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サビイロ契約

87

 珂月は自分の部屋を見て、ああこんな部屋だったっけと漠然とした違和感を覚えた。
 たった四日、日にちにするとそれだけしか離れていなかったが、まるで数年ぶりに帰ってきたように感じた。

 ルザは珂月のベッドに腰を下ろし、膝に肘をついてじっと床を見つめている。
 珂月は放ってあったパーカーに腕を通してジーンズをはくと、ルザの側に立った。
 ルザは顔をあげようとしない。

「ルザ。さっきの話。なんであんな変なこと言ったんだよ」

 珂月が言った。
 ルザはゆっくりと頭を持ち上げた。
 珂月はどきりとした。
 ルザはバイラのように虚ろで感情のない目をしていた。

「あの野郎が言ったんだ。お前は俺を殺させるためにあいつのところに行ったって。それで俺をおびきだして――」
「ちょっと待ってくれ! ふざけんなよ! そんなばかげた話があるわけないだろ!」

 珂月はルザの言葉をさえぎって叫んだ。
 ルザがそんな作り話を信じるなんてどうしたのだろうか。
 不遜で珂月の言い分などお構いなしだった今までのルザからは想像もつかない、弱弱しい姿だ。

「人間は平気で嘘をつく」

 ルザが言った。

「お前も人間だからな。俺をいいように利用してたんじゃねえのか?」
「ルザ……やめてくれよ」
「こんな気分は初めてだ」

 ルザはまたうなだれてしまった。
 珂月はどうするべきか迷って空中で手をさまよわせた。
 かけるべき言葉が見つからない。
 どうやったら誤解が解けるのかわからない。

 誰かを愛したことのなかったルザは、初めてできた弱みにつけこまれてひどく不安定になっていた。
 力でねじ伏せてもどうにもならないことに、どう対処していいのかわからないのだ。
 ルザは愛する者に拒絶される苦しみに耐えることはできない。
 襲いかかってきた人間たちを皆殺しにしても、怒りも悲しみも消えてくれなかった。
 珂月を壊してしまえば自分のものになるだろうが、それでは永遠に望みが叶わなくなる。

「ルザ……おれ、ルザが好きだよ。本当だよ。信じてくれよ」

 珂月はなにも言わないルザの肩に手を置いた。
 沈黙がおりた。

 アパートの外階段を誰かが上ってくる音がして、珂月はさっと身をひるがえした。
 足音はどんどん近づいてきて、珂月の部屋のドアの前で止まった。
 そのままなにもアクションを起こさない。
 ドアをノックもしない。

 珂月は足音を忍ばせてドアに近づき、覗き窓から外をうかがった。
 魚眼レンズに歪められた視界いっぱいに見知った茶髪頭が映っている。
 珂月は思わず鍵を外してドアを開けた。

「……飛鶴!」

 そこにはドッグズ・ノーズの一番の仲良しがぽつんと立っていた。
 飛鶴は仰天して、突然現れた珂月をまばたきもせずに凝視している。

「か、珂月……珂月ぃ!」
「いだっ」

 感極まった飛鶴が飛びついてきて、珂月はよろめいて靴箱に手をついた。
 飛鶴は抱きついたままおんおんと泣きだした。

「珂月、無事だったのかあ! オっオレっずっと心配して……! お前が連れてかれるの黙って見てたこと、ずっと後悔してて……ごめん珂月、ごめん……」
「飛鶴」

 パーカーの肩が飛鶴の涙でぬれたが、珂月は穏やかに笑った。
 お人好しの飛鶴のことだから、責任を感じて一人もんもんとしていたのだろう。

「なあ珂月、リーダーんとこ行こうよ。リーダーも皆もすっげえ心配してたんだぜ! 無事な姿見せてこよう!」

 満面の笑顔で提案され、珂月は頷きかけたが、ふと五十井のことを思い出した。
 五十井の人を人とも思わない残酷な振る舞い。
 五十井に盾突けば、一体どんな目に遭わされるか。

「……ごめん飛鶴。おれは行けない」
「え? なんで? どっか怪我してんのか?」

 心配そうな顔で体をぺたぺた触ってくる飛鶴に、珂月は首を振った。

「行けない。……もうあそこには行かないし、皆にも会わないから」
「なんで!? あ……五十井脩吾に脅されたのか?」

 飛鶴はなにも言わない珂月を肯定ととったようだった。

「だったら今度こそオレたちが守ってやるよ! 皆も珂月が戻ってくるってわかったら絶対そう言うぜ!
な、オレたちだってやればできるんだからよ!」

 珂月は泣きそうになった。
 ありがたい申し出であるとともに、最もしてほしくないことだった。
 珂月をかくまえば、ドッグズ・ノーズのメンバーに未来はない。
 飛鶴は五十井のことを少ししかわかっていないのだ。

 珂月は肩に置かれた飛鶴の手をはたき落とした。

「いいって言ってるんだよ。おれはもうお前らとは一緒にいられないんだ。放っておいてくれ」
「なんで! なんでそんなこと言うんだよ! オレたち――」
「お前五十井が言ったこと忘れたのか。おれはダラザレオス……ルザのものなんだよ」

 飛鶴はぐっと押し黙った。

「ルザはおれのこと守ってくれるけど、別におれの言うこと全部聞くわけじゃないから。
おれの側にいるとお前ら殺されるよ。お前はなにもわかってない」
「か……」
「死にたくなかったら、二度とおれには関わらないでくれ。じゃあな」

 珂月は飛鶴を押しのけ、ドアを閉めて鍵をかけた。


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