊んでいたとしてもそれは過去のことだとして、今はどうだろう。
おれを所有物扱いしてやたら構ってくるくらいだから、普通の生徒よりは特別視しているはずだ。
しかし、それがおれだけではない可能性だって十分にある。
「りゅう、次だよ。あーどきどきしてきた!」
峻が白エプロンで手汗を拭いた。
気づけばもう列の一番先頭に来ていた。
扉をわずかに開けて中を覗いていた受付役の先輩が、慶多に懐中電灯を渡した。
「いってらっしゃい」
慶多、峻、おれの順番でお化け屋敷に入った。
中に入ってドアが閉められてしまうと、懐中電灯の明かり以外は真っ暗だった。
どこからかひゅーどろどろという、いかにもお化け屋敷らしいBGMが流れてくる。
「うっうわあ、あそこ、なんか見えるよお」
峻が慶多の背中に捕まって怯えた声を出した。
おれはなんの感慨もなくその後ろをついていった。
鳴瀬がもしおれじゃない誰かと遊んでいるとしたら。
「ぎゃあああ! 首があああ!」
突然天井からいくつもの人形の首が降ってきた。
髪は半分抜け落ち、目と首から血が流れている。
もしおれも単なる遊び相手のひとりでしかなかったら。
「うわーわあああ、動いたああっ!」
作り物のようだった手がいきなりこちらに向かって手の平を突き出してきた。
なんだこの壁、段ボールか。
「ひいいいっ! 追いかけてくるよおおおっ!」
峻が恐怖にひきつった顔をおれのほうに向けた。
振り返ると、着物を着た髪の長い女らしき影が、するするとこちらへやってくる。
ああそうだ。
おれは、鳴瀬の特別になりたいんだ。
たったひとりの、かけがえのない存在として扱ってほしい。
「って、んなことあるかああ! ボケがあ!」
おれは思わず頭を抱えて叫んでいた。
心の声が爆発してしまった。
ちょうどそのとき、目の前に着物姿の幽霊がいた。
突然叫んだおれに肩を震わせ、白く染められた口元を歪ませた。
「あ、今のは、あなたに言ったわけじゃなくて……」
おれは慌てて弁明したが、幽霊役の先輩には聞こえていない。
髪のあいだから覗く瞳がじわりと濡れた。
「あっ……」
止める間もなく、先輩は着物をひきずって暗闇に消えていった。
◇
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