84 シンク・ベル本社ビルのエントランスは、社長室の次に綺麗に磨かれている。 外来客などないに等しいが、まず目に入る玄関は綺麗にしておくべきだというのが五十井の意向だった。 清掃は五十井の部下の担当で清掃員を雇っているわけではないので、 自動ドア(現在は手動)のガラスは少しくすんでいるが、そのほかは大方美しく保たれている。 淡いブルーの広い床は埃もなく、壁や円柱には染みの一つも見当たらない。 いくつか置かれたグレーのソファーセットも整然としている。 入り口の正面にある受付のデスクには誰もいない。 かわりに、エレベーターホールの前に設置されたゲートに一人のスーツの男がいる。 ゲートは駅の自動改札と同じ形で、センサーに社員証をかざして通るものだ。 今はゲートにまわす電力がないので、スーツの男が目で身分証をチェックしている。 シンク・ベルのハンター証を持たない者か、五十井の部下でない者が入ろうとすれば、 ゲートの前で待機している二人のハンターに放り出される仕組みだ。 もうすぐ日暮れで、一日で最も人の来ない暇な時間だった。 五十井の部下は毎朝決まった時間に集団でやってくるし、仕事のハンターは当直以外地下駐車場に集合するのでここには来ない。 武器をもらいに来るハンターもこんなに遅くに来る者はいない。 ゲート係と二人のハンターは、とくにすることもなく暇を持て余していた。 そこに一人の来客がやってきて、パイプ椅子にだらしなく腰かけていたゲート係の男は姿勢をただした。 ゲート係はシンク・ベルのハンターと五十井の部下の顔は一通り覚えているが、訪問者の顔は見覚えのないものだった。 まっすぐゲートにやってくるその青年に、ゲート係は立ち上がった。 「……誰だ? なんの用?」 青年は質問に答えず、どんどん近づいてきてゲートを飛び越え、ゲート係の胸倉をつかんだ。 「五十井を出せ」 「はあっ? いきなりなんだよ?」 「五十井に伝えろ。俺の名はルザだ」 ルザはゲート係に腕をつかまれると、嫌そうな顔をして手を離した。 ゲート係はルザの気迫にたじろぎそうになったが、耐えて逆に睨みつけた。 「……どこの組のもんだ? ボスになんの用だよ?」 「てめえと話してる暇はねえんだよ。いいからとっとと五十井をここに連れてこい。その無線機で俺が来たって言え」 ルザはゲート係の腰についている無線機を指して言った。 ゲート係は面食らったが、持ち場を動かずに様子をうかがっていたハンター二人に目配せした。 二人はすぐにやってきてルザを両脇から挟みこもうとした。 しかしその前にルザが右のハンターを殴り飛ばし、左のハンターを蹴飛ばした。 二人とも数メートル吹き飛んで床に転がった。 「てめっ……」 ゲート係はルザの腕力におののき、ゲートの裏についていたボタンを殴るようにこぶしで押した。 とたんにけたたましいサイレンがビルじゅうに鳴り響いた。 二人のハンターは殴られたり蹴られたりした部分に手を置いて立ち上がり、おのおのナイフを取り出すと目の色を変えてルザに斬りかかった。 ルザは面倒そうにナイフを避けてまた蹴りを食らわせる。 その隙にゲート係は無線機に叫んだ。 「侵入者だ! 数は一人、若ぇ男だ! 素手だが馬鹿につええ! すぐ応援をよこしてくれ!」 「言うことが違うだろうが」 ルザが低い声を出した。 「俺は五十井を呼べっつったんだ。どうでもいい人間増やすな」 だがゲート係はそれどころではない。 すぐに当直のハンターたちが駆けつけてきた。 十人ほどに取り囲まれ、ルザはいらいらと舌打ちをした。 「おい、俺はてめえらに構ってる暇はねえんだよ。五十井を呼んでこい。珂月を出せ!」 「か……珂月?」 ハンターの一人が不審そうに呟いた。 以前珂月を襲ってルザの印を見てしまった三人組の一人だ。 ボスを狙ってやってきた鉄砲玉かと思いきや、最近入ってきた新米ハンターの名を出されて戸惑いを隠せない。 ルザを囲む輪はじりじりと狭まっていく。 ルザは腕組みをして足の裏で床を叩き、ため息をついた。 「とっととしてほしいのによ……」 「なにが目的だ!」アーミーナイフを構えたハンターが怒鳴った。 「……俺の言うことが聞けねえってのか?」 「ほいほいボスを出せるものか」 「あっそ」 エントランスに一陣の風が吹いた。 ルザの背後に、高さ三メートルほどのどす黒いカマキリの化け物が現れる。 さらにその後ろに三本の角が生えた巨大な猿が二体。 ハンターたちは度肝を抜かれて後ずさった。 「これでも五十井を呼べねえか? それとも今すぐ死にたいのか?」 ルザは無線機を握りしめているゲート係の男を見た。 ゲート係は震える手で無線機を真っ青な唇に当て、送信スイッチを押した。 「バ、バイラが……ダラザレオスだ……ボスを呼べって……」 それだけ言うのがやっとだった。 スイッチを離すととたんに通信室からの慌てきった声が入ってきたが、ゲート係はルザを見るので精一杯で聞いている余裕はない。 カマキリ型のバイラは獲物を見下ろし、大きな顎を天に向けて赤子の泣き声ような声をあげた。 珂月の印を知っているハンターは、ルザから目を離せなかった。 「ああ……やっぱりだ、言わんこっちゃない……」 ルザの声一つでバイラが襲ってくるだろう。 ハンターたちは武器を構えながら、緊張で口の中がからからになっていった。 チンと軽い音がして、四基あるうち一つのエレベーターのドアが開いた。 中から五十井の部下たちが幾人も出てきて、拳銃を取り出してルザに向けた。 続いて二度チンと音がして、同じくスーツを着た男たちがわらわら出てきた。 最後に五十井が笠木を従えてやってきた。 ←*|#→ [戻る] |