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サビイロ契約

80

 時計がなかったので時間がわからないが、一時間も経ったろうか。
 とっくに自身は元の状態に戻っている。
 まだ五十井の帰ってくる様子はない。
 珂月は身だしなみを整え、ベッドから降りて扉に近づいた。
 分厚い扉には当然鍵がかけられているだろうが、耳をつければなにか音が拾えるかもしれない。

 しかし、扉の手前一メートルほどで珂月は後ろに引っ張られた。
 振り返れば、首輪に取りつけられた鎖がぴんと張っている。
 どんなに引いても壁に固定された鎖は外れない。
 珂月は扉をあきらめ、部屋の中心に置かれたテーブルのほうに歩いていった。

 テーブルはよく磨かれた樫の木でできていて、覗きこむと珂月の顔が映った。
 セットの椅子は座面と背もたれにふかふかした革張りのクッションがついていて、座りごこちがよかった。

 テーブルの奥の棚はすべて戸が閉まっていて中が窺えない。
 なにか脱出に使えそうなものがありはしないかと、珂月はそっと足を偲ばせて棚に近づいた。
 しかし、またしても途中で鎖の限界が来てしまい、棚までたどりつくことができなかった。
 この鎖はテーブルまでしか届かないようにできているようだった。
 ベッドの正面の壁に設置された棚と、右側の壁の扉には、手を伸ばしても届きそうで届かない。

 珂月は仕方なくベッドに戻り、コンクリートの壁に打ちつけられた金属の分厚い金具に触れた。
 四角い金属板から、一センチほどの太さの鉄の環が半分だけ顔を出していて、その環に珂月の首輪をつなぐ鎖が取りつけられている。
 とりあえず鎖を渾身の力で引っ張ってみたが、手が赤くなっただけだった。
 大きなペンチでもない限りどうにもならなそうだ。

「ああ……」

 珂月は嘆息し、広いベッドに横ざまに倒れこんだ。
 八方ふさがりだった。
 珂月はここで、五十井に命を握られて過ごすほかないのだ。
 誰かが助けてくれるまで耐え忍ぶしかない。

 手を伸ばして触れた壁はひどく冷たかった。
 この窓のない部屋に来るときに階段を下りてきたし、ここは地下なのかもしれない。
 存在そのものが隠された部屋であるなら、助けが来る可能性は限りなく低い。
 ルザは珂月の匂いをたどらないと居場所を探せないので、車で連れてこられた以上ここを見つけてはもらえないだろう。

 珂月は枕に顔をうずめ、丸くなって両腕で自分を抱いた。
 ここにはぬくもりがない。
 せっかくルザと心を通い合わせられたというのに、もう離ればなれになってしまった。

「ルザあ……」

 ただ名前を呼ぶくらいしか、珂月にできることはなかった。


   ◆


 その後、数時間したのちにやってきた五十井に、珂月は今度こそ犯された。
 ルザの印を血がにじむほど噛まれ、ほかにも体中に歯形を残され、痛みに泣き叫べばうるさいと頬を張り飛ばされた。
 口の中が鉄くさくなり、珂月は唇をかみしめて静かに泣いた。
 無理やりなぶられた秘部は、五十井の欲望を突き立てられじくじくと痛んだ。
 五十井は珂月を人として扱ってはくれなかった。
 珂月はルザをおびき出す餌であり、抱き人形だった。
 従順にしていないと容赦なく殴られ、射精をせき止められた。

 着ていた服すらはぎとられ、珂月はシーツにくるまって傷だらけの裸体を隠した。
 五十井が満足していなくなっても、珂月は泣き、一人震えていた。

 冷たいベッドに横たわり、どれだけ経ったろうか。
 涙も枯れ果て、ぼうっとしたうつろな目でなにも見ずに瞬きを繰り返す。

 錠を外す音がして、扉が開いた。
 慌てて珂月は上半身を起こし、シーツをかぶって警戒心をあらわにする。
 しかし入ってきたのは五十井ではなく、見覚えのある彼の部下だった。

「飯だ。食べろ」

 スーツのズボンにワイシャツ姿の男は、毛を逆立てる珂月には目もくれず、テーブルの上に食事を置いた。
 珂月は男の行動を目で追うばかりで動こうとしない。
 テーブルの脇に立つ男はすぐにじれてつかつかとベッドに歩み寄った。

「おい、早く食え。片付けられねえだろうが」

 男は珂月の白い腕をつかんで無理やり立たせた。
 珂月は体にシーツを巻きつけたまま、ずるずるとテーブルに引っ張っていかれた。
 椅子に座らされ、目の前に置かれた食事を見下ろす。
 見覚えのあるプラスチックのプレートの上に、魚のフライとサラダと白飯が乗っていた。
 食器からメニューから、シンク・ベルの食堂で出されるものと同じだった。

 おいしそうな匂いに、珂月の空きっ腹が鳴いた。
 男は黙って珂月にプラスチックのフォークを手渡した。
 珂月はフォークを受け取り、もくもくとフライを食べ始めた。
 男はその場を動かない。
 珂月が食べ終えたらすぐに食器を下げるつもりらしい。

 男は珂月の斜め後ろに立ち、珂月の体を眺め回した。
 腰にシーツをまとっただけのあられもない格好の少年。
 その細い首には彼に不釣り合いな無骨な首輪がつけられ、鎖でベッドの上部に繋がれている。
 体力のなさそうな薄い体には、噛みつかれた赤い痕が点々と残っている。
 誰から見ても倒錯的で、異常な状況だった。
 男は静かに唾を飲みこんだ。

 珂月は米の一粒も残さなかった。
 フォークを置くと男はすぐに食器を下げて部屋を出て行った。
 珂月はすることもなく、ベッドに戻ると枕に顔を押しつけて眠った。





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