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サビイロ契約

86

「お前、五十井に俺を殺すよう頼んだのか?」

 あまりに突拍子のないことに、珂月はしばらく言葉も出なかった。

「……え? なにそれ?」
「それで俺から隠れてこんなところにいたのか?」
「えっ!? なに言ってんだよ、んなわけないだろ! おれはここに閉じこめられてたんだよ! 見ろよこれ!」

 珂月は首輪から続く鎖をつかんでルザの顔の前に突き出した。
 だがそれでもルザの顔は晴れなかった。
 五十井に抱かれていた事実が色濃く残る珂月のあられもない格好に、ルザの猜疑心は消えない。

「ルザ、なんでそんなこと言うんだよ……助けにきてくれたんだろ?」

 ルザはなにも言わない。
 珂月は喜びもつかの間、見えないルザの心に戸惑いを隠せなかった。
 ルザの言っていることが理解できなかった。

 ルザは黙ったまま、珂月の首に手を伸ばした。
 珂月はわずかに体を震わせる。
 ルザの目つきが若干険しくなった。

 ルザは不安そうにする珂月につけられた首輪をつかみ、思いきり引きちぎった。
 首輪を床に放り投げると鎖がじゃらりと鳴った。

「……帰るぞ」

 珂月と目を合わせようとせず、ルザはくるりと方向転換した。
 珂月はよくわからないまま、シーツを体に巻きつけるとルザを追って部屋を出た。

 隣の部屋の隅には、一人の五十井の部下が怯えきった顔でしゃがみこんでいた。
 かわいそうなほど震えていて、ルザの目に留まるまいとしている。
 ルザはこの男に案内をさせたのだと、珂月は見当をつけた。

 部屋の正面のドアは開け放たれていて、人一人が通れるほどの狭い階段が上へと続いていた。
 ルザがさっさと階段を上っていってしまうので、珂月は痛む体をひきずって置いていかれないようついていった。

 階段を上り終えるとまたドアがあり、薄暗い倉庫に続いていた。
 倉庫には厚い埃をかぶった段ボールが棚にずらりと並んでいる。
 段ボールに黒いマジックで書かれている日付はどれも二年前より昔のものだ。

 振り返ると、棚をずらした後ろに階段があった。
 どうやら隠し部屋になっていたようだ。

 倉庫を出ると見覚えのある廊下だった。
 ルザは迷うことなく廊下を歩いていく。
 そしてたどりついた先に、珂月は絶句した。

 新宿にあるシンク・ベル本社ビルのエントランスホールだった。
 ここ数カ月は毎日のように通ったところだ。
 いつも綺麗で清潔感のある、大企業らしいエントランスだ。

 しかし、珂月の記憶の中にあるエントランスは今や影もなかった。

 磨かれた床に血しぶきが飛び、死体とバイラの死骸がいっしょくたになっていくつも転がっている。
 血の匂いがたちこめていて、鼻が曲がりそうだ。
 腹を切り裂かれて仰向けに死んでいるカマキリ型のバイラの顎には、真っ赤に染まった服の切れ端が挟まっている。
 肉塊になってそこらじゅうに転がっているのは、屈強さではどこにも引けを取らないシンク・ベルのハンターと、銃器の扱いに慣れた五十井の部下たちだ。
 誰もかれも、体のどこかに食いちぎられたような痕がある。
 頭部がまるまるなかったり、腕しか残っていない者もいる。

「ルザ、こ、これ……」

 珂月は死体の海に近づくことができず、足がすくんで動けなくなった。
 前を歩いていたルザは立ち止まって振り向いた。

「お前を隠していた奴らだ。俺を殺そうとしたんだから、当然の報いだろ」

 こともなげに言う。

「五十井には逃げられたけどな……。見つけたらすぐ殺してやる」

 珂月は吐き気がこみ上げてきて口を押さえた。
 惨劇というのにふさわしい状況だ。
 この地獄のような光景を作りだしたのは目の前の男なのだ。
 血だまりをブーツで踏みつけ、平然として立っている。
 人間の所業ではない。

「早く来い」

 いくら急かされても、珂月は一歩も踏み出すことができなかった。
 根が生えたように突っ立っているしかない。
 ルザは真っ白な顔で硬直する珂月の姿に、仕方なく戻ってくると両腕で抱えて外に出た。

 日が落ちた外は薄暗く、すべてが灰色に染まり、冷たい夜風が吹いていた。
 道路を歩いている人は誰もいない。
 ルザが上を向くといつもの狼型バイラが降りてきて、ルザと珂月はその背に乗って飛翔した。





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