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サビイロ契約

75

 しばらく気の置けない仲間たちとのおしゃべりを楽しんでいた珂月だったが、浩誠がキッチンに立つとすぐに追って輪を抜け出した。
 浩誠は使い終わった皿を流しで水につけていた。

「浩兄……」
「おう、なんだ?」

 珂月がおそるおそる声をかけると、浩誠は明るく答えた。
 珂月は唇をなめて湿らせ、下を向いて言った。

「あの、体は大丈夫? どこか怪我があったらシンク・ベルの医者に診てもらえるよ」
「心配すんな。ちょっと口切っただけだよ。あいつ遊んでるふりして手加減してくれてたみたいだからな」
「そ、そうだったんだ」

 ルザの話題が出ると珂月は小さくなった。
 浩誠はぬれた手を拭き、もじもじしている珂月の肩に手の平を乗せた。
 珂月ははっとして顔を上げ、浩誠を見つめて眉尻を下げた。

「浩兄、ごめんね。おれのせいでひどい目に遭わせて。本当にごめん」
「お前が謝ることじゃないさ。元はといえばお前に手を出した俺のせいだ。つまり自業自得」

 今の今まで浩誠に抱かれたことを記憶の底に押しこめていた珂月は、見る見るうちに顔を赤らめた。

「こっ浩兄っ……」
「なに?」
「あの、ごめん、おれ……浩兄の気持ちには答えられなくって。本当ごめん。浩兄は大好きなんだけど、ルザとはその……違うっていうか……」
「わかってるよ。お前の態度を見てりゃ」
「えっ? おれの態度?」
「自覚なしか」

 浩誠はからからと口を開けて笑った。

「お前、五十井にルザのことを話す気がまったくなかったじゃねえか。つまりルザを危険な目に遭わせたくないんだろ?
それに、ルザに俺のことが嫌いなのかって言われて思わず違うって口走っただろ。
そんときの声で、ああこりゃ負けたと思ったよ。向こうは向こうで、珂月に嫌いって言われてすごい傷ついた顔してたし。
ダラザレオスの噂といちいち違うから、とまどったなあ」

 珂月は自分のあまりの鈍感さに頭を抱えたくなった。

「なんか見てるこっちがもどかしくなって、それとなくルザの背中を押してやったんだよ。
どうもダラザレオスってのは、誰かを好きになるということをよく知らないみたいだな。
お前、今まであいつの独占欲に振り回されなかったか?」

 珂月はなにも言わなかった。
 図星だった。
 珂月はこれまでずっとルザの過剰な独占欲に手を焼いてきたのだから。

「ま、ダラザレオスを選ぶだなんて本当は全力で引き留めたいところなんだけど。お前の選択だし、あいつなら話がわかりそうだから、認めるよ」
「浩兄……ありがとう」

 珂月は浩誠の度量の広さを改めて感じ、浩誠に抱きついた。
 二人は少しのあいだ抱き合い、そっと離れた。

 そのとき、玄関のドアが開かれる音がしてリビングが静かになった。

「おや?」浩誠が呟いた。「また客か?」

 玄関からいくつもの足音がして、リビングにどやどやと十人ほどの「客」がやってきた。
 黒いスーツを着こんだ、がたいのいい男の集団だ。
 ドッグズ・ノーズのメンバーとは似ても似つかない。
 浩誠に続いてリビングに顔を出した珂月は反射的にキッチンに隠れた。
 五十井の部下たちだった。

 男たちはキッチンから顔をのぞかせた珂月を見逃さなかった。
 すぐに数人が駆けつけ、珂月の両腕を捕まえてキッチンから引きずり出した。

「なにすんだっ! 離せ!」

 珂月がもがくと拘束はますます強まった。

「やめろ!」

 浩誠が止めようとすると、一人の男が浩誠の肩をつかんで引き留めた。
 浩誠が男の手をふりほどくと、男はもう一度浩誠の肩をつかんで引き寄せ、みぞおちに膝蹴りを入れた。
 昨夜ルザに蹴られたところを再び不意をつかれて蹴られた浩誠は、咳きこみながら崩れ落ちた。
 それを見たメンバーはたちまち酔いも醒め、怖い顔をして立ち上がった。

「リーダーっ! なにしやがるてめえら! 珂月を離せ!」

 飛鶴がダガーを抜いて怒鳴った。
 男たちのまとう空気が重たくなり、リビングに緊張が走った。
 一時の静寂が訪れる。

 均衡を破ったのは澄んだ低い声だった。

「武器をしまうんだ。君たちに用はない」

 玄関からだった。
 男たちはさっと二手に分かれ、玄関への道を作った。
 靴音を鳴らして廊下をこちらにやってくるのは、ダークグリーンのスーツを着た五十井脩吾だった。
 五十井の醸し出す圧力でその場の誰もが黙った。
 飛鶴は気まずそうにダガーをしまった。

 五十井はリビングにやってくると飛鶴たちには目もくれず、まっすぐ珂月のところへ行った。
 目をそらす珂月の顎をつかみ、五十井はいたずらをした子供を諭すような声色で言った。

「珂月、黙って本社を抜け出したそうじゃないか。いけない子だ。さあ、帰るよ」

 五十井は珂月の手を引いて玄関に向かおうとした。
 だが珂月は足を突っ張ってそれを拒否した。

「嫌ですっ! 行きたくないっ!」


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