サビイロ契約
90
年を感じさせないはつらつとした女性は、珂月を見ると花が咲いたような笑顔になった。
「あんたが藤里くんか! 初めまして、よろしくね。いつも主人が世話になってるよ」
「そんな……世話だなんてとんでもない」
「なに言ってんのさ、この連中ん中であんたが一番頼りになってんのは知ってんだよ」
とたんに周りのハンターたちがやいのやいのと声を張り上げたが、誰も否定しようとはしない。
女性はからからと笑い、持っていたケースを珂月の前に置いた。
中には焼いて海苔をまいた餅がいくつも皿の上に乗っている。
醤油の香ばしい匂いに珂月は顔を輝かせた。
「差し入れだよ。皆で食べとくれ!」
「うわ、おいしそう!」
「おおー、いそべ巻きかあ」
珂月は遠慮なく餅をもらって口に運んだ。
餅はまだ温かくて、とてもおいしかった。
女性は珂月が食べる様子を我が子でも見るような目で眺めていたが、ふと目を細めてじっと一か所を見つめた。
「あんた、ここどうしたの? 怪我?」
女性は自分の首をつついて言った。
珂月は慌てて首を手で覆った。
そこにはルザの噛み痕があるはずだ。
「これは、虫さされですよ。かいてたらひどくなっちゃって」
「あら。軟膏ないならうちのあげるよ?」
「大丈夫です」
「そういえばお前、いつも首にそんな傷あるよなあ」
辰元が餅をほおばりながら言った。
珂月はそうでしたっけと笑ってごまかした。
そのあと、珂月は女性に無理やりすすめられて餅を三つも四つも食べさせられ、残った餅もひとつお土産にと持たせられた。
珂月はにこにこする女性と辰元に礼を言って、皆と別れて公民館を出た。
気持ちのいい天気なので少し遠回りして海辺を歩いていると、船だまりで帰ってきた漁師たちに呼びとめられた。
呼ばれるまま船の近くに行くと、持ってけと言われて獲れたての鰯をビニール袋いっぱいに手渡された。
「いつもありがとうございます」
珂月はつやつやと青く光る魚を抱えてぺこりと頭を下げた。
「おかげで魚さばくのうまくなりましたよ」
「ははっ、バイラさばくより簡単だろ?」
「そうですね。こっち本職にしてもいいくらいです」
漁師たちは豪快に笑って、いつでも弟子にしてやるよと言った。
珂月は漁師たちに手を振り、増える一方の荷物を抱えて先を急いだ。
坂を上って家に戻ると、入り口の鍵が開いていた。
「あれ。ルザ、帰ったのかー?」
珂月は靴を脱ぎながら家の中に呼びかけた。
リビングに入ると、カウチソファに足を投げ出して寝ころぶルザの姿があった。
ルザは珂月を見ると手招きしてそばに来させ、腕を引いて抱き寄せた。
「うわっ」
「おかえり」
ルザの上に倒れこんだ珂月は、キスしようとしてくるルザの額に手を置いて離れさせた。
「ちょっと、荷物あるんだからあとにしてくれよ」
「はあ?」
「ほらこれ、もらっちゃった。これも」
珂月は嬉しそうにいそべ巻きと鰯の袋をルザの前に突き出した。
ルザは眉間にしわを寄せて二品を見比べ、いきなりいそべ巻きにかぶりついた。
「ああっ」
あとで食べようと思っていた珂月は慌てて立ち上がり、いそべ巻きをルザから離した。
だがすでにルザの一口で半分になってしまった。
「あーなにするんだよ」
「まあまあうまいな」
「うまいからとっといたのに」
ルザはぶすくれる珂月を笑いながら眺め、すかさず珂月の腕を捕まえて残ったいそべ巻きに食らいついた。
珂月はあきらめて全部ルザの口につめこんだ。
珂月は冷蔵庫に鰯の袋を入れると、ルザを放って二階にあがり寝室のクローゼットを開けた。
引き出しから部屋着のスウェットを取り出して着替え始める。
だが、スウェットのズボンをはいたところで後ろからルザに捕まってしまった。
「……なに?」
着替え中でルザの印もあらわな上半身に両腕をまわされて身動きが取れず、珂月は鏡ごしにルザを見つめた。
ルザは珂月の肩にあごを乗せて言った。
「あれ食ったら喉乾いたんだけど」
「冷蔵庫にお茶入ってるよ」
「そうじゃねえよ。俺が欲しいのは、こっち」
舌先で首筋をつつかれ、珂月の心臓がとくんと跳ねた。
首をねじって振り向けば、情欲の灯ったルザの熱い目と視線が合った。
珂月は体の力を抜いた。
「ん」
その一言が了解の合図だった。
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