サビイロ契約
4
珂月は窓を閉めるとバスルームに駆けこんだ。
熱いシャワーを頭からかぶり、秘部に指を突っこんで中に出されたものをかき出した。
かなりたくさん出されている。
どうやら珂月の意識がはっきりしなくなってからも、ルザの気が済むまで抱かれていたらしい。
秘部は赤く腫れて少しでも触ると痛んだが、すべてかき出さずにはいられなかった。
シャワーに混じって泣いても、誰も気づかないだろう。
珂月はとっさにそう思ったが、すぐに甘えた感情を切り替えた。
泣いたら負けだ。
あの男にいいようにされて泣くなんて、みっともない。
ふと鏡に映った自分の姿に、昨日まではなかったものを見つけた。
鏡の曇りを手で丸くぬぐう。
「……なんだこれ」
珂月の左胸に、こぶし大の黒い文様が浮かび上がっていた。
絡み合った茨の中に、左を向いて咆哮する獣の頭部が描かれている。
お湯をかけていくらこすっても落ちなかった。
これがルザの言っていた「所有の印」なのだろうか。
珂月は忌まわしいタトゥーの上に手の平を置いた。
力強い心臓の鼓動が感じられる。
この命はもう、あの男のものなのだ。
さっぱりしてバスルームを出ると、憂鬱な気分も少しは払拭できた。
赤いパーカーを着て、床にこぼれたペットボトルの水を破れたシャツで拭いて捨てた。
「そういえば今日配給か……」
体はだるいが、配給に行かないわけにはいかない。
珂月は重い腰を引きずり、ボディバッグを持って部屋を出た。
珂月の気分とは裏腹にいい天気だった。
青空だけを見上げて歩けば、二年前までの、人間が食物連鎖ヒエラルキーの頂点に立っていた世界にいるような錯覚に陥る。
だが視線を元に戻すと、車一台通らない寂れた町並みが広がっている。
人のいなくなった民家は窓が割られ、中はさんざん荒らされている。
道路にはごみが散乱し、コンクリート塀には黄色のスプレーでこの世の終わりだと落書きしてある。
配給所は近くの区役所支部だ。
機能性を重視した平凡な四階建ての建物で、入り口前に少し破れた国旗が掲げられている。
強化ガラスでできた両開きの入り口の脇には、ふたりのハンターが腕組みをして立っていた。
配給品を狙う強盗対策だ。
ふたりは珂月を一瞥しただけで興味をなくしたようだった。
中に入ると、がらんとしたロビーがあり、長机にひとりの中年男が座っていた。
よれたシャツから腹が突きだしていて、淀んだ暗い目つきをしている。
ダラザレオスに怯える暮らしを長く続けていると、皆この目になっていく。
男は珂月を見ると、乾いた唇をへの字に曲げた。
「なんだあんた、まだ生きてたのかよ」
珂月は男のそばに来ると黙って身分証明証を差し出した。
男は身分証明証をひったくり、ろくに確認もせずすぐ長机に放り投げて奥に歩いていった。
珂月は身分証明証を拾ってボディバッグに大事にしまった。
これがないと配給品をもらえないので、なくすと大変だ。
男は銀のビニール袋を提げて戻ってきた。
重そうな袋を長机にどんと置く。
「あんたがいなくなりゃ、貴重な物資をほかの人にまわせるんだけどなあ。あんた家族いないんだろ?
いつまでも東京にいてなにがしたいんだよ」
男の言い分はおかしなものだった。
家族がいる人間は、狙われやすい女子供のために田舎へ引っ越していく。
東京にいるのはほかに居場所がない者だけだ。
そんなことは男にもわかっているはずなのに、珂月に言いがかりをつけずにはいられないらしい。
珂月は黙って袋を受け取り、踵を返した。
扉を開けて出ていく珂月の背中に、男の声が追ってきた。
「あんた、その格好なんとかしろよ! 胸糞わりい」
扉を閉めてから、珂月は自嘲気味に笑った。
ダラザレオスが人の血を飲むため、いつしか赤い色は忌み嫌われるようになり、誰も身につけなくなった。
真っ赤なパーカーを好むのは珂月くらいなものだ。
珂月は誰になんと言われようと、服装を正そうとはしなかった。
赤い色を嫌うことは、ダラザレオスを恐れているという証拠だ。
珂月はハンターのはしくれであるかぎり、あえて赤いものを身につけ続けるつもりだった。
配給品には肉や野菜などの生鮮食料も含まれるので、珂月は足早にアパートに向かった。
しかし、そういうときにかぎって、ろくでもない連中に捕まってしまうものだ。
あと百メートルで家に着くというところで、珂月は数人の少年グループと出くわしてしまった。
中心にいるアッシュブラウンの髪の少年は、珂月を見つけると大声をあげた。
「おう! かづきちゃーん!」
たちまち珂月は少年たちに囲まれてしまった。
皆同じようなだぶだぶのシャツを着て、脅すように鉄パイプを肩に担いでいる。
アッシュブラウンの髪の少年は、ここ一帯を管理する臨時区長の息子で、父親の権力をかさに着てやりたい放題だった。
区長に逆らうとここで暮らしていけなくなるので、放蕩息子の蛮行は皆見て見ぬふりだ。
「なに持ってんのー? ちょっと見せろよ」
もらったばかりの配給品を取られてはかなわない。
珂月は袋を両腕で抱えた。
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