サビイロ契約
27
珂月のアパートまで来ると、浩誠は足を止めた。
「……なんだありゃ」
アパートの前に、この近辺には不釣り合いな黒いリムジンが一台停まっていた。
ぴかぴかに磨かれた車体には指紋一つついていない。
ガソリンが手に入りにくい今、普通の乗用車でも珍しい。
珂月は初めて見る高級車に口をぽかんと開けた。
リムジンの助手席のドアが開き、中からスーツの男が姿を現した。
「あっ」
珂月は思わず声をあげていた。
新宿にバイラが襲ってきたとき、シンク・ベルのハンターを乗せたオープンカーを運転していた眼鏡の男だった。
男は几帳面をそのまま形にしたような歩きかたで、珂月のところまでやってきた。
細身だがひょろっとしているわけではなく、無駄のない均整のとれた体つきをしている。
年齢は三十から三十代前半ほどで、野生の獣のような隙のない目を眼鏡の薄いレンズが隠している。
髪をポマードできっちりなでつけ、エリートサラリーマンのような風体だ。
男は完璧な笑顔を作り、珂月に右手を差し出した。
「初めまして。私、シンク・ベルのハンター統括を任されております笠木宗史(かさぎそうし)と申します」
「あ、どうも……」
珂月が会釈して笠木の右手を握ると、予想以上に強い力で握り返された。
「あなたは藤里珂月さんでいらっしゃいますね?」
「そうですけど」
「お会いできて光栄です。本日は藤里さんにお話したいことがございまして、こちらで待たせていただきました」
笠木はシンク・ベルの一般的なイメージとは違い、どこまでも丁寧な物腰だった。
珂月は握られたままの手を離そうともせず、勢いにのまれて頷いた。
「実は、あなたをぜひ我がシンク・ベルにお迎えしたいのです」
「えっ? どうして……」
「藤里さんはとても優秀なハンターだと聞き及んでおります。藤里さんのような方に来ていただければ、なにかと心強いですし――」
「ちょっと待ってください」
浩誠は二人のあいだに割って入り、珂月の手を笠木から離した。
笠木は笑みを崩さず浩誠を見据えた。
「失礼ですが、あなたは?」
「俺はドッグズ・ノーズのリーダーの榎村浩誠だ。珂月は俺たちの仲間だ。勝手に勧誘しないでもらえるか」
「ああ、あなたが」
笠木は浩誠に向き直り、丁寧にお辞儀をした。
「初めまして。もちろんあなたのことも存じておりますよ。とても人望の厚い方だとか」
笠木は握手を求めたが、浩誠は応じなかった。
笠木は浩誠の派手なオレンジの髪をちらりと見て、すぐに珂月のほうを向いた。
「藤里さん。我が社に来ていただければ、あなたの力をもっと広範囲に役立てることができます。
あなたは望んでハンターをやっておられるのでしょう? でしたら、私たちにお手伝いできることがあると思います」
「はあ……」
「そういえば、あなたはあの藤里隆也さんの息子さんだそうですね」
笠木はたまたま思い出したように言った。
途端に珂月の表情がこわばり、浩誠は厳しい目で笠木を睨んだ。
「先の戦争でのお父君のご活躍は素晴らしいものでした。ダラザレオスの司令塔に深手を負わせ、
敵の一軍を東京から退散させた功績は後世まで伝わることでしょう。
隆也さんのおかげで救われた命は大勢あります。英雄と言っても過言ではない」
珂月は次第にうつむいていった。
笠木は気づいているのかいないのか、早口に話し続ける。
「実力があり、仲間思いのとてもできた方だったと、隆也さんと面識のある人から聞きました。
本当に惜しい人を亡くしたものです。藤里さんはお父君の遺志をついでハンターになられたのですか?」
「いや……そういうわけでは」
「そうですか。しかし、血は争えないといったところでしょうか。藤里さんもお父君に負けず劣らず、優れた実力をお持ちだそうですね。
どうですか、ぜひ、我々と共にダラザレオスと戦ってくださいませんか」
珂月は深く息を吸いこみ、握っていたこぶしをゆるめた。
息を吐きながら、ゆっくり首を振った。
「……せっかくですが、おれはドッグズ・ノーズで満足してますんで」
「なぜですか? シンク・ベルに来れば、よりよい暮らしができるのですよ。口さがない近所の連中に嫌味を言われずにも済むのです」
浩誠はふんと鼻を鳴らした。
「よくご存じですね」
「ええ。我がシンク・ベルのハンターは優秀な者のみで構成されています。新たなハンターを迎え入れるときは、身辺調査をしっかり行っております」
笠木は口端をつり上げた。
「その辺のハンターチームと一緒にされては困りますね」
浩誠は言い返そうと口を開いたが、なにも言わずに視線をそらした。
「藤里さん、これは真剣な問題なのです。今、私たち人類は存亡の危機に瀕しています。
このままダラザレオスのほしいままにさせておくわけにはいきません。すでにたくさんの代えがたい仲間の命が失われてしまいました。
彼らのためにも、戦力になりうる者たちは一つになって戦うべきなのです。貴重な戦力をむざむざ殺されるわけにはいきません。
このままでは、あなたは自分にできることをしないまま、流れに身を任せてなあなあに生きていくことになるのですよ。それでいいんですか?」
笠木は眼鏡のフレームを指で押し上げ、力強く熱弁を振るった。
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